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愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに

 エッセイ連載の第11回目です。
(連載は「何を見ても何かを思い出す」というマガジンにまとめてあります)
 これはラジオでもしゃべったことがあるのですが、大切なことなので、あらためて。

少年からの手紙

 カート・ヴォネガットという作家のもとに、ある日、ファンの少年から手紙が届いた。
 そこには、こう書いてあった。
 ぼくはあなたの小説のほとんどを読みつくしたので、あなたの作品の核心をつかんだと。

 カート・ヴォネガットは、アメリカの作家。
 代表的な小説に『タイタンの妖女』『猫のゆりかご』『スローターハウス5』などがある。
 タイムトラベルとか、SFの設定をよく用いた人で、ユーモアがあって、でもシニカルで、魅力的な作品を描く作家だ。
「20世紀アメリカ人作家の中で最も広く影響を与えた人物」とも言われる。
 1922年の生まれ。同じ年に生まれた日本人は、水木しげる、瀬戸内寂聴、 丹波哲郎など。

「愛は負けても、親切は勝つ」

 さて、少年の手紙には、何と書いてあったのか?
 それはこうだ。

「愛は負けても、親切は勝つ」

 これがヴォネガットの作品の核心だというのだ。
 それを読んで、ヴォネガットはどう思ったのか?
 なるほどと納得してしまったのだ。

 なにもあんなにたくさんの本を書く必要はなかった。たった十四字の電文で、ことは足りたのだ。

 これは『ジェイルバード』(ハヤカワ文庫)という小説のプロローグに出てくるエピソードだ。翻訳は浅倉久志。
 本当にあったことなのか、ヴォネガットの作り話なのか、それはわからない。どちらにしても、この短い言葉が、ヴォネガットにとって重要であることは間違いない。
 でも、この十四字だけでは、やっぱり意味がよくわからない。
「愛は負けても、親切は勝つ」
 どういうことなのだろうか?

「わたしが知る唯一のルールというのはだね」

 ヴォネガットは来日して、日本の作家の大江健三郎と対談したときに、「人間として何が最も重要と思うか?」と問われて、「Decency(ディーセンシー)」と答えている。
「Decency」は日本語に置き換えにくいが、浅倉久志は「親切」と訳している。
 ヴォネガットは「Decency」を、「愛よりは少し軽いもの」「人に対して寛容で相手を尊重すること」と説明しているから、「親切」という訳は適切ではないかと思う。

 ヴォネガットは、大学の卒業式でスピーチを頼まれたときにも、これから社会に出て行く若者たちに向かって、こう言っている。

「わたしが知る唯一のルールというのはだね──人に親切にしなさいってことだ」

 これは『これで駄目なら』(飛鳥新社)という本に載っている。翻訳は円城塔。

 他の作品でも、ヴォネガットは、親切が大切ということを書いている。
 まあ、親切が大切というのは、わかりやすい。
 反対する人はそんなにいないだろうし、たいていの人は納得できるだろう。

 ただ、前半の「愛は負けても」というのが、わかりにくい。
「愛は負けても、親切は勝つ」という言葉は、愛は負けるかもしれないという絶望を踏まえているところが、ミソだろう。
 それはいったいどういうことなのか?

 愛より、親切を上に置いているところも意外だ。
 愛は何よりも大切と、多くの人が言っている。愛が世界を救うというような言葉もたくさんある。

愛は難しい

 しかし一方で、愛の名のもとに、たくさんのいさかいや争いも起きる。
 三角関係や不倫というような恋愛関係の問題はもちろんのこと、神さまへの愛で宗教戦争が起きたり、愛国心によって戦争が起きたり。
 愛は強いものであるだけに、逆向きに作用したときには、大きな悲惨を生み出してしまうことがある。
 親の愛のように、美しい愛情と言われるものでも、子どもにとっては、重荷になったり、呪いになったりすることもある。
 愛は難しい。
「愛すればそれで解決」というわけには、なかなかいかない。そこに愛の悲しみもある。そして、難しいからこそ、愛は尊いのだろう。

 また、人を愛したほうがいいとわかっていても、愛するのは難しい。
 人類愛に満ちている人でも、いざ目の前にいる一人の人間となると、どうしようもなく嫌いで愛せない、ということもある。
 たとえば、嫌いな上司ひとりを愛するのだって、どれほど難しいか。

