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【近未来SF短編】AI暴走〜都市の空虚危機 第1話(3話完結)

 天高く空の彼方までビルはそびえ立つ。ビルは旧式だ。おそらくは22世紀中頃のデザインだろう。今は23世紀の初頭、半世紀は保ったわけだ。これからもしばらくは、そう数十年くらいは持つだろう。

 カナモリ深夜はただ十字路に立つ。彼はなかなかの美形だが、顔立ちを隠すようにつば付きの帽子を深くかぶっていた。飛び級で大学を出てから5年、今でも注目されるのは好きではなかった。贅沢な悩みだね、と恋人のミチムラ里図(りず)には言われた。そうなのかも知れない。

 この渋谷のメインストリート、かつてJRとかその前は国鉄と呼ばれていたステイションの前にある十字路に、自動制御の2階建てバスが通る。今や個人で車を持つ者は少ない。社用なら話は別だが。

 バスはかつて路面電車と呼ばれていた物に近いかも知れない。道路には専用のレールがあり、その上を走る。車も同じで、これで22世紀の初頭までとは異なり、交通事故なるものはほとんどが過去のものとなったのだ。良いことばかりでもなかった。その関係の保険はほとんどが廃止に追いやられたからだ。中には潰れた保険会社もあった。

 深夜はやって来たバスに乗り込んだ。時間通り、発着。AIにより管理された精密さ。もう人間の運転手がストレスで禿げることはない。こればかりは20世紀から変わらない、日本人のクレイジーなほどの時間への厳密さもこうして保たれる。諸外国では相変わらず、AI保守も比較的ルーズなままだ。そこには人間の能力がまだ必要だから、国民性がそのまま出てしまう。

 深夜はまさにそのAIを保守点検する仕事をしている。
 先日、ほんの3日前のことだが深夜の責任下にあるAIが暴走した。元々のプログラミングのミスによるもので、深夜のせいではない。のだが、暴走を確認した以上は、報告をしてプログラミングを修正させる必要があった。

 暴走したAIは人を降ろさないままバスを走らせ続けた。車内にいた人々はちょっとしたパニックになった。こんな時、運転手が必要ないバスも良いことではないと思い知らされる。代わりに緊急連絡ボタンがある。だがパニックになっていた人々は、誰もそれを押さなかった。

「やれやれ、これじゃ何のためのボタンだよ」
 深夜はため息をついた。いや、改善報告を出しておこう。こういう時、責められるべきは必ずシステムの側なのだ。不完全で頼りない人間の側ではない。
 それが良いことなのか?

 仮に良い事ばかりでないとしても、深夜にはどうすることも出来ない。多分、今晩のネットワークニュースでは、どこかの社会学者が人類のシステム依存に警告を発するだろうが、さしあたって深夜がやるべきことは対応力を失くした人間への批判ではなく、システムの改善である。

 そんなわけでせっかくの休日は潰れた。今日は恋人とデートだったはずだ。先約を破棄するのは心が痛む。彼女は快く許してくれたばかりでなく、仕事に向かう深夜を気遣ってすらくれたのだが。
 午前だがもう遅い時間帯だ。すでに10時半も過ぎている。

 いつもカバンに入れている携帯食料を口にする。キャラメルより少しは大きい。かすかにチーズ風味を乗せた乾パンの味。5個ほどを食べると、ゼリー飲料を流し込む。ほんのわずかに甘い、レモネードの味わい。それぞれに必要な栄養素が含まれている。ビタミン、ミネラル、それにたんぱく質なども。

「ありがとう、里図。助かったよ」
 思わずつぶやく。
 先月の誕生日に、恋人がくれた一年分の備蓄食料セットから二食分を持ってきたのだ。今、一食分を食べた。
「実用的過ぎるよね。もっと違うのがよかったかな?」
「いいや、これで充分だよ、ありがとう里図」

 23世紀になっても大災害は人間が完全に制圧出来るものではない。万が一に備えて食料などを貯めておくのは今でも普通の話だ。とは言え、職場の寮の備蓄もある。恋人からのプレゼントは、出掛ける時に持っていけばいいだろう。そう思った。

