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結論

 以前、私が作成したあるレポートに対する採点者の講評に「文章量に対して結論が短い」という趣旨のコメントがついていたことがある。

 以前から「結論」めいたことを書くのがあまり好きでは無かったりする。他の人の文章を読んでいても、たしかに結論がはっきりした文章はテンポがあって良く、反対に結論が曖昧な文章は優柔不断な印象を与えるとは思うのだけど、価値観というのは人それぞれだけでなく、時間の経過・経験などによっても変わる。一周目はつまらなかったのに、二周目で急に面白くなった、なんていうこともある。未来永劫、どんな状況でも変わらず「こうだ!」と言えることは世の中あんまり無いような気がして、そんな気持ちがどうしても文章に出てしまっているような気がする。以前は感想文の、最後の2行を書くだけで1時間以上かけてしまっていたこともある。

 大学受験で小論文を書いた時は序論・本論を受けて「以上の理由により、私は○○に賛成する(反対する)」みたいなもので良いと教わっていたけど、感想文の場ではそういう書き方はそぐわないし、小学校の読書感想文の末尾のような、「私は○○のように強くたくましく生きようと思いました」などと歯が浮くようなことを書くわけにもいかない。特に最近はつまらなかった展覧会にあえて「つまらなかった」とも書かないようにしているので、結論はほぼ常に「面白かったです」になってしまう(何も書いてないからつまらない、ではなく、面白くても書き忘れたり書かなかったりはあるけど)。『シルシルミシル』という番組で、グルメリポートをいつも「とても美味しいです」で締めるADの堀君という人もいたけど、書く側としてはそれではちょっとつまらないと感じてしまう。面白いこと、好きなことについてばかり書いているが、御用記事を書いているわけではない。文章の中にある程度のスリルは残しておきたい。

 なるべく普遍的なことを口にしたいと思うが、そう言うのにもまた技術が必要なんだろうなと感じる。そして今日も、私は曖昧な結論を述べている。

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