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中国の検索エンジンから見る中国的思考法と社会問題


偉大なる検索エンジン百度

中国の検索エンジンと言えば誰もが「百度」を思い浮かべ、中国の「グーグル」と中国人達は胸を張って言うだろう。

確かに百度の市場シェアはすごいものがある。ただし、検索エンジンとしての機能を考えると、百度はあえて言おう、カスであると。

百度をある程度の期間使用したことがある方なら分かると思うが、中国語の勉強として使う以外、本当に使えない。検索結果が全て自分が望むものが出てこない。

例えば、〇〇を知りたいので検索をかけてみると、出てきた結果の1ページ目は全てSEO関連で金をかけた企業のページ(広告)が表示されるのである。

この中で自分の欲しい情報が出てくることは殆どないと言っていい。要は非常に商業的な検索エンジンなのである。

もちろん、天下のGOOGLEであれ基本は同じであるが、検索者が欲しい情報に限りなく近い情報や企業ページが出てくるので安心感がある。

百度では望んだ情報のページが出て来るには2,3ページ先にあるということもざらである。

*余談話だが、上海日本人学校では各生徒にタブレットを配布しており、自学の際にマイクロソフトのBingで検索するように生徒を指導している。BingもGOOGLEと比べればクソなのだが、VPNが使えない中、VPN無しで日本語のページを検索できるBingは意外と使い勝手が良い。少なくとも百度の100倍はましである。

ただ、逆の見方をすると、ビジネスで潜在客・見込み客を探したい、という企業にとっては百度は非常に心強い味方となる

私が知る日系企業は、百度のリスティング広告とSEOをうまく使いこなし、百度で自社の商品が検索で上位に表示されるよう工夫しており、人件費をかけずに従来の10分の1程のコストで新規顧客を獲得している。

つまり、百度は一般ユーザーが検索エンジンとして使うにはクソだが、中国語学習や企業の新規顧客開拓ツールとしては非常に優秀だと言えよう。


検索をしない人達、検索が出来ない人達

華村氏の指摘でもあるように、検索をうまく使いこなせない人が多いのが中国の特徴であるかもしれない。

個人が何かを発信する段階から徐々にネット利用が広がっていった日本とは異なり、中国ではある時点(スマートフォン普及以降かな?)でネット利用が爆発的に広まったという背景があります。そのせいもあってか、中国のネット上には個人による有意義な発信や、有志によるまとめのような公益性の高い情報を出す習慣があまり根付いていないという現状があります。

私は、中国のインターネット黎明期からこの国のインターネットを見てきたが、ネットがつながった彼らがやったのは、日本で言う2chみたいな掲示板で下らない話題で盛り上がったり、ネットワークゲームをやることだった。

当時(2001年程)なんか、調べものをしようと思って言葉を検索しても出てくるページが、誰かが書いたものやどこかのページからのコピペだらけで、良質な情報を提供するといった目的でHPは作成されていなかった。当初から広告収入目的のページが多かったように思う。

華村氏の指摘通り、インターネットは極一部のオタクのものだった時代を経て、一気にスマートフォン時代へ突入し、誰もがネットにアクセスできるようになったこともあり、中国独自のSNS(Weibo、人人網、Wechat等々)にアクセスする人が激増した。

一昔前Weiboは中国版Twitter等ともてはやされ、Weibo有名人は大体ブログを書いていた。それがあっという間にWechatのモーメンツに取って代わられたことを考えると、経済発展と共に時間の余裕がなくなってきたことも関係しているかもしれないが、長文を読む人が減り、友人や知り合いが何をしているかを確認できるWechatモーメンツを見る方へ流れが変わっていった気がする。より近い人への関心が移っていったと言えばよいだろうか。

もちろん、Weiboも未だに多くの人が使っているし、ブログも多数の人に読まれているものも多い。そこは否定しない。

検索をするのが苦手というか、検索すらしないというのか難しいところではあるが、そこら辺は中国特有の社会的要素が大いに関係しているような気がする。

つまり、「人」とのつながりである。

一昔前まで中国は法治社会ではなく、人治社会であるとか言われていた。まあ、これは言い過ぎで中国はちゃんとした法治国家であるが、「人との繋がり」は特に重要視されている。

