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クレンザー KILL!KILL!KILL!【ホストファクトリー】

承前

 禍舞姫かぶき町。この街はいまはそう呼ばれている。歌舞伎と呼ばれた場所が名前を変えて久しい。かつて新宿区の一部分だった場所はいまや、東西南北に版図を広げていた。境目はことあるごとに武装勢力が衝突して曖昧になっているが、誰も気にしない。禍舞姫か、禍舞姫じゃないか。分かりやすい方が住人には楽だ。俺のマンションがあった場所も以前は川崎と呼ばれていたが、いまは禍舞姫だ。
 時間の流れは早い。
 屋上から街を見おろす。禍舞姫の中心に来るのは久しぶりだった。いつ来たのが最後だっただろう。しばらく記憶を辿っても思い出せない。
 それも無理はない。街の様相は変わっていた。かろうじて知っているのはゴジラがとりついたあのビルだけだ。
 ゴジラの向こうには一際大きい建造物があった。子どもが描いた馬鹿でかい牛のような見た目だ。足は爪楊枝レベルに細いのに、胴である歪な巨大直方体は宙に浮いている。どのように支えているのか見当がつかなかった。
 目を引くものはそれだけではない。
 街の中央では黒と白の巨人が二体、組み合っている。巨人の上には建築物がフジツボのようにくっついている。岩や山のような地形として認識されているようだ。
 視線を遠くにやると、巨人を囲むようにぎらぎらと幾つものビルが空めがけ伸びている。戦争のたびに崩れたビルを建て直し、また新しく作り変えるため、俺の知っている街並みとは別物になっていた。
 ビルのほとんどにはネオン看板や巨大液晶が設置され、訪れる人々の欲望を刺激する。一際高いビルの頂上にあるホログラム広告には華美な衣装のホストたちが手招きをしている。まるで自分たちと同じ頂点に誘うように微笑みかける。男も女もあの誘蛾灯に集まる。毎晩、何億もの金が消えていくのが信じられない。
 俺は再び巨人を見る。黒い巨人と白い巨人が互いの武器で貫きあって絶命している。見た目は幼い頃に見たロボットアニメを思い出すが、損傷した機体、武器が見掛け倒しではないと分からせる。かつて最も売り上げたホスト二人が造り、争った跡なのだという。
 空には月も星も見えない。ただ、街の明かりが煌々と輝いている。きっとホストたちは自分達の威光が眩しすぎるのだと嘯くのだろう。
 そう言う気持ちも理解できる。
 ホストこそ、この街で一番求められている欲望なのだ。そして、この街を統べる王である。
 俺は数時間前のやり取りを思い出していた。
 ブルータルジャックの脱走を聞いた後、俺とカナエは中心街に向かった。
 まず向かったのはカナエの勤め先だった。
 コールバーナー社のビルは竹のごとく断ち割られていた。鉄筋が剥き出しになり、切断面からは内臓のようにオフィス用品がこぼれ出ていた。
「ブルータルジャックだね」
「これを……ひとりでやったのか」
「あいつには準備運動にもならないよ、行こう」
 手元でキャリーケースが揺れた。中心街に来るついでにゴミ捨て場から拾ったものだ。
「あんたも会うんだよ。ブレインジャッカー」
 抗議するようにキャリーケースはガタガタと揺れた。なるべく目を引く真似はしたくない。俺はケースを蹴りつけて黙らせた。
「待ってくれ」
 ビルに近づこうとするカナエを俺は止めた。うろついていれば、他のクレンザーとかち合う危険があった。目当てのブルータルジャックも見つけられず、クレンザー達と殺し合うのは旨みがなかった。
「まずは隠れる場所と情報だ」
「やれるうちにやらないと」
「俺も君もボロボロだ」
 羅々々木にハンマーで殴られた左腕がまだ痛む。
 俺が無意識に庇うようにしたのを見てカナエが頷いた。
「……わかった。それなら仕方ないね。ちょうどいい場所があるよ」
 カナエが胸を張り、自信満々に言った。
 人混みを抜けた高台にそれはあった。
 やってきたのは奇妙な建物だった。灰色の櫛が重なり合ったような見た目の近代的なビルだ。店名は「Auguste」とあった。
「いらっしゃいませ」
