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回答を書いてこない生徒

かつて、みさせて頂いた生徒さんにテストの時に回答を書いてこない生徒さんが数名いました。
その1例について今回は書きます。
成績は中学生でオール2に近く、かつてはにも通い家庭教師もつけたけどいっこうに成績が改善されず、高校受験の期間に受け持つこととなりました。
この仕事を始めた時から、学業成績が壊滅的か、切羽詰まっている生徒さんを受け持つことが多く、今では少々のことでは驚かなくなりました。

さて、この生徒さん、空手と柔道という武道を2種目もやり続け、話していても礼儀正しく、至って好青年で各教科、指導を始めても理解力が悪い方ではないこともすぐ分かり、まずは成績上の2を減らし、3か狙えるならば4まで向上させる術を仕込んでいきます。

指導しているとこれくらいの理解まで追い込んで、とにかく答案に書いてこられるようにしておけば、このくらいのテストの点数は確保できるだろうということがおよそ想定できます。
それは、みさせて頂いたスタートラインの各教科の習熟度にもよるので、一概には言えず個々それぞれですが、例えば、苦手意識が外れて突然点数が伸びてくる場合もあれば、苦手教科に時間を割きすぎて、得意教科の勉強時間の配分を間違って、足を逆に引っ張ってしまうなど様々です。無論その勉強時間の配分については、指導時間中詳しく伝えてはおくのですが、その通りなかなかやらないのが人間の性(さが)のようなところです。

この生徒さんは、指導を始めるとスイスイ理解していく、そして、わからないところがあれば、その都度止まって丁寧に聞いてくる。基本、宿題は出さない主義ですが、やっておくべきことを伝えると見事にきっちりとやり遂げてきます。早い段階で全くもって理想的な指導環境が確立していきました。
この私がいう指導環境というのは、指導する私の進めていく生徒さんに合った指導速度、指導内容が生徒さんの理解度の積み重ねとが歯車の両輪のように噛み合うことを指します。この噛み合うということが大切な要素なのです。

指導の感触からして、あわゆくば70から80点くらいはいけるのではないかという教科をいくつか作って送り出し、さあ、今まで結果が出なかったものを結果につなげて、高校受験前に自信をもって伸びるところまで伸びてもらおう。今まで何度も経験してきた不調続きだった生徒さんの信じられない好成績を取った時の高揚感や輝いた目、時には涙を浮かべる光景にも出くわしてきました。これは、楽しみだと親御さんにも話して、いざ結果が出てきました。
するとある程度想定内の成績を上げてきた教科と、その予想を遥かに下回る30点台の教科が散見されました。
ひとことで言えば、なんじゃこりゃでした。
そんな時、プロ家庭教師は心のなかではそう思っても、結果が良かろうが悪かろうが次への意欲、ステップへと繋げていかなくてはなりませんので、その頑張りを認め、励まし、平静を装わねばなりません。
学校の成績の5段階の評定も想定よりかんばしくない。
なぜなのか、テスト直しと学び直し、学校での態度、状況などを詳しくリサーチしていくうちに2つの改善点が見つかりました。

①正解を取ってくる自信のない問題部分を全て無回答で帰ってきてしまう
大きな意味で律儀な人なのです。不確かのものは答えられない。人間社会の中では至極誠実な人間の心のあり方です。
しかし、何も書いてこなければ、点数はつきません。
その事を何度も話して、とにかく何か書いてくるように促しつつ、そういうことなら完全な理解を授けていけば、確実に結果を出してくれると確信しました。そこからは、とても濃い内容で進むことになり、生徒さんの要望もあって、週2回が週3回に1回の指導時間も延長して、希望に応えていくことになりました。
②学校の何教科かの先生に嫌われている事が判明しました。
学校での様子は本人からの私に対する説明以外推し計る術を持たないので、それをもとに嫌われている先生に対してどういう態度を取るべきなのか、何をすべきなのか一般常識を逸脱しない程度のアドバイスを送ります。いくらかはそれで改善できますが、実際に会ったことも見たこともない先生に対して、少なくともそういった悪い感情を抱かせないようにするためのアドバイスは、生徒さん本人や時には親御さんにも、その先生についてリサーチしたりしておよその人間像を掴んで助言しますが、的確だったかどうかは継続的に生徒さん本人から、相手の反応を聞いて修正してもらったりします。
しかし、完璧にはめていくことは全てが間接的なので難しいものがあります。生理的に嫌いと言われればそこまでですが、先生と生徒という関係性が一般的なものであれば、例えば、提出物をしっかり出すだとか、授業での発言回数を増やして授業に参加している感を出していくなど、その先生が生徒に求めていること掴んでいくと、どうするべきかの正解度合いが上がります。
しかし、そうした対策をよそにあってはならないことが、私が間接的に携わってきた学校という現場で起こり続けています。
この教科担任の生徒に対する好き嫌い、もしくは感情的な起伏をもとに成績の判定が行われ続けていることです。
他の事例でも同じクラスの同級生を一緒に2人まとめて指導するケースがあって、点数が高い方より低い方の生徒さんの方が5教科の判定が良かったこともありました。
成績をつける権限のある学校の先生も人間だから、多少の肩入れが出てしまうという意見を持っている人もありますが、生徒一人一人の成績は近い将来の進路の選択肢の目安として、大げさかもしれませんが、運命を左右するものです。いつまでもそんな曖昧な感情論で片付け続けていいものか、甚だ疑問と怒りを感じることがよくあります。
有能な能力を持ちながら、意欲をそがれ、才能の芽を摘んでいる大罪があるのではないかと長年思っています。これは、全体論ではなく、一部の学校の先生に見られる悪癖としてです。才能を潰すということは将来の日本における人材の芽を摘んでいるということです。現場でそのようなことを今もし続けている先生方、早く気づいて本来どうあるべきか、そのあり方を改め、その罪の深さを噛みしめる時間をもってもらいたいと思います。
かつて、5教科388点取ってオール2にされた生徒さんもいました。もっと、学校ごとのレベルによらず、教科担任の先生たちの私情を挟むことができない客観的でガラス張りの成績の付け方をすべきことは相当前からの学校側の課題であるはずです。長年個別指導を行ってきて、いっこうに改善されてこない各学校任せ、個々の先生任せの現状は早々に見直されるべき課題だと思います。

