女医の卵、白と黒。

「お店の人、感じのいい人でよかったです!」
と女の子に言われ、
僕は「う、うん、、」と苦笑いした。

何度も行っているキャバクラの、つい最近変わった店長に会うのは、この日が初めてだった。

彼女が言いたいことはわかる。
30歳だという店長は、面接中の物腰が柔らかく、夜の人間にしては顔が優しかった。
市役所とか、郵便局なんかの窓口に座らせても違和感が出ないであろうその雰囲気は、キャバクラ未経験だった彼女を安心させていた。

でもその店長は、スマホの裏がプリクラだらけだった。
一瞬だったので、女の子は気づかなかったのだろう。

女の子の安心とは裏腹に、僕は店長を警戒し始めていた。
女と撮ったプリクラが大量に貼られたスマホ。
それは30歳の社会人の持ち物としては異様で、表向きのつらが真面目そうであればあるほど、それは不気味に映った。

案の定、次第に店長はスマホの裏側部分を見せるようになっていく。

まず、店長はかなりの女好きだった。
タイプのキャストとそうじゃないキャストでは、接し方が露骨に違うらしい。
タイプのキャストには、

(距離が)近い。
(言葉が)チャラい。
(自慢が)うざい。

の三拍子。だが、僕の前で見せる姿は相変わらずの昼職づらで、
「どうも、ケイトさん!」
と毎回丁寧に挨拶してくれる彼が、女からのクレームを起こす人間には見えなかった。

そして、かなりのギャンブラーだった。
何度か電話が繋がらないことがあり、後から聞くに、料金滞納で携帯が止まっていたらしい。
パチンコ、スロット、競馬、競艇、競輪。一通りのギャンブルには全て手を出し、あまりよろしくないタイプの場所にも顔を出しているという噂だった。

それでも相変わらずの窓口顔で、柔らかい笑顔と挨拶を向けてくれる店長。あまりのギャップに、僕はもう笑わずにはいられなかった。

しかし、よろしくない一面は、きちんとよろしくない方向に形を作るもので、店長はキャストとの風紀が発覚し、その翌日、店の売上金を持ち逃げして飛んだ。

「いい人そうだったのに、人ってわからないもんですね」

と、その店で働き出していた前述の未経験の女の子は言った。
おそらく彼女は、好みとそうじゃないラインの中間に位置していたのか、店長が彼女に見せていた顔は、面接時の柔らかさのままだったという。

二面、三面、人によってはそれ以上か、少なくとも、どこに行っても誰と会っても、確固たるひとつの自分がそこにいる、という人は誰もいない。
誰であっても複数の顔があるし、仕事柄、僕はその切れ目を目撃することが多い。

「ほんとわからないよね」
と僕が返事した相手、ナツキは、未経験から半年ほど勤めてそのキャバクラを退店した。学業の多忙がその理由で、ナツキは医学部生だった。

聡明な子、というのがナツキの印象だった。
お勉強の内容について、僕らはよく話し合った。
しかし、もう半年経った頃、僕は彼女の別の顔を見ることになる。

ナツキは別のスカウト経由で風俗嬢になっていた。以前より体重が10キロも増えていて、彼女は大衆店で働いていた。

そのスカウトは知り合いで、「あいつもかわいそうだよな」と彼は言った。
ナツキは安定剤と睡眠薬を服用し、ホストでツケ飲みを繰り返し、すぐにヤレるがヤリたくない、と周りの男から言われているらしい。
整形をしているというのも初耳だったが、それはすでに僕と知り合う前に済んでいたことだった。

そのスカウトは、ナツキが医学部生であることを知らなかった。
出会った時には、ただのホス狂いだったという。
しばらくして、ナツキは僕のもとで再びキャバ嬢になった。
体型は昔の姿に戻っていて、「前のスカウトは使えなかった」と彼女は僕に言った。
しかし、またしばらくすると、前のスカウトで再び風俗嬢になった。
「あの人の話は正しすぎてパニックになる」と僕の愚痴を言っていたらしい。
また僕のもとに、また前のスカウトのもとに、ということを何度か繰り返して、二人ともナツキと連絡が取れなくなった。

ナツキが僕に見せたのは、医学部生としての顔で、別のスカウトに見せたのは、夜の人間としての顔だった。ナツキは、医者という立場で社会貢献しようと試みる人格者であったのと同時に、人並み以上の俗物でもあった。

裏切られた、なんてことは思わない。
相手の知らない顔を知って裏切られたと人々が思うのは、親しい相手の新たな一面への恐怖ではなく、その姿の前で自分が存在してこなかった、その人の一部しか見せてもらえなかったという自分自身の卑小さを恥じるからだ。

部外者である僕には、初めからその居場所がない。
遠目で複数の顔の切れ目を眺めながら、出された姿に対処すればいいだけだ。
もうこっちに戻ってこなければいいのにと思いながら、再び彼女に会ったとしても、お灸を据えるのは誰かに任せようと思う。ヒールになるぐらいが、部外者にはお似合いですから。
順当に進級していれば、もうすぐナツキは国家試験を受けることになる。

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