 扉を抜けると、脇に立った背の高い男たちが会釈する。顔には仮面がはめられていた。
「なあ、ここは?」
「あたしが来るんだから。分かるでしょう?」
「ホストクラブなのか……?」
 ギラついた建物を予想していた俺は聞き返した。仮面をつけているのも妙だった。
 入店してまず武器を預けた。カナエが手馴れた様子で楽器ケースを手渡す。仮面をつけた大男が念入りに俺をチェックした。
 なるほど、これなら同業に襲われる心配はない。カナエが来たかっただけと早合点してしまったのを改める。ひとり頷く俺に大男が、キャリーケースを指差す。
 「ああどうぞ」俺がキャリーケースを持ち上げると中で唸り声が漏れて肝を冷やす。幸い大男の耳には入らなかったようだ。
「中身は?」
「医療器具だ」
 男は重さを確かめ、何度か頷くとロッカーに入れた。
「初回楽しいよ〜! いってらっしゃい〜!」カナエは花が咲いたように笑うと、長い廊下をずんずん進んだ。
「一緒じゃないのか」
「男と担当に会いにくる女ってどう思う?」彼女は口を尖らせた。
「それに、禍舞姫のことはホストに聞くのが一番。どんな街か知っておくといいよ」
 俺が返す前に、カナエは「来ちゃった〜!」と駆けていく。その先には長髪の仮面の男がいた。カナエを胸に抱くと頭をぽんぽんと叩いた。
「カナの連れ?」
「ううん! 全然知らない〜」
 やっぱり来たかっただけなんじゃないか? そう思っているうちに俺は空いた席へ案内された。
 足触りの良い絨毯も今は気まずく感じる。初めて人の家に来たような気分に似ていた。
 そもそも俺は店なのか判断しかねていた。Augusteは外観とかけ離れた雰囲気だ。円形で天井が高く、観客の代わりに高級ボトルが俺を囲んでいた。照明も凝っている。パステルカラーに発光する蛍光灯の両端にロープが取り付けられ、空中ブランコを模している。
 ホストクラブというより近未来のサーカス小屋だった。
「ルシオっす」
 俺の前に座った仮面の男が紙切れを渡してきた。画用紙に走り書きで「るしお」とあった。遅れてそれが名刺なのだと理解した。
「キョウだ」
 短く名乗り、乾杯した。
 高級ブランドのパーカーを着崩したルシオは振る舞いからかなり若そうに感じた。
「あんたもホストなのか」
「もちろんっす。見えないっすか?」
「ホストは顔で売ってると思ったからな」
「特別感っすよ。ほら、ホストクラブって別世界でしょ? 顔が見えたら近づきすぎちゃうんっす」
「客はどうやって指名するんだ」
 顔が自分の趣味に合うかは判断基準になるはずだ。
 ルシオが首を傾げる。仮面越しでも困った顔が見えるようだった。
「うちは指名制じゃないっす。俺たちが会いに行くっす。ここに来るのはみんな被りに飽き飽きした姫ばっかなんで」
 ルシオは俺の隣に座り、缶ものを注文した。
 「被り」、なぜか俺の頭の中で嫌な響きをもって残る。
「自分を認めてくれる男が他の女といるのが耐えられない子は多いっす。それを俺たちは助ける」
 それまで力の抜けていたルシオの声に、力がこもる。自分に言い聞かせるようにも聞こえた。
 聞こえはいい。だが、大事なものを隠している気がする。
「それは……弱った獲物を食い物にしてるだけじゃないか?」
 ルシオは飲みかけていた缶を置いて俺を見る。静かな視線は俺の思考を探るようだった。
 元よりホストは女から金を巻き上げる職業に見えた。カナエの脳が入ったとはいえ、ホストを完全に信じきることはできなかった。
 永遠に続きそうな沈黙は、ルシオの自嘲的な笑いで破られた。
「それでも……人が倒れてたら手を貸すものっすよ」
「金はとらないだろ」
「金をとらなきゃ助けさせない人もいるっす」
 店内のEDMが沈黙を埋めた。
 その後、禍舞姫についてルシオに訊いた。
「知っておくべきことは一つだけっす。この街の天辺には天地開闢がいるっす」
「天地開闢?」
「戦争を終わらせた伝説のホストっすよ」
「そいつが頂点だと」
「天地開闢によってヤクザは滅び、ホストの時代を作り上げたっす」
「それにしては……怪人や殺人鬼ばかりだ」
「新しい世界に混沌はつきものっすよ。キョウさんはなにやってるんすか」
