カス太郎

グラフィックデザインを生業にしております。言葉も好きなのでnoteを始めてみました。 …

カス太郎

グラフィックデザインを生業にしております。言葉も好きなのでnoteを始めてみました。 伝わると伝わらないの隙間にジワジワ染み込めれば幸いです。

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その1~

タイトルが長いよ。。。そして本文も長くなってしまった。 とても短く納められそうにないので何度かにわけてみる。 当時の手書き日記をテキスト化するだけのつもりが、自分の内面をテキスト化するという壮大な試みになってしまった…代わりに誰かにまとめてもらえれば良いのだが、こればかりは自分でないと無理だ。 だから日本一周した当時の手書きの日記をテキスト化する前にどうしても書いておきたい。思い入れが強すぎて想像以上にサラッと書けないが。 なんで「バイクで日本一周」をあらためて振り返ろうな

    • またあしたもあそぼうね

      8年前のミクシィの日記をみてみたら、当時6歳の次男坊の事が書いてあって、今読んだら迂闊にも自分の日記で泣きました。😅 以下コピペ。 去年の今頃こどもがハムスターを飼いたいと言い出した 同じ学童に通う友達の家でたくさんハムスターの子どもが生まれたので それを誰かにもらって欲しい、と張り紙が出ていた 自分たちで面倒見るなら良いよ とオッケーしたが 案の定、一月しないで飽きて子どもたちは世話しなくなった 当然世話は父親の仕事となる そういえば私の父親もインコとか

      • 1991年バイク日本一周旅 【6/59日目】

        この記事は、1991年、僕が22歳から23歳の時に行ったバイク日本一周旅の手書きの日記を、2021年現在53歳の私が、当時の手書きの誤字脱字もそのまま恥を承知でテキスト化したものです。しばし1991年の時代の空気と、当時の旅好きバイク好きな若者達の青臭さと世間の人情にお付き合いください! 1991年バイク日本一周旅 【6/59日目】1991年4月29日(月)20:55  宿泊地:五色台国民休暇村キャンプ場 昨日は最高の気持ちで寝ると今日は最低の気持ちで目覚める。 5:3

        • 1991年バイク日本一周旅 【5/59日目】

          この記事は、1991年、僕が22歳から23歳の時に行ったバイク日本一周旅の手書きの日記を、2021年現在53歳の私が、当時の手書きの誤字脱字もそのまま恥を承知でテキスト化したものです。しばし1991年の時代の空気と、当時の旅好きバイク好きな若者達の青臭さと世間の人情にお付き合いください! 1991年バイク日本一周旅【5/59日目】1991年4月28日(日)20:09  宿泊地:煙樹浜キャンプ場本日は早く目覚め。なんと5:30。アラームより30分も早い。無理に寝ていようとし

        • 固定された記事

        「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その1~

        マガジン

        • 1991年のバイク日本一周
          11本
        • 雑文日記
          4本
        • ものがたり
          1本

        記事

          1991年バイク日本一周旅 【4/59日目】

          この記事は、1991年、僕が22歳から23歳の時に行ったバイク日本一周旅の手書きの日記を、2021年現在53歳の私が、当時の手書きの誤字脱字もそのまま恥を承知でテキスト化したものです。しばし1991年の時代の空気と、当時の旅好きバイク好きな若者達の青臭さと世間の人情にお付き合いください! 1991年バイク日本一周旅 【4/59日目】1991年4月27日(土)20:48  宿泊地:那智勝浦グリーンピア南紀 藤木屋さんにて6:60起床。なぜかテントの方が良く眠れた。 ニュー

          1991年バイク日本一周旅 【4/59日目】

          1991年バイク日本一周旅 【3/59日目】

          この記事は、1991年、僕が22歳から23歳の時に行ったバイク日本一周旅の手書きの日記を、2021年現在53歳の私が、当時の手書きの誤字脱字もそのまま恥を承知でテキスト化したものです。しばし1991年の時代の空気と、当時の旅好きバイク好きな若者達の青臭さと世間の人情にお付き合いください! 1991年バイク日本一周旅 【3/59日目】1991年4月26日(金)20:35 外は雨 踏切の音ガタゴトの音 宿泊地:鳥羽市藤木屋 5:00にアラーム。5:30起床。山に囲まれている

          1991年バイク日本一周旅 【3/59日目】

          1991年バイク日本一周旅 【2/59日目】

          この記事は、1991年、僕が22歳から23歳の時に行ったバイク日本一周旅の手書きの日記を、2021年現在53歳の私が、当時の手書きの誤字脱字もそのまま恥を承知でテキスト化したものです。しばし1991年の時代の空気と、当時の旅好きバイク好きな若者達の青臭さと世間の人情にお付き合いください! 1991年バイク日本一周旅 【2/59日目】1991年4月25日(木)19:35 朝雨 昼頃から晴れ 宿泊地:岩倉ダムキャンプ場諏訪湖キャンプ地から退去。雨の中の準備はヒサン。10℃雨の

