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大切な人へのプレゼントを選ぶときに意識したいこと

もうすぐクリスマス!

いったい何を贈ったらあの人は喜んでくれるのだろうか、などと考えつつプレゼントを選ぶのは、なかなか楽しいものです。

そして、相手に手渡す時のドキドキ感。

まさか、いらないって言われない?

ニッコリ微笑んでくれるかな?

・・・贈る喜びは、思ったよりも大きなものです。

今日は、哲学者であり教育者でもある近内悠太さんの著書「世界は贈与でできている」を引用しつつ、贈ることについて考えてみます。

世界は贈与で

人間の「こころ」の力動の機微をとらえる近内さんのセンスには肌の温かさと機械の精緻さがある
――茂木健一郎(脳科学者)

私は結婚して33年になりますが、その間、妻の誕生日、クリスマス、結婚記念日のプレゼントは、たぶん一回も欠かしたことはありません。

でも最近は、何かドキドキ感が減ってる?

この本を読んで、今年のクリスマスプレゼントは、もっと肌の温かさとサプライズ感を演出してみたいと思ったのです。


贈与とは「お金で買うことのできないもの」

近内さんは、「贈与」を次のように定義しています。

「世界は贈与でできている」P4
お金で買えないものとは何であり、どのようにして発生し、どのような効果を僕らにもたらすのかが分かっていない。(中略)
本書では、このような、僕らが必要としているにもかかわらずお金で買うことのできないものおよびその移動を、「贈与」と呼ぶことにします。

「お金で買うことのできないもの」とは、いったいどんなものなのでしょうか?

たとえば、あなたの大切な人が、あなたのためにプレゼントを買い、記念日に手渡してくれたとします。

そのプレゼントは、もとを正せば明らかにお金で買ったものですが、受け取った側からすると、自分でお金を出して買ったものとは違う特別な何かを含んでいると感じるはずです。

「世界は贈与でできている」P22
そこには、モノとしての価値、つまり商品としての価値からはみ出す何かがあると無意識に感じるのです。商品価値、市場価値には回収できない「余剰」を帯びると言ってもいいかもしれません。(中略)
重要なのは、「その余剰分を自分自身では買うことができない」という点です。なぜなら、その余剰は誰かから贈られた瞬間に初めてこの世界に立ち現れるものだからです。(中略)
だから僕らは、他者から贈与されることでしか、本当に大切なものを手にすることができないのです。
「自分へのご褒美」という言葉の空虚さの理由がここにあります。


「賢者の贈り物」

オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」を読んだことのある方は、おそらく、たくさんいらっしゃるかと思います。

この物語に登場する夫婦は、なぜ賢者なのでしょうか。

 「賢者の贈り物(オー・ヘンリー作)」のあらすじ

デラとジムは、とても貧しい夫婦でしたが、二つの誇るべきものを持っていました。

一つは、ジムの金時計。祖父から父、そして彼へと引き継いだもので、とても素晴らしい時計でした。
ただ、ちょっと残念だったのは、鎖の代りに古くてみすぼらしい皮紐をつけていたことです。

もう一つは、デラの髪。
彼女が髪をとかすと、美しい髪が褐色の小さな滝のようにさざなみをうち、 輝きながら彼女のまわりを流れ落ちていくように見えるのでした。

明日はクリスマスです。

二人がパートナーのために買ったものとは・・・

デラは、愛する彼のために自慢の美しい髪を売り、彼が大切にしている金時計用の上品なプラチナの鎖を買いました。

ジムは、大切にしていた金時計を売り、デラの長くて美しい髪に似合う宝石の縁取りが施された亀甲の髪飾りを買いました。

そしてクリスマスの夜、二人は愛のこもったプレゼントを贈り合います。行き違いで、使いどころのなくなってしまったプレゼントを。

この物語の最後に、オー・ヘンリーはこう締めくくっています。

「贈り物をやりとりするすべての人の中で、 この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。 世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。 彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。」

近内さんがおっしゃっていたことを、思い出してみましょう。

「世界は贈与でできている」P22
そこには、モノとしての価値、つまり商品としての価値からはみ出す何かがあると無意識に感じるのです。商品価値、市場価値には回収できない「余剰」を帯びると言ってもいいかもしれません。(中略)
重要なのは、「その余剰分を自分自身では買うことができない」という点です。なぜなら、その余剰は誰かから贈られた瞬間に初めてこの世界に立ち現れるものだからです。

デラとジムの贈り物は、モノとしての使いどころを失ってしまいましたが、逆にその分、余剰分が際立つ結果になりました。

「自分自身では買うことができない」余剰で満たされたと言ってもいいかもしれません。

私たちも、パートナーが一生懸命に選んでくれたプレゼントや、手間暇かけて手作りしてくれたプレゼントをもらうと、より感激します。

余剰を意識し、さらに肌の温かさをプレゼントに十分に込めることができれば、パートナーにより喜んでもらえる可能性が高まりそうです。

もう一つポイントがあります。

デラとジムは、相手からの見返りを求めてはいません。

「これをあげるから、あれをちょうだい」というギブ&テイクの関係ならば、そもそもこんな行き違いは起こらなかったでしょう。

この物語は、その行き違いがあったからこそ、輝きを増したのです。

・・・

大切な人に贈り物をするときは、ギブ&テイクの論理に巻き込まれないよう、注意が必要です。

「世界は贈与でできている」P50
「助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?」
これがギブ&テイクの論理を生きる人間のドグマです。
要するに「割に合うか合わないか」で物事を判断する態度です。
割に合うなら助けるし、仲良くする。割に合わないなら、縁を切る。
他人を「手段」として遇する態度です。
問題は、僕らは、自分のことを手段として扱おうとして近づいてくる人を信頼することができないことです。

時には、「私はあんなに高いプレゼントをあげたのに、あの人は、こんなものしかくれなかった。割に合わない」ということも・・・。

気持ちは痛いほどわかりますが、そう思うのは、その相手があなたにとってギブ&テイクの関係にすぎなかったということでは?

・・・「いや、それは違う。私の大切な人だ」と思うのであれば、一度贈与について見つめ直すのもいいかもしれません。

「世界は贈与でできている」P7
だから、贈与に関する新しい言葉と概念を得て、贈与の原理を知ることで、行動と生活が変わり、僕らにとって大切な人たちとの関係性が変わるのです。
まったく新しい関係性になるというのではなく、大切な人たちと出会い直すのです。

「世界は贈与でできている」は本当に深い本で、とても感動しました。でも、私の理解がまだまだ足りないのと稚拙な筆力のせいで、思ったことをうまく書き切れなかった気がします。

NewsPicksさんのnoteで、まえがきと第1章の全文を読むことができます。ぜひご覧ください。

嬉しいことに、近内悠太さんもnoteを書いていらっしゃいました。


さ~て、クリスマスプレゼントは何にしようかな。

妻は、こんな感じでクリスマスを心待ちにしています。つられて私も、なんだかワクワクしてきてきました。

妻のコピー

ラストは、Jess Glynne の「This Christmas」をお聞きください。


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