「半分無職、半分クレンザーだ」
「わぁ、珍しいっすね」
「そうなのか」
「クレンザーでその歳まで生きてる人、あんま見ないんで」
 暗雲が立ちこめるように視界が暗くなる。俺は自分の胃が重たくなるのを感じた。
「みんな死んだのか」
 よはど俺の声が萎れていたのか、ルシオが背中をさすってきた。
「気づいたら見ないっていうか……やっぱ男のクレンザーはあんまり見ないっす」
「そうなのか……」
「中心街セントラルの男はホスト、女はクレンザーばっかりっす」
「男では見ないのか」
「女の子がほとんどっす。もともと風俗だった店が看板変えてクレンザーになったとこも多いんすよ」
「身体を張るってそう言うことじゃないだろ」
「みんな命懸けっすから」
 仮面越しにルシオが笑う。
 命懸け。それすら自分の運命の終わりを指し示してるように聞こえる。背中に薄ら寒さを覚えた。
「ちなみに、男のクレンザーで知ってるやつは」
「生きてるのは紳士ぐらいっすね。性格が終わってるんで。多分ずっと現役っすよ……え、なんでため息つくんすか?」
「その紳士は死んだ」
「うえっ!」
 ルシオは大袈裟にのけぞる。
「なら……ブルータルジャックの仕業っすかね」
「俺とカナエが殺した」
「うええっ!」
 ルシオがさっきよりも仰け反り、ソファから転げ落ちそうになる。やはり、簡単に倒せるほど甘くない相手だったのは間違いない。
「ブルータルジャックはそんなに強いのか」
 俺が尋ねる。
「噂でしか聞いたことないっす……。でも、かなり強いみたいで。誇大妄想の持ち主だったのが厄介だったみたいっす」
「誇大妄想?」
「自分を世界の心臓だって信じてたとか。だから死なないみたいっす」
「信じられんな」
「カナちゃんと紳士がなんとかやったみたいなんで……にしても」
 ルシオが改めて俺を下から舐めるように見た。俺が紳士を殺したのが未だに信じられないようだった。
「キョウさん、今の話を口外するのはおすすめしないっすよ。紳士に恨みを持った奴なんて禍舞姫には星の数ほどいるっす。自分の仇を奪われた奴は何をするか分からないっす」
 俺はルシオの忠告に頷く。これ以上、死亡率を上げるのはごめんだった。
「すまんな」
「ういっす」
 ルシオがそう言うと、クラブ内の音楽が激しいものに変わった。
「15番卓にィ〜! 超高級シャンパン一発入りましたァ!」
 スピーカーから割れんばかりのホストの声が聞こえた。
 ルシオが俺に会釈すると15番卓に走っていった。俺の席からも仕切り越しにホストたちが大挙する様子が見えた。
「シャンパン開栓! サンニィ、サンニィイチ!」
 開栓の破裂音が響いた。ホストたちは声を合わせてさらに盛り上げていく。
「姫様から一言よろしいでしょうかァ!」
「今日は入れるつもりじゃなかったんだけど〜。眼真くんがカッコよくて入れちゃいました〜! ヨイショ〜!」
 カナエだ。酔っているのだろう。さっき会った時よりも高揚しているのが声でわかる。
「ィ〜ヨイショ〜!!」
「ィ〜ヨイショ!」
 ホストたちが歓声で応じてコールが始まる。
 側から聞いていても、相当な時間を練習に積んできたのだろうと推測できた。コールに対して一糸乱れぬ合いの手が重なる。
「ィ〜ヨイショ!」
「ヨイショ!」
 ああ、すごいな。
 俺は一つの芸を見ている。特殊部隊の訓練に見入ってしまうようだ。その道のプロが果てしない時間をかけて作りあげた当たり前を見ている。
 ホストたちが張り上げる声で高揚感が高まっていく。無意識に自分の顔に笑みが生まれるのがわかった。
 どこか安心する。俺の中で満たされる何かがあった。
 ふと15番卓に、女が歩き寄ってくる。変形ドレスを身に纏い、唇に黒いピアスが二つ開いている。身体の細さに比べて下腹が出ている。視線に気づいたようにごぼりと腹が蠢いた。大きな喉が嚥下するように波立つ。嘔吐するのか。波が胸から肩へ、口に到達する。
がちん
 唇のピアスがぶつかって火花を散らした。その瞬間だった。
 昼間のような明るさが訪れた。それは一瞬で俺の網膜に焼きつく。
 女の口から一筋、炎の柱が放たれた。
