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ゲームに救われていたおばさん その2

58歳にして突如始めたゲームによって、その後の逆境にも耐えられた私。

まさかのがん告知、「ピクミン3」で癒されていたのに、手術前にピクミンの大量死は辛過ぎて、ラスボスを前にクリア出来ずに2年余りが過ぎてしまう(泣)




それの前後に始めたのが、大人気の「あつまれどうぶつの森」。

何も無い島から木を切ったり、化石を掘ったり、虫を捕ったり、鉱物を集めたり、魚を獲ったりしながら、それらを売って家を大きくして、自分の島を開発していく何とも牧歌的なゲーム。

島に他の動物も呼んで住んでもらい、それらの動物とも交流したり、

インターネットで他の知らない島に行ったり、

リアルのお友達とも交流できたりする。

ゲーム初心者にはピッタリなゲーム。

対戦ゲーム不得意な私にはピッタリ。

しかも人間の持つ収集癖を見事くすぐる。

お洋服や家具などを集めて、
ファッションセンスやインテリアの評価なんかしてもらっちゃったりする。

楽しすぎてハマった(笑)

実はその年のクリスマスに「あつ森」ソフトを孫にプレゼントして、
コロナでしばらく会えなかったけど、ネットで遊そぼうと計画していた。

だがその頃、2度目のがんが見つかった。

転移ではなかったけど、

初期も初期だったけど、

大変極悪な顔をもつ腫瘍であった。


2021年1月年明け早々に手術する事になった。


順調に進んでいた「ピクミン3」は、
ピクミン大量死が辛すぎて、先に進めなくなった。

代わりに「あつ森」が、
私の不安な気持ちを紛らすツールへと変化する。



私の人生色々あった。

山より谷が多くて、

それを乗り越えてきたのは、

父親から譲り受けた脳天気さと、
母からの仕打ちに耐えるべき備わった
現実逃避能力(?)と
誰からもらったかわからない行動力と
恐るべき忍耐力があったから。


その素晴らしい現実逃避能力で、
入院した時も「あつ森」をやり、
ひたすら収集して、ミッションをこなしていき、
辛さを忘れるようにした。


色んな看護師さんに、「何のゲームやってるんですか?」と聞かれ、

「あつ森」と答えると、

「うちの子供も大好きですよー。」とか言われた(笑)


でも流石に手術後にはしばらくできなかった。

それに手術後の傷の痛みより

6日間の絶食は辛かった。

辛すぎた(笑)


あまりに辛くて、桜井ユキ似の主治医に訴えて、

甘い飲み物で何とか飢えをしのいだ。

(私の命を救ってくれたのは、この優秀な女医さんと、もう一人の女医さんがいる。この話はまたいつか‥。)

手術の次の日に非情な看護師さんに

「さぁ、歩く練習しましょうかー。」

って目眩😵‍💫がしてるのに無理矢理(?)歩かされて、

「じゃあついでに4人部屋に移りましょうかー。」
って連れていかれた部屋が最悪だった⤵️


ほぼ同じ病の60代から70代のおばさんが、

抗がん剤治療で3人いた。

おばさんが集まると、何故ああもうるさいのか!

たった数日の付き合いでしか無いのに、

一人の詮索好きなおばさんにより、作り出された空気が最悪だった⤵️

(心の声)

私、手術したばかりなんですけど‥

しかも、コロナで私語禁止じゃなかった?


そんな気持ちを察してか、

ボスおば「あっ、うるさかったら言ってね。」
って予防線を張る。

そして絶食中の私に

「あ、ごめんなさいねー。あなたご飯食べられなかったのよね。」

ってご飯を食べながら喋る。

白々しい💢

ボスがいなくなるまでの2日あまりは耳栓したかった(涙)

流石に術後すぐにはゲームも出来なかったので、

現実逃避も難しかった😭


退院、そしてその後待ってた辛かった抗がん剤治療。

リュックにゲーム機詰め込んで持ち込み、化学療法室での長い点滴の時間を過ごしたっけ。

6クールの抗がん剤治療は、

その5年ほど前に経験したことのある3クールよりも

強烈だった。

骨か身体の内部を攻撃するような強い痛みが時々襲う。

痛み止めも効かなくて、
流石の我慢強い私も悶え苦しんだ。

そこで活躍したのも「あつ森」。

脱毛した頭にニット帽被って、
8ヶ月の休職期間は、ほぼ「あつ森」に癒されていた。

ずっと会えない孫や娘とも
「あつ森」のフレンドの島の行き来で交流できた。

会話はiPadでZoomで出来るので、コロナでしばらく会えなくても、寂しくは無かった。

こんなことが出来るなんて、10年前はまるで想像できないことだった。


その3につづく




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