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丘に溝を掘る:生命と知性におけるパラダイムシフト

■コロンブスの卵のフレームワーク

コロンブスの卵、コペルニクス的転回、パラダイムシフトなど、思考の前提を変えることが大きな発見につながることがあります。思考の前提を、フレームワークと呼びます。より大きな思考の前提がパラダイムです。

有用なフレームワークを思いつく、あるいは学習して理解すると、そのフレームワークに沿って物事の捉え方や理解が変化します。新しいフレームワークを使って情報や知識を整理していくと、発見につながることがあります。

新しいフレームワークを取り入れて考えを変化させることは、知的に高度な作業に思えるかもしれません。しかし有用なフレームワークを取り入れることは、むしろ逆です。有用なフレームワークを知り、理解すると、元の考え方に戻ることの方が難しくなります。

冒頭に挙げたコロンブスの卵の逸話は、卵を立てる簡単な方法を考えるという問題についての話です。不安定な球状をしている卵を立てるために、皆が様々な方法を試みますが、コロンブスが卵の底を割って立てて見せたという話です。それを見た人の中には、卵を割るのはルール違反だという人もいましたが、そんなルールはありません。

割ってはいけないというのは、皆の思い込み、つまりフレームワークだったのです。コロンブスが卵の底を割った時、多くの人のフレームワークも崩れました。そして、卵を割っても構わないというフレームワークを知った後は、誰もが容易に卵を立てる方法を思いつくことができますし、もう、前の卵を割ってはいけないという思い込みに戻る事はありません。

さらに、卵以外の問題についても、思い込みを排除して問題を考えるというフレームワークとして、この逸話を応用することができます。

■丘に溝を掘る

なだらかな凹凸のある地形を思い浮かべてください。そこに時々雨が降って水が流れます。水は高いところから低いところに流れようとします。できるだけ低いところを目指しますが、既に川が出来ているところを通ります。丘の先により低い場所が広がっていても、水は自ら丘を超えることは難しいため、既存の川を流れます。

このイメージの中で、フレームワークは川、思考は水の流れのようなものです。多くの人は、丘の向こうの低い場所に気がつかずに、既存の流れに沿って思考します。

コロンブスの卵やコペルニクス的転換のような、新しいフレームワークは、この丘に溝を掘るようなものです。最初は細くて浅い溝ですが、その溝を通って水が流れると、今までよりも低い場所に短時間で流れることができます。そして、その先には新しい光景が広がります。

雨が降って、流れる水がその溝を通る度に、その溝は削れて深く広くなっていきます。急峻な地形であれば、やがて、既存の川よりも大きく太い川になるかもしれません。

この溝を最初に見つける人は、他の人とは異なるところを目指す冒険家であり、その先に広がる光景を予期する先見性や直感を必要とします。このため、誰にでも真似のできるものではありません。一方で、誰かが掘ってしまえば、後は他の人も真似をして溝を掘って容易に水の流れを変えることができます。

■自己強化とエネルギー最小化

溝が深く大きくなっていく様子は、自己強化のメカニズムがある事を示します。溝が水の流れを誘引し、水の流れが溝を広げます。そして広がった溝がより多くの水の流れを誘引します。これは、自己強化的です。

急峻な地形の方に水が多く流れるのは、エネルギー最小化のためです。

物体が高い場所にあると、落下することで力を生み出すことができますので、例え止まっていても潜在的にはエネルギーを持っていると考えることができます。この潜在的なエネルギーを位置エネルギーと呼びます。高い所にある方が、大きな位置エネルギーを持ちます。

水が高い所から低い所に流れますが、これをエネルギーの観点で説明すると、よりエネルギーが小さくなるように移動していると捉えることができます。つまり、エネルギーの最小化を目指していると言えます。水がより急峻な方に流れるのは、そのためだと解釈できます。

■思考の流れ

丘に溝を掘ることが、有用なフレームワークを思いつくことや、学習して理解することに相当します。そのフレームワークに沿って思考することで、フレームワークの存在感が頭の中で自然と増していきます。それによって今までよりも早く答えにたどり着けるようになったり、新しい発見が得られれば、新しいフレームワークはより思考の流れを誘引し、自己強化していくでしょう。

私たちの脳の活動は、比較的大きなエネルギーを使用することが分かっています。従って、できるだけ少ない思考で多くの意味のある答えを見つけられる方が望ましいはずです。

有用なフレームワークを使う事で、少ないエネルギーで思考できるようになる事は、人間の生存のためのエネルギーを温存するという意味を持ちます。このため、脳は自然に、有用なフレームワークへと思考が流れるような作りになっていると考えられます。

■デジタル思考とアナログ思考

明瞭に物事を分析し、論理的かつ決定論的に思考を組み立てていくやり方を、便宜的にデジタル思考と私は呼んでいます。これに対して、物事のあいまいさを含んで直感的に把握して、バランスを探りながら非決定論的に思考を深めていくやり方を、アナログ思考と呼んでいます。

問題解決のための思考には、多くの場合、デジタル思考とアナログ思考の両方が必要になります。それは、ささやかな日常的な問題であっても、組織的あるいは社会的な大きな問題であっても同じです。

