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【近未来SF短編】AI暴走〜都市の空虚危機 第3話(最終話)



 里図はそっと背後を振り返った。AI警備は停止している。傍らに立つのは長い黒髪の美しい少女だ。17歳くらいだろうか。全身を黒いワンピースに包んでいる。黒いストッキング、黒い革靴。黒い革のバッグ。

「私の名は宮川ありす」

「え?」

「深夜から聞いているでしょう?」

 里図は黙ってうなずく。

「ついて来なさい。非常用キーがあるから」

 ありすは非常階段前のゲートを開けて、非常階段の電子ロックも外してくれた。扉を開けると、まだ深夜が立っていた。出てきた二人を見て、心底驚いている。驚きと、それに歓喜。

「里図! よかった。良かったよ!」

 深夜はありすに気がついてはいたが、目の前で里図を抱擁した。

「どうやらテストは合格ね」
 
 宮川ありすは二人の様子には心動かされない様子だった。内心はどうか分からない。見た目には、冷ややかとさえ言える素振りに思えるほどだ。

「テスト?」

「システム依存症のテストよ」

「まさか、これがわざと仕組まれたことだっていうのか?」

 深夜は言った。

「違うわ。プログラミングのミスが重なってこうなったのは事実よ。前からあったの。すぐに助けに来なかったのは、テストをしようと考えたから」

「助けに? ありすが? そもそも何故ここに?」

 あからさまに不審げに元彼女を見る深夜をさり気なく静止して、里図が口を出す。

「宮川さん、助けてくださったのはお礼を言います。ありがとうございました。本当に助かりました。でも、そのテストについて話してくださいませんか? 貴女はこれにどんな形で関わっているんですか?」

「交通管理局には、我が社ISRインターナショナルの機器とプログラミングツールが導入されているわ」

 ありすは一言だけ。それで全てが分かった気がした。

「ほ、他の人は無事なのか?」

「さあ、分からないわ。死んではいないと思うけれど」

「ありす!」

「深夜、抑えて」

「大事(おおごと)にはしないでね。管理者にとっても責任問題よ」
 
 ありすは深夜に淡々と告げる。

「そうだよ、だから再発防止を。実験なんて、許される事じゃない!」

 ありすは黙って答えない。

「これはおれへの意趣返しなのか?」

「意趣返し? 違うわ。ずいぶん自惚れているのね。あなたと私は終わったこと。いずれあのようになるのは分かっていた。あなたは、私達とは『人種』が違うから」

「人種?」

 深夜ではなく、里図の声だ。深夜とありすは、同じ日本人。同じモンゴロイドとしての若い美形の容姿を持つとしか見えない。

「あなたが考えるような意味ではないの。世界は、人権が保証され豊かに平和になってゆくわ。でも生活の基本ラインは守られても、格差はむしろこれからは広がってゆく。下の人たちの多くも、別に問題にはしない。自分たちの生活さえ安定して安楽でいられれば満足だからなの。上に行く者は放っておいてもそうするわ」

「上に『行く』者? 宮川家は20世紀からの旧家の金持ちだろ?」

「そんな事にあぐらをかいているような『豚』は、これからは下に下がるしかないわね」

 ありすの声も表情も冷たい。
 
「上に行く者はまず、システム依存症にはならない者よ。21世紀や22世紀初頭までなら、そうね、スマートフォンやインターネットの虜にはならず、能動的に使いこなせる者かしら。そのくらい出来なくては、AIによる自動制御全盛の現代は、間違いなくシステムの奴隷、囚われ人になるだけだから。何も底辺からはい上がれなんて話はしない。きちんと教育も食事も住居も時間もあって、それでも文句ばかりの者に、上に行く者を批判する資格はないと言っているの。人間らしく生きていく権利はあるわ。でも、少しはわきまえたらどうなのかしらね」

 ありすはここで間を置いた。

「私達はシステムの奴隷にはならない者を探している。システムを使いこなす側になる人間を。単にプログラマーだとか管理者であるだけでは不十分なの。里図さん、と言ったわね。貴女は合格よ。私は、心から満足だわ」

 ありすはそう言うと、不意に里図に抱きついた。里図の鼻孔を、微かな花の香りが満たす。ありすは、里図の唇に軽く自分の唇を触れされた。

「あ……」

 里図は黙り込んでしまった。嫌だとは思わなかった。今どきはこんな関係で変に思われることなどまずない。それとは別に、ありすからは妖しい蠱惑の匂いがした。

 不意に深夜がありすの傍らに立つAI警備にタックルをかました。機能を停止させ、AI警備を容易く床に転がす。電源が切れて動かなくなった。

「深夜!」と里図。

「深夜……?」ありすの、まさかという疑念。

「ありす、今の会話は録音させてもらった」

「深夜、まさか、あなた」

「システム依存になっているのは君の方だよ、ありす。いや宮川さん。こうするまで、AI警備を始めとする交通管理局の全システムが、自分を守ってくれると信じて疑っていなかっただろう? でも機能を一時停止させていると分かっていたから、スキをついて反撃も出来るさ」

 ありすの美しい顔が青ざめてゆく。

「ここはおれの職場だ。そのくらい対応できる。油断していたんだね、お嬢様」

 ありすは手持ちの警報機を鳴らした。

「宮川さん、無駄だよ。エレベーターのロックが掛かっている。掛けたのは君たちだろう? 人間の警備員もエンジニアも来られないよ」

「そんなこと……」

「観念してくれ、ありす」

 里図はそっとありすの手から警報機を取り上げて音を切った。

 後には静寂があるばかり。




「ISRインターナショナルの株は下がってるねえ。他の企業に買収されちゃうかな?」
 
 里図は、携帯タブレットに立体表示されるネットニュースを見ていた。

 ベイ・ヨコハマ。港町として知られる横浜の海の近くのアミューズメント施設だ。バーチャルリアリティや立体映像を駆使した最新型のゲーム機が各種取り揃えられている。

 里図は深夜と共に、遊覧船に乗って世界旅行をするバーチャルリアリティの中にいた。

「さあ?」

 交通管理局もあれから大変だった。深夜も一時は肩身が狭い思いをしていた。交通管理局のシステムに問題があったのは事実であり、彼にも責任が全くないとは見なされなかったからである。

「深夜、一ヶ月前までは大変だったよね。今日はあたしのおごりだよ。ここのお土産、ホテルの部屋で食べようね」

「ああ、ありがとう、里図」

「すごいね、あれがパリの凱旋門だよ。ナポレオン像も見える!」

「ロシアの冬将軍と焦土作戦に敗北したナポレオンか。どんなに優れた者も、天才的な英雄も、乗り越えられない何かがあるんだな」

「そうだね」

 遊覧船はゆらゆらと揺れる。心地よいバーチャルな春の微風。

「いい気分だね、深夜。次はとこに行く?」

「南の島がいいな。ニューカレドニア辺りで」

「それじゃ、遊覧船ワープ!」

 次の瞬間、紺碧の空と海が広がっていた。暑い、しかし爽やかさを感じさせる風。

「うはっー! 素敵! 泳ぎたい!」

 里図は、広々とした空間に囲まれてはしゃぎだした。

「さすがにそれは無理みたいだな」

 深夜はやや苦笑気味だ。でもこんな里図が可愛いとも思う。

「泳げるようになりたいなあ」

「今度はプールに行くか? バーチャルリアリティプールだ。南の島で泳いている気分になれるやつがある」

「そうなの? じゃあ一緒に行こうね!」

 バーチャルのニューカレドニアの日はたちまち暮れていった。オレンジの光も薄れ、星星の空が展開するのを二人は見ていたのだった。


終わり

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