 皮膚が熱される感覚とともに、時間が元に戻っていく。
 豪炎はカナエを覆い、横薙ぎに15番卓を舐める。
「ぎゃ! ぎゃあああ」
 延焼した炎が瞬く間に隣席の女を火だるまにした。ホストもまた火柱となって転げ回る。店内の至る所で断末魔が湧きあがった。
 火吹き女はマイクを取ると、甲高く笑った。
「今日からあたしが億万長ぉぉぉ者ッ!」
 一度で燃えなかったホストを、女は炎で追撃する。
 瞬く間に炎に包まれた。人型の火柱は見覚えのあるパーカーを着ていた。
 狂い踊る火に女が満足そうに笑う。
 俺は席を飛び出る。すれ違いざまに他の席からグラスを掴んだ。こちらを見ていない。俺は女の頭にグラスを振り下ろす。
 頭を砕くことは叶わなかった。代わりに俺の左頬に革靴がめり込んだ。
「うちの備品なんで……」
 ホストは何事もなく滑り落ちたグラスをテーブルに置いた。長い金髪だった。他のホスト同様、仮面をかけている。カナエの卓にいたホストだ。彼は白シャツの袖を捲り上げ、女を睨みつけるように向いた。
「眼真。君は」
帆邑ほむらだよ」
 女が笑うと口の端から炎が飛んだ。
「Augusteの揉め事は俺たちが対処しますんで……おまかせを」
「三流が一丁前気取るんじゃないよ! あたしは酒とピアスしかもってきてないぜ!」
「……詭弁」
 帆邑は炎を吐き続ける。眼真は跳躍して躱す。自分の背丈よりも高く、3メートルは跳んでいた。空中ブランコの要領で、蛍光灯を掴んで移動する。炎が眼真の軌道をなぞる。ボトルが熱でひしゃげ、次々に破裂する。
「大道芸じゃんかよ! ハハッ、あんたの店、潰れんよ?」
「死ぬ君が心配する必要は、ない」
 眼真は抑揚のない声で言い放つ。
「ハハハ!」
 帆邑は空中ブランコを燃やして逃げ場を潰した。勝利に満ちた笑みを浮かべる。
「その仮面ごと燃やしてやるよ!」
 帆邑が背中を反らせると、大木じみた火柱が飛び出した。これまでよりもさらに大きい。触れれば火葬されてしまう絶対灰燼の炎だ。
「眼真さん!!」
 天井から声がした。現れたのはルシオだった。他にも燃えたはずの仮面ホストたちが降りてくる。
「使ってください!!」
 ホストたちが何かを投げた。同時に眼真が炎に包まれる。
「あたしの身体に渦巻く憎悪は氷も溶か──」
 帆邑の言葉は途切れた。
 俺は目を見張った。
 眼真は炎の中から現れた。
 飛び蹴りで炎を断ち割る姿は、不死鳥じみている。灰から生まれる伝説の生き物そのものだった。
 周りに散る無数の羽根は、よく見ればひとつひとつに肖像が書かれている。紛れもない日本銀行の一万円札だ。
売上が俺を守る」
 無数の濡れた万札たちが火を纏まとい、主人を守って散り行く。
 炎が打ち消された。帆邑が驚愕したときには、眼真の革靴が腹に深く沈んでいた。
「おごっ……」
 酒が吐き出され、床を黒ずませる。
「お引き取りを……」
 眼真は帆邑を見下ろして言った。帆邑は恨めしそうに口元に炎を揺蕩わせていた。
「止めを刺した方がいい」
 俺は言った。
「支払いがまだだ」
「言ってる場合じゃないだろ」
 俺は羅々々木の異常なフィジカルを思い出していた。クレンザーに油断はできない。死ぬ羽目になるのはごめんだった。
 背を向けた眼真に白い腕が絡みついた。
「頭を狙わなかったのが運の尽き。ホストならそうするだろうね」
 帆邑はそう言って口を開く。大きく開かれた顎は蛇を彷彿とさせる。口内には斜めに研がれたクロームの歯がずらりと並んでいた。
「火を吹いて相手に絡みつく……サラマンダーだな」
「カナエに死に様見せらなかったね」
 眼真の言葉に取り合わず、帆邑は笑う。
 柔軟な白い腕は眼真の腕の隙間に入り、動きを封じていた。
「汚れた姿は見せられない」
 眼真はさっぱりと言い捨てた。
「じゃあ死にな」
 帆邑はつまらなそうに顎を閉じる。飲み込まれる寸前、黒い影が俺の目の前を飛び抜けた。カナエだった。焦げたスーツを纏い、ボロボロの鴉じみている。
 カナエの右手が残火で閃く。帆邑の頭が震えた。ごじゅ、と湿った音とともに喉が貫かれていた。
「伝票愛がお前を殺す」