問題解決に使える資源や時間を有効に使って最適な解決を目指すためには、デジタル思考による明瞭な分析が必要です。一方で、多くの問題は様々な要件や制約、チャンスやリスクを含む、多面性を持っています。例えば、1時間の労働をすれば、ある一人のストレスを軽減することができるとします。それが実施する価値があるかどうかや、別の事にその1時間を使うべきかどうかは、価値を測る物差しがない限り論理的に評価することはできません。様々な状況にも依存するでしょう。このため、直感や感性に頼るアナログ思考も必要なのです。

■湖や沼や湿地

水の流れに例えると、溝や川の流れはデジタル思考です。繰り返し思考しても、概ね同じところを流れ、しっかりとした川であればそこからはみ出ることもありません。「1+1」は、常に足し算という川を通って「2」という河口に行き着きます。人間は食事を必要とする事、そして、ソクラテスが人間であるという事、それらの知識を与えられたら、三段論法という川を通って、ソクラテスは食事を必要とするという理解を得ることができます。

一方で、アナログ思考は、湖や沼や湿地に相当します。明確に低い場所がない平らな場所で、広がりを持ちます。新しく入ってきた水は、しばらくそこに留まった後、どこかの川から流れ出ていきます。繰り返した場合、同じところから出ていくとは限りませんし、複数の個所に分散して流れていくこともあります。いつまでもそこに留まる事もあるでしょう。そして、外からは見えませんが、中にはとても深い場所もあり、そこにたどり着くこともあるでしょう。

最終的に留まっている場所が、その思考のゴールという事になります。

デジタル思考は流れるだけで、ゴールにはなり得ません。ゴールがそこで良いのかを判断するのは、アナログ思考だけです。ゴールは複数あって構いません。それらに水が溜まっていることが望ましいのかどうかは、恣意的に、直感的に判断するしかないのです。

それが望ましくないなら、川の流れをせき止めたり、新しい溝を掘ってみたり、水の量を増やしてみたり、様々な事を試みます。それによって、最終的に望ましい所に水が行き渡るようにしていきます。

■生命の起源の探求について

私は生物の起源について、思考上での探求をしています。私は、生物の起源における化学進化は、人間の知識の進化と多くの類似点があると考えています。このため、人間の知識の進化や思考の仕組みを理解し、そこから知性特有の現象を省いていくことで、生物の起源における化学進化のメカニズムにも含まれ得る部分を明らかにしていくというアプローチを取っています。

デジタル思考とアナログ思考、そして、この水の流れの比喩は、生命の起源の領域にも応用できる考え方だと考えています。

有機物の化学進化では、有機物同士の化学反応により、基本的なシンプルな有機物が結合されて、新しい有機物が生成されることが基本になります。こうしてできた新しい有機物は、偶然の産物ですので、同じ有機物が生成され続けるとは限りません。ただし、生成された有機物に、それを生成するプロセスを促進するような作用があれば、その有機物が生成されやすくなります。これは、フィードバックループによる自己強化現象です。

■生命の起源の探求への応用

川の流れは、生命の起源においてはエネルギーの流れに相当します。雨が降る代わりに、地熱や太陽熱、太陽光などの外部エネルギーを受けて、そのエネルギーを使って発生する化学反応が、エネルギーの流れであり、川の流れです。

そして、有機物の合成が見つかることが、溝を掘ることに対応します。思考の場合は、意識的にこの溝を探し出して掘りましたが、生命の起源においては、そのような意識の働きを前提にすることはできません。その代わりに、地球上の多数の有機物の、多様な組合せを、膨大な時間を掛けて試します。

これは、流れる川の端や、水が溜まっている水たまり、沼、湿地の端の様々な個所に、ランダムに小さな切れ目が入ることがあるというイメージです。そして、その切れ目の先に少し傾斜があれば、水がしみ出し、運が良ければ新しい小川ができます。それは、川の水、つまりエネルギーが流れ込みやすい地形に向かう切れ目だったという事です。

元々の地形に、このような小川ができるような道筋がなければ、いくら時間が経っても見つかるはずがありません。しかし、実際には新しい小川は時間と共に見つかり、それが複雑に入り組んだ多様な流れを形成し、進化と発展をしていったわけです。つまり、そもそもの地形に、生命が誕生するだけの複雑な入り組みが存在していたことになります。この地形は、有機物の合成パターンに対応した広大な地形空間です。

そして、湖や沼や湿地は、生成された新しい有機物の集合です。そこではまた様々な組合せが発生し、その先に続く小川を見つけるべく、湖や沼や湿地の端に、ランダムに切れ目を入れていきます。これを繰り返して、どんどん低い位置に水が流れ、湖や沼や湿地ができていきます。より低い位置は、より複雑な有機物が生成されたことを意味します。

■さいごに:有機的な地形が見せる風景

通常の物理的な地形、無機的な地形においては、水が流れつく先は海であり、そこで水はただ無秩序に拡散します。

しかし、有機物の合成パターンの地形空間は、エネルギーが流れ着く先は終点がないかのように下へ下へと掘り進んでいきます。そして、下に進めば進むほど、エネルギーの効率は良くなる一方で、秩序が形成されていきます。エネルギー最小化を目指すという点では同じですが、散逸か秩序か、という点で、無機的な地形と有機的な地形は全く別の景色を描きます。

そして、有機物だけでなく、生物の遺伝子の合成パターンの地形も、知識の合成パターンの地形も、学問や文化の進化の地形も、全て同様に有機的な地形であり、秩序を形成しながら複雑で多様な進化をしていくのです。


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