【小説】神社の娘(第17話 距離感が分からないのはお互いさまです)
『妖物出たから。俺の感覚だとそんな強くなさそうだからさ、ひまちゃんでも大丈夫っしょ。パートナー葵くんね。そこにいるでしょ?よろしく』
〈感知器おじさん〉からの電話の内容はこうだった。
橘平のおかげで少しすっきりしたとはいえ、まだ葵と二人きりは気まずい。よりによって、であった。あと感知器はいちいち余計な事しか言わないことに向日葵は腹が立った。
大丈夫っしょ、って何さ。
これには経緯がある。葵の電話はこうだった。
『西地域の山に妖物でたから行ってほしいんだけど、他の人が全然捕まらないんだよ。でも規定上一人じゃ行かせられないし、どうしよう。俺は現場向きじゃないし』
むしろ、「課長に現場に来られたら困る」とは部下の総意。もちろん、口にはしない。課長は有術の性質上もあって、現場対応力は一切ない、いや持とうとすらしない。
しかし、だからこそ、裏方能力を最大限に磨いて来た人間。それに関してはかなり有能である。その姿勢は葵も尊敬しているが、向日葵の扱いと喋り方にはイライラすることが多い。
「今、一宮の桜さんと向日葵と一緒にいますよ」
『あ、そこにひまちゃん居るの?それでいいか。そんな強くないから大丈夫っしょ。じゃあ、この後あの子に電話するから。よろしく』
葵は向日葵と話せるチャンスをわざと作ったのである。午後から多少調子が戻ったとはいえ、自分に対して無理しているのは感じ取れた。
それぞれ現場近くに乗り物を止め、そこから徒歩で山に入る。向日葵は車から出る前に「いつも通りいつも通り」と唱え、さっき少年に模様を描いてもらった右手をじっとみつめ、その模様を飲んだ。
感知器の言う通り、今回は大した獲物ではなかった。オオカミ型ではあったが、葵が刀を構えてひきつけ、向日葵がさっと背後に近づいて転倒させ、葵が一発ざっと刺しておわり。10分もかからないような作業であった。すでに周辺は暗くなってきている。
「じゃあ帰りましょーかね!夕飯はどうしようかな~」
と、先頭に立ってさっさと帰ろうとする彼女の隣を、同じ速さで葵が歩く。
「向日葵、聞きたいことがある」
まだ話せない、と息が詰まるが「いつも通り」と唱え、向日葵は答える。
「…何?」
聞きたい事、きっとそれは「なぜ無視する」だ。
「トラ退治のあと、眠る前に『橘平君だった』って呟いてたんだけど、どういう意味?」
明々後日の方向からの質問に、向日葵は口も目もぽかんと開いてしまった。
「え?なにそれ?っていうかそれが聞きたかったの?」
「うん」
「それが聞きたくて、やたら職場で話しかけて来ようとしたり、何度も電話かけてきたり、メッセージ送って来たの?」
「そうだよ。メッセージで送ったんだぞ、橘平君ってどういうことだって。俺と話したくないなら、読んで答えてくれればいいのに」
向日葵はだんだん自分に、そして葵にも腹が立ってきた。外で彼のことを意識しすぎているのは、自分でも反省すべき点だ。今回はそれが招いた悲劇だ。しかし、ヤツの方は無視されていることよりも、つぶやきが気になるという。
「…なんでそれが聞きたいの?」
「大事なことだからだ。これだけの大事になってきたんだ、はやく『なゐ』に辿り着きたい。トラが一瞬止まったように見えたのと橘平君、関係あるだろ?」
青年は人間に不器用なのに、それ以外には勘がよく働く。役場に帰ってから状況を整理し考察した結果、そこに行きついたのだ。
向日葵の心情としては、今はあまり不器用青年と話したくないが、内容が内容なだけに、ここは大人としてきちんと答えようと決めた。
「橘平君って呟いたかどうか、正直覚えてない。でも、葵の考えてることは当たってると思う。トラが止まったのは、たぶん、橘平君の有術なのよ」
「さっき書いてもらってたお守りだな。この間も書いてもらってた」
