原点: 最強の初心者
「敵は己の中にあり」
当時まだ17歳。
いまよりもっと蒼く、だけども、もっと広いフィールドで生きていたときに口にした言葉。
その存在を敵として定義してしまったからだろう。
とてつもなく巨大で、飲み込まれそうに真っ黒いなにかとして現れるようになった。
なにかを掴み、突破口が開けそうになる度に現れるそいつがようやく、他の誰でもない自分自身だったことに気づいたのがつい最近。
自己中、ワガママ。
ずっととらわれ続けてきた言葉を、でもそれが自分だからしょうがないと笑い飛ばせたのが最初の変化。
一度殻を破ってしまうと楽なもので、その後も余計なメッキが剥がれ続けている。
ここ最近での一番は、自分を変えるための渡米であったはずなのに、それ以前を未だ理想像として掲げていることに気付いたこと。
曲がりなりにも代表キャプテンにまで上り詰めた自分を、まるである種の完成形であるかのように捉えてしまっていた。
完璧な人間など存在しない。
周りをみながらは容易に言えることが、自分自身に対しては灯台下暗しとなるようで、それがいらぬ意地とプライドになってしまっていた。
必要以上に自分を大きくも小さくもしない、等身大でみえるレンズに変えて振り返ってみた時、自分はサッカーにおける才能というものを生まれ持った人間ではないように映る。
チームスポーツにも関わらず、周りに興味を持てず、みんなといる間も自分世界を展開してしまう癖。
武器だと思っていたピッチでの俯瞰力には発動条件があるようで、立ち位置が変わると暴走モードに切り替わる。
脳筋的に解決してきたツケとして身体は歪みまくり、最後には前十字を切った。
あげ出したらキリがなく、本当の自分を知れば知るほど、これでよくいままでの道を歩んでこれたものだと。
よくもわるくも、若さとは目を狂わせるほどに眩しく、輝かしい財産であるようだ。
周りが求める回答を導き出し、それを演じきることが賢さだと信じていた10代。
それまでの自分を悔い改めるかのように、自身のコンフォートゾーンを飛び出し、文字通り一からの再スタートを切った20代。
知的好奇心に駆られるまま、有り余る体力であらゆる境界を越え続けてきた道を、本当の意味で振り返り始めたのが30代。
16,000字も書きながら、ほとんど触れることがなかったアメリカ時代。
課題思考型なため、前回での振り返りの内容にはあまり反映しなかったが、当時を少しだけ正確に捉えられるようになったので、その決断は間違ってはいなかったのだと思う。
なんの心配もなくサッカーを勉強に打ち込める環境のおかげでまさに水を得た魚状態。
フィールドに住んでいると噂されるくらいにボールを蹴り続け、それでもカレッジスポーツの過酷なシーズンをフルで出場し続けられる体力もあった。
そしてなによりは、自身の選択を無理矢理にでも正解にこじつけるかのような勢い。
記憶とはハイライト集のようなもので、案外自分にとって都合のよい部分しか残らないもの。
若さゆえによるものを、自分自身だけに与えられた特別ななにかのように勘違いをし、必要以上に自分を大きくしては現実とのギャップに苦しんでいた。
よく自分で人生をハードモードにしていると言われるが、その理由をようやく理解できた。
起きた事象としての過去は変えられないが、それぞれの経験をどう捉え自身の行動に反映するかという点ではいくらでも過去は変えられる。
振り返りをはじめた当初、自分がこの程度の人間であるはずがないと、いまの自分への物足りなさを過去の産物で補うかのようだった。
自分というものはまだまだ未完な存在である。
そのことに気付けてからは設定が初心者モードに戻ったようで、毎日が新たな発見と成長の連続。
今日話していて知ったが、どうもたまちゃんには5月まで待ってほしいと伝えていたらしい。
年代別代表時のときの発言もそうだったが、何気なく発した自分の言葉に乗せられることがよくある。
自分では忘れていたものの、中途半端な自分に飽き飽きしていたこともあり、元々のリリースにあった8ヶ月は徹底的に自分を再構築する期間にしようと考えたのだろう。
なにも見えないスタートではあったものの、振り返ってみるとあっという間で、これまでのどの経験にも負けないほどのきらきらを、それも両手からこぼれ落ちるほどに拾い集められた。
サッカーがうまくなる喜びだけを純粋に噛み締めていた頃へ原点回帰。
まずは若かったころの自分を、より確かな思考を持って超えていこう。
最強の初心者ってどういう表現をするんやろ。
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