          1991年バイク日本一周旅 【2/59日目】

          1991年バイク日本一周旅【1/59日目】

          この記事は、1991年、僕が22歳から23歳の時に行ったバイク日本一周旅の手書きの日記を、2021年現在53歳の私が、当時の手書きの誤字脱字もそのまま恥を承知でテキスト化したものです。しばし1991年の時代の空気と、当時の旅好きバイク好きな若者達の青臭さと世間の人情にお付き合いください! 1991年バイク日本一周旅 【1/59日目】1991年4月24日(水)20:32 雨 宿泊地:諏訪湖西R20沿い公園7:30起床 昨日は「フィールドオブドリームズ」を見ながら寝てしまった

          1991年バイク日本一周旅【1/59日目】

          「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その4~

          上司に「退職したい」、と相談をした際は「もう一度良く考える様に」と一度は引き止められた。 実際僕は何も考えていなかった。それで改めて考えて退職の意思を一度は反古にした。考えたっていうか、退職のメリットがあるか無いかを頭で算段しただけだったが。 上司は安心して「では、心機一転がんばる様に」と、退職はなかったことに。 しかし、それから一年も勤続意欲は保たなかった。 職場である工場の夏の暑さと自己嫌悪とストレスで胃腸を壊した。 工場のトイレにしゃがみながら、ふと高専時代の17歳

          「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その4~

          「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その3~

          そうこうしているうちに守ってもらっていた自由な時間、学生生活も終わりへのカウントダウン。 就職するのか、さらに学生生活を続けるのか、決断しないと。 当時の高専の卒業生はほぼ就職する状況だった。 時代もバブル真っ盛り。人材はいくらでも必要な時代。 僕はといえば、映画製作の世界に憧れていたので「日本映画学校」に入学したかった。だけれども実家はそこまでお金があるわけでもなく、自分で稼ぎなら通学する覚悟もなく。だから就職してお金をためて映画学校に入ろう、ってことで自分のモヤモヤを一時

          「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その3~

          「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その2~

          さて少年時代から青年時代である。 今になって冷静にあの頃の自分を振り返ると「それしかない、やるしかない」そんな近視眼的選択肢、勢いだけで突き進んでいた。二十代の手前や前半の男子なんて大体そういうもんだろう。 十代後半を男子しかいない工業高専機械科クラスで過ごした。 担任の先生からバイク通学する奴は読めとクラス全員に渡されて読んだ浮谷東次郎の「がむしゃら1500キロ」にすっかり感化され、独立自立心に火が付き、バイトを始めた。17歳の夏にクラスメイトをバイク事故で亡くした。それ

          「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その2~

          さあ、始めないと、始まらない

          ずっとやらなきゃ、やりたい、やれたらなあ、と先延ばしにしてきた事の決着をつけないだなあ、とココに決意表明!というほどじゃないけれど…書き込み残します。 それは、私が1991年の春から夏、22歳から23歳になるわずか数ヶ月の記録。バイク日本一周中に記した手書き日記のテキスト化だ! いやあ、簡単カンタン! いやいや、これねえ、他人の日記のテキスト化なら全然すぐに終わるでしょう? でもコレ本人が、本人の過去を遡るから記憶や感情が付き纏うからなかなかに難事な気がするんすよねえ

          さあ、始めないと、始まらない

          にんげんほいく

          2012年3月に長男が学童保育からも卒所した時の日記です。当時父である私は学童保育の保護者会の会長をやったりして長男自身と時間を取る事はあまり出来ていなかったと思います。すでに大学3年生の長男は、その後高校生になった時から現在まで彼自身が過ごしたその学童保育所で当時保育をしてもらった学童指導員(いまは学童保育支援員と呼ぶ)と肩を並べてアルバイトをしています。大学生となった今でも人間として仕事として学童保育で成長させてもらっている。学童保育は彼にとって大切な稀有な場所なのでしょ

          にんげんほいく

          捕球

          〜2011年の日記から発掘しました〜 お正月に子どもたちに 軟式用の野球グローブを 買ってあげました。 すでにカラーボールとか用の 安いグローブはありましたが、 サイズも小さくなり だいぶ前からねだられていました。 売り場には少年野球用と称しても ずいぶん高価なものもありましたが そこそこの(と言っても約3千~4千円もする) ものを買ってあげました。 兄弟ですぐにキャッチボールを始め 朝も早くから近所の公民館の前で キャッチボール。 休み

          無駄は本当に無駄なのか

          美味しいワインや美味しいカレー。 つくるのに時間がかかるものですが、だから美味しくなります。 時間をかけないと味がバラバラになります。 時間をかけるとまろやかになります。 まろやかさは、実は別々のものが複雑に入り混じって熟成されるもの。 急いては事を仕損じる。 現代とはまったく逆の価値観ですが、昔の人の方が自然と生活の中で物事の本質に気付いて大事にしていたと思えてなりません。 時間と争うと、時間にしっぺ返しを食らいます。 時間と協力すると、時間

          無駄は本当に無駄なのか

          天国と地獄を発明した事の良い点と悪い点

          現在ここにないもので人間が死んだ後にしか見ることができない世界がある。 それが天国と地獄である。 あるかどうかわからないから本当はあるとは言えないが、あるかも、あるんじゃない?的な説得力があるのは、死の恐怖と天国と地獄が表裏一体であるからだろう。 ここにないものを創造することで、ここにある物事や考え方を再認識させたり倫理観や生活観までをも巻き込んで影響をあたえたことは人類最大の発明ではないか? 話は少し変わるが、広告評論家の天野祐吉氏は著書「私設 広告五千年史

          天国と地獄を発明した事の良い点と悪い点