「そう。でも一回きりしか効かないみたい。この間の駆除は散々だったもん」
向日葵は先日、桔梗と駆除に出たのだが、妖物はトラの時のように静止してくれず、ケガを負ってしまった。ケガの代償として妖物を転倒させることはできたし、もちろんケガはその後治療、今は元気である。
「少年は気づいてないんだろうな。自分も使えるって」
「全然、全くね。見たことない、聞いたこともない能力なんだよね。何だろう」
山を降りきったところで、葵は速足になり、向日葵の前に立った。
「それと。なんで俺の事無視してたんだ?向日葵が怒るようなことしたなら教えてほしい。申し訳ないけど、全然思いつかなくて」
この質問にはどう答えようか。
先ほどの話題は一種の「業務連絡」だった。感情を挟まなくてよかった。
でもこれは。
向日葵はしばらくの間考えた。葵は微動だにせず、彼女の答えを待つ。
「私に近づかないでちょーだい」
自分でも最適なのかはわからないけれど、それでも伝えたいことはこれだ、という回答を発した。向日葵が時間をかけて築き上げてきた葵との「最適」な距離感。今は壊されたくなかった。まだ、このままがいいのだ。
いつかは壊したいけど、今じゃないんだと強く思っている。
「は?」
「葵、距離感おかしいんだよ。私の半径100m以内に入らないでほしい」
「無理だろ。職場の席、目の前なのに」
そういうことじゃないんだけれど。そういう距離じゃないんだけれど。
「お姫様抱っこって何?せめておんぶ、いやあれだよ、担架!リヤカー!人を呼ぶ!なんでもいいから触れないでほしい!」
何の話をしてるんだ?
しばらく葵には意味が分からなかったのだが、トラ退治の後の話かと思い至った。あれが恥ずかしかったのかと。
「すまん、配慮できてなかったな。あーいうのは恥ずかしいってことか。今度から気を付ける。とりあえず運ばないとって頭しかなくて」
遠くもないけど近くもない。いや今度があると思うな。
向日葵自身も、なぜあれくらいのことでここまで頑なになっていたのか、いよいよ、よく分からなくなってきていた。こういった話題を葵としているのも馬鹿らしくなってきて、軽くため息がでた。頑なになることを諦めかけてきた。
「私がアオのこと無視してさ、なんか困ることある?」
「困る事しかないだろう。何でも話せるのは向日葵だけなのに」
昔から超がつくほど真面目で、頭が固くて、メールの文章は長いタイプで、人間に不器用で、面倒な幼馴染。向日葵が恥ずかしくなるようなことを真顔で言う。
「さっちゃんには何でも話せない?」
「…桜さんに話せないことは、ある」
それは向日葵自身も同じ思いだった。
車とバイクを止めていた場所に着き、向日葵が運転席に座ると、葵が助手席に乗り込んできた。
「は!?さっき近づくなっていったのに!?」
「…ここなら誰も見てないよ。絶対」
向日葵が気にしていることを、少しは分かっていたりして。
「せっかく久しぶりに話せたから、少し喋ったら帰るよ。職場のグチでも言ってくかな。どの二宮が良いかな」
「…私は話すことないんだけど」
「じゃあさっきのせんべいでも食べて聞いてろよ」
ちょっと自分勝手で。
「あ、さっき少年に何囁いてたんだ。顔赤かったぞアイツ。未成年に手だすなよ」
意外としっかり見ていて。
「…カレー美味しかった。また作ってって言っただけ」
「また電話するんだろ。仲良しだな」
ホンっトめんどくさいヤツ!盗み聞きさいてー!
それでも「関わりたい」と思ってしまう向日葵は、「私の方がよほど面倒な人間かもしれない」と自分に呆れてしまった。
彼は宣言通り少し話をして、さらに少しだけ自分勝手をして帰っていった。
「距離感…」
せっかく向日葵が保ってきた距離感を一気に狂わされてしまい、彼女はしばらくの間、ハンドルに顔をつっぷしていた。
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