 カナエの声は普段のものと比べて低くなっていた。怒りを表すように伝票をさらに深く押し込む。アルミ製のそれは薄く、簡易的なギロチンとなり、喉を切り裂いた。
「ご……」
 帆邑はうなじから血を噴き出すと、力なく仰向けに倒れた。
 店内が静まり返る。
 カナエは帆邑が完全に停止したのを確認して15番卓についた。
 眼真は踵を返し、カナエの隣に座る。熱で変形したシャンパンが机に乗っている。
 眼真がボトルを手に取る。手から焼ける音がするのも気にせず、カナエのグラスに注いだ。
「み・ご・と・だ・ゼイゼイゼーイ!」
 仮面ホストたちがコールを再開した。応じるように眼真はシャンパンを飲み干した。半壊した店内に、マイクなしの歓声が響いた。祭りだった。この一瞬を讃えるためにコールは続いた。
 コールは他の姫たちを煽り、Augusteは燃えたことで売上を伸ばした。
 歓声をよそに、ルシオは「うぃっす」と首を前に出して俺に挨拶してきた。
「お前、何者なんだ」
「やだなぁ、ホストっすよ」
 ルシオが俺の手を握る。なめらかな質感は絹に似ていたが、体温が感じられない。
「人工皮膚か」
「Augusteは、無限にホストを作り出せるっす」
 ルシオは天井を見上げた。
「ここは俺たちの支配人っす」
「どういうことだ……」
「そのままっすよ。Augusteはホストでクラブなんすよ」
 理解の範疇を超えていた。ルシオの言葉通りなら、俺が今いる建物自体がホストということになる。
「Augusteが人格を切り出し、器を用意する。器がある限り、俺たちは生産されるっす」
「だから、帆邑に燃やされても戻ってこれたと」
「その通りっす」
「人格というのは」
「あー……それは……」
 ルシオが言い淀む。視線の先に眼真がいた。眼真はこちらをじっと見ていた。
「また今度」
 去ろうとするルシオの手を掴んだ。振り返ると、造りたての仮面から化学薬品の匂いがした。
「シャンパンコール。すごくよかった」
「え?」
「ホストは金を巻き上げるだけの連中と思ってた。……今はあんた達にも信念があってやってると分かる」
 ここに来る前と彼らを見る目は変わっていた。それを言っておかなければならないように思えた。
「いいんすよ。その通りっすから」
 ルシオは笑い混じりにホスト達の中へ歩いていった。あの時の自嘲が滲む笑い方だった。
 ひとりになると眼真とカナエが歩いてきた。
「おまたせ」
「連れは嫌われるんじゃないのか」
「眼真が会いたいって言うから」
 あまりカナエは乗り気じゃなさそうだ。
 眼真が会釈する。
 改めて見ると背が高い。だが、線が細いからか迫力よりも、しなやかな肉食獣のような印象を持った。
 眼真は名刺を取り出し、俺に渡した。
【年間8500億円 IMPERIAL PLAYER Auguste】
「これは」
「主人の代わりに。初回なら持っておくべきだ。ようこそ、Augusteへ」
 そして今に至る。
 店を出る前、俺とカナエはAugusteの屋上を訪れた。眼真の言葉を思い出していると、カナエが隣に立った。
「Augusteの仕組みは知ってたのか」
「もちろん。びっくりした?」
「かなりな」
「禍舞姫はこれだから飽きないんだよ。それよりさ」
 声のトーンは普通だが、カナエはどこかうわの空だ。眼真と別れてからそうだった。
 カナエの視点は一点を見つめている。
 屋上から見えるビル群のうちの一棟。大きな窓ガラスに覆われたオフィスビルだが、異様な雰囲気を放っている。巨大な亀裂が走っており、電灯はついていない。ビルにかかるネオン看板はかろうじて「コールバーナー」と点滅していた。
 コールバーナー社。カナエの職場であり、クレンザーの巣窟だ。
 右脳が疼いた。問うまでもなく彼女がやることは分かってしまった。
「やるのか」
「やるよ。あんたは」
「俺は……」
「死にたくないんでしょ? この街に来た時点で逃げ場は無くなってる」
 死にたくないなら殺すしかない。カナエは俺を見ていた。
 俺は両手を握り、短く頷いた。
「やろう」
「そうこなきゃ。推しピに代わって地獄送りさ」

(続く)

ここに送られたお金は全て電楽のビスコ代として利用させていただきます。