見出し画像

「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その1~

タイトルが長いよ。。。そして本文も長くなってしまった。
とても短く納められそうにないので何度かにわけてみる。
当時の手書き日記をテキスト化するだけのつもりが、自分の内面をテキスト化するという壮大な試みになってしまった…代わりに誰かにまとめてもらえれば良いのだが、こればかりは自分でないと無理だ。
だから日本一周した当時の手書きの日記をテキスト化する前にどうしても書いておきたい。思い入れが強すぎて想像以上にサラッと書けないが。

なんで「バイクで日本一周」をあらためて振り返ろうなんて思うに至ったか?

そうしようとした過程を紐解くには自分の少年時代から青年時代を書かなくてはならない。
今まで客観的に自分の青春そのものを俯瞰して整理出来なかった。
整理してしまうと、本当は重要な当時の感情まで間違って捨ててしまうんじゃないと、そんな気分だった。
だから30年も総括出来なかった。でもまとめておいたほうが良いと思った。
実は昨年、母方の叔母が脳溢血で急死し、82歳になる父がガン闘病した。
幸いにも父の手術のほうは成功して術後の経過も良好で元気だ。あらためて身内の死に近づく体験をすると、自分の生死や死後残される家族や友人の事を考える様になった。自分の終わりが想像していたよりもずっと身近にあると感じた。
僕は今年で53歳になる。平均寿命まで生きられても残りの人生は三十数年前後かな?
だから30年も総括出来なかった昔の自分の感情と向き合っておきたい。
そう思う様になった。

さて、なんで「バイクで日本一周」なんてしたのか?

簡単に言えば、バブルな日本の雰囲気「自分探しブーム」に乗り決断を先送りにしたかったんだと思う。
一生懸命に格好つけながら前向きに逃げ回っていたのだ。実に格好わるい。

「何にもない自分」に何でも良いからレッテルを貼りたかったんじゃないか、とも思う。
肩書きは嫌いだから、レッテルじゃなくハッタリをかましたかったのもしれない。
強がり、ツッパリ、自分を大きく魅せたい。
バイク日本一周をした理由の正体はそんなところ。
総括してみると実は一言で済む話だ。

掃いて捨てるほどある話だ。だけど、バイクに乗ってその土地へ行かなければ出会わなかった人たちとの交流が今の自分をつくっている。日本一周の話に絡み付く全ての人との想い出や当時の感情は捨てられない。
だからこそ簡単に総括できない。

捨てられないと言いながらも少しは人間的に成長して過去の感情を上手く昇華していける度量だけはついた。
自分で自分を許す。あきらめるのとは違う自分の駄目さを飲み込む事は出来る様になった。
だから書いてみよう。書いてどうなるかわからないが、書かなければ更にわからない。
キックレバーを踏みおろし、一速にシフトレバーを入れ静かにクラッチレバーを繋ごう。
不安定な二輪に重い荷物をくくり付け不安な気持ちを抱えて走り出した日のように。
今度はハッタリじゃなく、正直に自分を全部さらけ出せ。
キックレバーをキーボードに変え、ケッチンを恐れずに何度でも踏みおろせ、キーを叩け。

~その2~へ続く!

https://note.com/kasutaro/n/n3acb912013d1

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?