だいじょうぶだぁ
来週の月曜日、息子のMRI。
MRIを前にすれば、相も変わらずざわつきさんがやってくる。
ざわわ~ざわわ~ざわわ~
ん?何か違う??
そんな時は「だいじょうぶ」の言葉がよく似合う。
人は「だいじょうぶ」という言葉を好む。
日本人にはこの「だいじょうぶ」がしっくりくる。
それを証明したのがこのお方。
だっふんだぁも変なおじさんもひとみばあさんもそれなりのクオリティで再現できる私なのだが、昨日、ひさびさにスタエフでライブ配信をしたらものすごい良いことを言ってしまったのだ。
こ、こ、これは大発見だ!
でも40分以上の音声配信を聴いてもらうのはほんのり気が引ける。
こんな時こそ「文字化」せねばならない。
さて、私が何を発したかというと・・・
「だいじょうぶ」と己のマインドに叩き込もうが、無理な時はムーリーなわけで、無理って思うからムリなんだよって言われても、いやいや、そのくだり百万回やってきたわ!ってちょっとキレ気味に突っ込みたくなるくらい、私は「だいじょうぶ」を手に入れるために必死だった。
そう、私の手に入れたい「だいじょうぶ」は息子の未来。
どの未来が正解なの?なんてわからない。
未来に正解なんてない。
明日がどうなるかなんてわからないって生きてきた。
それでもやっぱり息子が望む明日を過ごせるようにって願う。
親の切なる願い。
(願うと現実ではないから、過ごせるようにではなく過ごすと言い切ったほうがいいとスピリチュアル界隈では言われているが、私はあまりピンと来ない。わたしゃ、人間だよ。ただの人間だ。願うことを否定するのは何か違う気がするんだ。と、()の中でちょっと噛みつく)
で、親の勝手な願いはさておき、大切なのは、息子本人が創り上げる世界である。
親と言えど、息子の人生にしゃしゃり出たらあかん、なめたらあかん。
けれど「したい」よね、何か「したい」んだ。
何ができるんだろう、何をしたらいいんだろうって、これまた百万回悩んできた。
そうして、猪突猛進あちこちぶつかりながら、たどり着いた先にあったのは「良さげな波動」を私がまとうこと。
一番近くにいる存在の波動が良ければ、きっと良いに違いない!!
間違いない!!
彼を取り囲む「波動」が心地よければ、心身ともに健やかなり!
何年もかけてようやく気づいたの、コレだけ。
気づいてちゃんと手に入れたけれど、MRIというたった3文字で「どよよん」波動になっちゃうのよねー。
これを無理やり「きららん」とか「るるるん」にしようとしても、うまくいかないの。
そんな時は誰かが言ってくれる「だいじょうぶ」で補完してもらえばいい。
ここ、これ。
これが昨日の私の言葉。
なんとなくわかっていたけれど改めて「あーほんとそれ!」って感じました。
みんながみんな、いろんな時があって、どうしたって訪れる「どよよん」な時は「だいじょうぶだよ」って声をかけあいたいな。
ともすれば「あなたに何がわかるのよ」って言われちゃうかもしれない恐怖心はあるけれど、それでも届けたい「だいじょうぶ」
そしてどんなどよよんでもその「だいじょうぶ」をまっすぐ受け止められる自分でありたい。
こうして続くお互い様ってすごく良いなぁって思う。
noteでもスタエフでもそんなやりとりができるようになったと鬼の如く実感しております。
というわけでみなさんからの「だいじょうぶ」募集しちゃいます。
図々しさは天下一品。
ここでもらえる「だいじょうぶ」はすっごくあったかいって知ってるから素直にお願いします。
コメント欄はフルオープン←それ、いつも
「コメントください」「だいじょうぶって言ってください」って書くつもりじゃなかったのに、打ち続けたらこんな感じになっていました←
え?コメントなかったらショックじゃないの?って気になります?
ドMだから問題なし。
それにきっと何人かはくれるはず(笑)
もらえなかったら直でお願いする可能性アリ(爆笑)
まずは私から届けます。
トップバッターで受け取ってね。キッコロさん。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?