そして、この生徒さん、ある副教科で78点という高得点を受験にカウントされる最後のテストで獲得して5段階評価で何と”1”を付けられてきました。
1ですよ1
さすがにこの事例は許せないのではないかと親御さんに学校に出向いてもらって抗議をしてもらいにいきました。
しかし、成績を付け終わってしまったから覆らないという、わけのわからない理由でそのままの成績を背負わされて迫りくる高校受験に挑んでいかなくてはならなくなりました。
私自身、その時のことは今も鮮明に思い出され、自分のことの何倍も憤りを覚え、悔しさを覚え、その不条理に対する虚しさを覚えました。
その生徒さんには、こう話しかけました。
人間というものは間違いを犯すものだ。しかし、今回は、人としてあってはならない過ちを学校の先生という立場の人がやってしまった。僕もこの事は絶対に許せない。君も許せないだろう。この結果は、その先生に嫌われてしまった生徒は何をやっても這い上がることができない事を示した。僕が君の親という立場なら今すぐにでもその先生のもとに行ってその理由を問いただし、納得するまで説明してもらい場合によっては、責任ある立場の校長にもこの話を聞いてもらう。しかし、家庭教師という立場ではそれはできない。できないから、余計に怒りがおさまらないけれど、どうかこういう大人に対し、怒りだけでなく見返してやるくらいの努力を怠らない道を歩んでほしい。そのような趣旨の話をしたことを覚えています。

その後、この生徒さんは、納得できない事は回答に書かないということを、納得するまで覚えて、できるようにするまで学ぶという発想力に転換し、高校入試は5校ほど受けて全勝、愛知の公立高校の問題で国語を2問しか間違えてこないというトップレベルの学力を得て、高校時代は本人から聞いた話では、入学から卒業まで全て学年1位、大学も指定校推薦で見事合格、現在システムエンジニアをやっているそうです。
数年後その弟さんもみさせて頂く機会があり、親御さんからは勉強がよくできるように嬉しいのはうれしいですが、自分の子供じゃないくらい優秀になっちゃいました。と言われ、その後、大学生になったその生徒さんをご飯に誘ってその時に私が言われたことは、
あの時がなかったら、今の僕はありません。
本当に先生に出会えてラッキーでした。とても感謝しています。
と言われあの時の憤りはすでに吹っ飛んで、心から良かったという感情が溢れてきました。
そんな時、私が返す言葉は、
それは、僕の力じゃなく、もともとあった才能が開花しただけだから、君の力だよと返します。
実はこの言葉は、本心です。
お金を頂いて指導させていただいているということは、結果が出て当然、喜んで頂ける結果に結びつけて当然と考えています。
生徒さんのひょっとしたらまだ眠っている才能を開花させにいってます。
それがプロの仕事、単に学校成績が向上するだけでなく、私の指導を受けてプラスアルファで関わった生徒さんの人生の中でもっとおもしろいことが起こってくるようになれば、なお素晴らしいと思っています。それと単純に人に喜んでもらうことが好きなことは、この仕事に対する向き合い方が自然でいられる天職である所以であると言えます。
私のもとを巣立っていった生徒さんたちは、今も様々な分野で活躍しています。美容師、医者、臨床心理士、システムエンジニア、不動産関連のトップ営業マン、会社員などなど、多岐にわたります。
みんな僕より出世して稼いでいる人たちばかりで、なお嬉しいことです。
だから、辞められないんですよね。


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