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浮き彫りの鯉のぼり

理由もなく泣きたくなる時の
理由を知っていますか

いつもこの胸に貼っている青虫の一号は、
ついに私の腹まで降りはじめ、スルリと体から、
這い出る寸前。いよいよ時が来たのかと今夜、
覚悟が決まったかのような、いつものあなたのスマイルでしょうか

良いことや悪いこと繰り返して人は、他人と交わるが、
良いことだけをして1人でいる人もいる 
それは、自分のいいことは全部都合がつくからだ

クラスにも1人は自己都合過剰者はいるかもしれない
わたしもかつてはクラスの中の1人だった
それも今より “たった一人” という気配がつよく、小さい背中がどこにいても勝手にぼうっと浮き彫りに浮かび上がって、頼りなく滲んでいるようだった
それも、毎日周囲に何人もの人や、友達もおれど.
思えば、子供の頃の記憶というのはほとんど残っていないけれど、染み付いて取れないほどの、後悔の念から刻まれたいくつものアザなら、
私の心に残っている。

うち一つは、『園児のお手玉スカスカ事件』だ

いつもの3人組で遊んでいる時、皆それぞれが自分専用のお手玉2個1セットを、右手から左手へ、左手から右手へ、と交差させながら両手にポンポン投げてあそんでいた。
そんな中、おっとっと、スルリ! と、掴み損ねたりなんかして、そうすると、他の子のお手玉と入れ替わってしまうこともあって、私は突然あることに違和感を感じ、ピタリと動きを止めた。
「これは、私のお手玉じゃない!」
…そう、さっきまでポンポン投げてはキャッチしていたあのふくよかでハリのある玉の感触とは打って変わって、中身のスカスカな、布が手のひらに垂れてくるようなダラシのない感触に変わり果て、明らかに私のお手玉とは別の物のとすり替わっていたのだ。

しかし、そこで場の和やかな空気は一変してしまう

「同じようなお手玉だし、別に、よくない…?」
「玉にハリがないからって、器小さっ!」

そういう、そんなことでそこまで気にするなよ、といった同調圧力を2人から感じ、でもどうしてもあのハリのあるお手玉を取り戻したい一心で、私は主張を続けた
なにより、スカスカじゃいやだった
「これは、私のじゃない! こんなにスカスカじゃなかった!!」そう言って、場の空気をどんどん凍りつかせたのだった。

後日、この楽しい空間を切り裂いてしまった、そしてその時の主張の強さを後悔した。もっと言い方もあったと思う。
そしてここで、幼稚園時代のこの記憶はおわっている

また他にも、『小学5年生の修学旅行〜飴玉の誘惑〜』がある

日光東照宮や、華厳の滝を観に栃木へ訪れた初日の晩。
早めの時間に設けられた消灯時間に皆が寝付けるわけもなく、電気が消されたあとも多少わちゃわちゃしたままだったが、次第に1人、また1人と無言となり周囲に静けさが広まっていき、寝息を立てる音も聞こえてきた

スー スー

わたしもそろそろねようかな。
そう思っている私の横には、とある女の子のグループが仲違いした直後「今日から友達になろ!」とわざわざ口約束をされて以来、いつのまにか一緒にいるようになった、裕福で親から過剰に愛されて育ったような女の子が敷布団に寝ていて、
その子がゴソゴソ私のほうへにじみ寄り、先生から口酸っぱく夜間には絶対にダメだと禁止をされていた
「飴を舐めようよ!」と誘ってきたのだ

下記は、まさに「薬物乱用ダメ絶対」的な悪友のテンプレ的なそれである

私は、(えーだめだよ、しかも梅の飴は好きじゃないし食べれないよ)と断りを入れるも、
「え、いいじゃん。絶対においしいからたべてみなよー」
と一向に折れる様子もなく勧め続けるので
「本当に?」などと私の心はいとも簡単に揺らぎはじめた。
いいか、別に、ちょっと一つくらい舐めたってバレやしないか、と段々とその推し負け、飴を口に放り込んだ。カラン、と舐めはじめた、途端だった。本当に間も無くして、暗闇がパッと明るくなった 
いやな予感がした
しばらくして、担任の先生が来た
いつも狐目だった茶髪短髪の女先生が、さらに鋭く目尻を吊り上げ、敷布団に横になったままの私たちを見下ろし
「親に言うからね」
そんなような一言でウッとお腹がぎゅっと縮むような重くて急所がやられる言葉をいくつか放って消えた