 恋人と言ってもまだ付き合って間もない。週に一度デートしてキスするだけで別れて互いの住まいに帰る。里図は港区の超高層マンションに暮らしている。親の仕事を手伝う傍ら、事務所兼自宅にいるのだ。そのマンションはメゾネットつまり二階分の住居があり、両親は二階に、里図は一階に部屋がある。里図の役目は家事万端も含まれる。お嬢様とは言え、楽でもないのだ。

「でもおれは里図がただの甘やかされたお嬢様でなくてよかったよ」
 市電バスに乗り、携帯連絡機で里図と話し始めた。
「前に付き合っていた女はそうだった。箱入りだけに繊細過ぎて扱いにくかった。はっきりと言えばいいところを遠回しに。それが上品な伝え方なのかも知れないがおれはイライラされられたよ」
 あまり愚痴を聞かせるのはよくない。そう思いつつ口にしてしまう。前の女の悪口を聞いて喜んだりはしないのは分かっていた。

「おまけに、言わんとする意味を汲(く)み取れないとこっちが悪者にさせられる。うんざりだった」
「そうなんだ。でもあたしは反対にはっきり言い過ぎるって言われたことあるよ」
「俺ははっきり言ってくれる方がいいよ。キツイ言い方とはっきりした言い方は違う」
「そうだよね。ま、相手にはキツく聞こえたのかも」
「前の彼女には、俺から別れを切り出した。別に泣かれたりはしなかったよ」
 ただ一言だけ、「そう」と言ってその場で二人がいたカフェの電子清算をして帰っていった。深夜の分も支払ってくれたのだ。それが最後だった。

 今どうしているだろうか。それが気になる。前のお嬢様彼女はありすと言った。宮河ありす。未練があるわけではない。別れて惜しいとも思ってはいない。まして二股を掛けたいとは決して思わない。それは誠実性だけでなく、面倒を避けたいからでもある。しっかり者で気の強い里図と、気位の高いありすを掛け持ちするなんて疲れるだけだ。

 それでも自分から別れを切り出したのだ。罪悪感と言えるほど強くはないが、ある種の心苦しさが今でも深夜にはある。ありすと別れてから、里図と付き合い始めてから、2ヶ月が経った。

「ありすお嬢様が今でも気になるんだねえ、深夜は」
「別に。どうでもいいよ」
「どうでもいいとは思ってないでしょ」
「いや、それより仕事の話になるけどいいか?」
「うん、何かあったの?」

 深夜はありのまま話した。自動制御のバスの暴走。その後始末にこの休日がつぶれただけでなく、当分里図にも会えないだろうこと。

「そっか。当分会えないか。仕方ないね」
 
 里図は少しだけ悲しそうではあったが、あっさりと許してくれた。

「必ず埋め合わせはするよ」

「いいんだよ、気にしないでよ。深夜のせいでそうなったわけじゃないもん。ま、深夜のミスだとしても、あたしに悪いと思ってくれてるなら許す! またベイ・ヨコハマでデートしようね」

「うん、本当にごめんな。じゃ、そろそろ着くんで切るよ。また連絡する」
 
 そう言って里図の返事を聞かずに切った。もうバスは深夜の職場の前で停まっていた。

「どうなっていますか?」

 主任の阿良々木蘭(アララギ ラン)に尋ねる。いつもと同じパンツスタイル。パリッとして折り目が入ったパンツに、上に着ているのは、カジュアルなスポーツウェアのTシャツとジャンバーだ。この時代、別に珍しくはない。

 飛び級で大学を卒業後、十代で交通管理局に入局してから50年のキャリアがあると聞くが、まだ50代くらいに見えた。

「今はプログラマーたちが点検をしている。最終的な確認はあなたの責任になるよ」

「分かりました、阿良々木主任。修正と確認は、10番線だけで大丈夫ですか?」

「ついでに11番も見ておいて。修正が終わったかはプログラマーに直接聞いて」

「はい」

 深夜は先に11番線が終わったかどうかをプログラマーに尋ねようと考えた。10番線も11番線も代理輸送が出ている。こんな時のための用意はもちろんあるのだ。

 線と線が重なる地点から、人間の運転手が補助用AIの助けを借りて運転するバスが発着する。全自動運転用のAIが復旧するまでは。

















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