簡単に言うと、自分と繋がっている人達に分からないことがあったり、困ったりすることがあれば、知人や友人を頼ることで解決するということだ。

何かあればWechatやQQで聞いて教えてもらう。資料をもらう。人を紹介してもらう。それで解決することが往々にしてある。これは外国人である私でも同様である。

この点中国での人脈は本当にすごい。私の長年の友人であり企業経営者である彼は、マブダチが公安局長、市長も友達、武装警察のトップも友達とか友人のレベルが段違いである。一緒に食事する際、必ず彼らが来るのだが、いつも極度に緊張してしまう。片田舎で野球をやっている人間が、アメリカのメジャーリーグのオールスターに呼ばれたような感じである。

検索エンジンから見る彼らの仕事ぶり

少し検索エンジンの方へ話を戻そう。

検索を使いこなすのが下手という観点から、別のことを考えてみたいと思う。

中国人とビジネスを行っていると、特に製造業の場合、お客さんがユーザーであった場合、品質問題が起こった時の対処方法が全く違う。

日本企業の場合、問題が発生した際、どこに原因があるのか原料なのか作業方法なのか色々な角度で検証した後、原因がサプライヤーが提供した原料や部品にあれば、クレームを上げるというのが一般的。

中国の場合、分析などはしない。いきなり「お前の原料・部品のせいで歩留まりが下がった、不良品が大量に出た、弁償しろ、補償しろ!」と連絡してくる。

もちろん、供給側に問題があることはあるにはあるが、大抵が無関係なことが多い。大部分が自分たちの製造プロセスに問題があったり、使用条件だったり保管条件がめちゃくちゃだったり、とにかく酷い有様である。

中にはわざとやってくる輩もいるが、基本は「状況を理解していない」「状況を把握する能力が欠如している」「原因を分析する癖がついていない、出来ない」ことに起因することが多いと考える。

これは、ハイテクノロジーな電子製品の分野でもそうだから気が滅入る。台湾、大陸に限らず、超大手の電子工場の工程師(エンジニア)でもこのレベルであることが多い。話が全くかみ合わないのである。連絡してくる時点で「お前らは悪である」というスタンスなので、状況説明を求めても何も情報を出してくれない。こいつらほんまに脳みそあるんかと怒鳴りたくなることもある(笑)

検索エンジンで検索する、ということと、問題発生の際の分析を行うことは私は同じような作業だと思っている。自分が何を知るべきか、何を調べるかをはっきりさせておかないと、検索しても欲しい結果は得られない。

他にもアリババなどのECプラットフォームで、工場の機械に使う部品や消耗品などを探してもらうと、一時間ほど経って「ありませんでした」と言われます。そんな訳なくね? と思い自分で調べてみると、一瞬で目的のモノが見つかって拍子抜けすることがあります。

まさにこれである。品質管理でも同じようなことが言える。ここらの思考能力というか、考える力というのが往々にして欠如している感がある。

前述の通り、人に聞けば答えを貰えるという環境にあるのか、検索にしても問題に対する思考能力が低い人が多い。もちろん、優秀な人はそこらは全てきっちり出来るが、そんな人は一握りしかいない。もちろん、そういう方々は一様に「富裕」である。

もちろん、中国の学校教育にも問題の一因があるのかもしれない。中国は韓国と同様受験競争が激しい。小学校の頃から毎日夜中までやらないと終わらない宿題を出され、詰め込み教育に非常に熱心である。

こういう教育を受けた子供がそのまま大人になると自分で思考をせず、答えを丸暗記しただけの人になってしまう。故に、分からないことがあれば、周りにいる「教科書」や「教師」に答えを求めてしまうのかもしれない。

たかが検索エンジンの話なのだが、中国と言う現代社会において、色々な問題が浮かび上がってきた。無論、日本は日本で色々な問題があるし、外人である私が中国の教育についてどうこう言う権利もないし、言うつもりもない。

ああ、短い記事書くつもりだったのに、結局長くなっちまったよ。次こそもっと短くまとめようっと。

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