そして、次の日の朝
旅行中の全生徒の前で謝罪をさせられた

みんなの前に立つわたし、飴をすすめて一緒に舐めた子
そして、その横にはもう一人並んで立っている子がいた

その子は、ただ気持ちよく、スヤスヤ眠っていただけなのに、現場の真隣にいたからという理由で共犯者として巻き添いを食らって、謝罪させられる羽目になったのだ
しかも、三人並んでいるなか、沈黙が続き
誰も言葉を発さないのに耐えかね
その、只唯一無罪のその子が、
「飴を舐めてしまってすいませんでした」と、
第一声を放ったのだ。

この時のことは本当にトラウマで、今でも思い出すと胃が悪くなり壁をガリガリしたくなる。推しに負けてルールを破った自分を悔やむ後悔も、あるし、飴を無理やりたべさせ共犯へと道連れにした女の子への恨みも、あるし、
でもなによりも、流されてこの結果となったこと
そうして処刑場の形式でみんなの前に罪人として晒し者になり、あの軽蔑と呆れに満ちたたくさんの顔が一斉にこちらを見ている光景が、深い深いトラウマとして刻まれたのだった・・おわったんだと思った。

しかも、あろうことか連帯責任として次の日から旅行中は全生徒が飴は如何なる時も禁止となり
移動中のバスで隣に座っていた車に酔いやすい男の子が
酔い止め用の飴すらも舐められず、もともと色白の顔を更に真っ青にさせてウンウン苦しんでいる様子を横目で見、その光景も重ねて心に深く罪意識を倍増させ、ならず者、不届き者、犯罪者、そういった罪人としての意識で栃木の観光をし、私は、この栃木巡りは、当然、ちっともさっぱり楽しくなかった。それは当然だった。皆から感じられる飴禁止による憎しみの念、そして目に映るものが全て、「自分は罪人なんだ、皆のように楽しんではならない」と言う罪意識のフィルターが通された灰色く霞んだ景色しか広がっておらず、終始うがいしても無駄なほどものすごい粘土の苦い汁を飲んでいる気分だった

一方、その飴を食べるよう勧めた女の子はと言えばさっぱり罪の意識を感じていないようで、悪びれる様子もない。ケロリとした顔で、「私は関係ない」と言った具合に誰かと談笑して笑ったり、華厳の滝の前で、していた
きっと、そうやってその後も、そう言う塗り替えられる大人になったんだと思う

因みに、巻き込まれて謝る羽目になった女の子とは幼稚園からの仲良しだった幼馴染で、高校で離れ、短大で再会したが(実はさっきの、一緒にお手玉をしていた子の一人でもある)
やっぱりその子の記憶にも深く刻まれたようで、この時のことをことあるごとに話題で掘り返しては、「いやぁあのときは・・」と、毎回私は謝罪して罪を償うのだった。巻き込んでゴメンねAちゃん。のちにこの一件は、互いにとってのネタに昇華されたのでよかったが、本当の意味では、その子にとっても私にとっても、もう深く傷として刻まれてしまったトラウマによる「アザ」の一つにちがいなかった。
ルールは、守るべきだったのだ

そういう濃く刻まれたアザは、
思い返せば色々とある かもしれない

子供のときは、感じる心がきっと今より100倍近くあり、友達と話し笑い主張のせめぎ合いによる責めの気の、ぶつかりあいでも疲れやすく、いつも忘れっぽく、深い気持ちを持てないようでいて毎秒生まれた強い気持ちがコロコロ変わったり、強烈に付きまとったり、途端に自分が今何を考えてるのかさえわからないでいた。
でも楽しいときは、笑った それはほんとうにたのしかったから、あははって笑った

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