「愛よりは少し軽いもの」

 その点、親切なら、まだできる。
 愛することは難しいが、親切にすることは、それよりは簡単だ。
 嫌いな相手にすら、多少の親切くらいなら、まだしもできなくはない。
 ヴォネガットは、親切を、「愛よりは少し軽いもの」と言っているわけだが、この「軽い」ということが重要なわけだ。
 だからこそ、なんとかできるし、より現実的なのだ。
 そして、ちょっとした親切が、相手の1日をどれほど明るくするかしれない。

 世の中には、誰にも愛されない人がいる。
 親もなく、子もなく、恋人もなく、配偶者もなく、友達もなければ、自分を愛してくれる人はいない。
 これはとてもつらいことだ。

 苦しいのは……誰からも愛されぬことに耐えることよ。

遠藤周作『私が・棄てた・女』講談社文庫

 かわいそうだと思っても、じゃあ、あなたがその人を本気で愛してあげられるかと言ったら、難しいだろう。
 でも、親切にするくらいのことだったらできる。
 その親切は、たかが親切だが、されど親切で、とてもかけがえない。

 私は難病になったことで、そうした親切がいかにありがたいものか、身にしみた。
 難病になっても、こうやって生きてきて、仕事もできているのは、親切な人たちがいてくれたらこそだ。
 もし、人に愛されなくては生きていけないとしたら、これはとてもじゃない。生きていける気がまったくしない。
 愛してくれなんてずうずうしいことを願う気持ちはないが、親切にはしてほしいと、すごく思う。

ヴォネガットの人生

 愛が大切というような言い方に比べて、「愛は負けても、親切は勝つ」というヴォネガットの言い方は、すごく現実的だと思う。シビアなほどに。
 きっと、かなりきつい体験をしてきた人なのではないかなと思ったら、やはりそうだった。

 大学生のときに、ちょうど第二次世界大戦の最中で、ヴォネガットは陸軍に配属され、歩兵としてライフルを持たされて戦場に出される。そのことのショックもあって、彼の母親は、母の日に自殺してしまう。
 ヴォネガットはドイツ軍にとらえられ、収容所に送られた。なんとか生き延びるが、味方の軍の空襲で死にかける。スローターハウス5という名前の地下の食肉倉庫にこもることで、なんとか助かっている。

 戦争が終わって、サラリーマンになって、妻との間に3人の子供ができるが、姉夫婦が亡くなってその3人の子供も引き取ることに。8人家族になり、生活は大変だった。
 離婚して再婚もしている。そのとき、再婚相手の子供も1人、引き取りる。

 なんとか一発当てようと、新しいネクタイを考えて、シャツ会社に売ろうとするが失敗。新しいゲームを考えようとして、これも失敗。自動車販売店を開くものの、これも失敗。
 小説を発表するが、なかなか評価されなかった。ようやく評価されたのは47歳のときで、もう執筆をやめようとしていたときだった。
 その後もいろいろと苦労していて、家が火事になって死にかけたりもしている。

 そういう人が、人生でいちばん大切だと思うことは、「親切」だったわけだ。

 ヴォネガットは『スラップスティック』(ハヤカワ文庫)という作品の中で、こう言ってる。浅倉久志の訳。

「あなたがたがもし諍(いさか)いを起こしたときは、おたがいにこういってほしい。『どうか──愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに』」

 忘れないようにしたい言葉だ。


ちょっとオマケ

 もうひとつ、私の好きなヴォネガットの言葉を。
 ヴォネガットは、ブルースやジャズがとても好きだった。

 ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、その部屋の隅に追いやることはできる。どうか、よく覚えておいてほしい。

『国のない男』金原瑞人訳(中公文庫)


 音楽で絶望を追い払えるとまで言ったら嘘になる。でも、「部屋の隅に追いやることはできる」。なるほど、それくらいなら、できるかもしれない。
 愛せと言わず、親切にしろというヴォネガット。
 絶望を追い出せと言わず、隅に追いやれというヴォネガット。
 壮絶な人生に裏打ちされた、とても現実的な言葉は、なんとも味わい深い。



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