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合理的な世界:ゼロサムゲームを乗り越えて

■冷たい道と、温かい道

現実の世界に、一方が得をして他方が損をするような、単純なゼロサムゲームなどあるのでしょうか。

1つのリンゴを2人で取り合った場合、勝者がリンゴを得て、敗者はそれを逃します。しかし、それだけではありません。1人目は優越感や罪悪感を持ち、2人目は劣等感や喪失感を得るかもしれません。

リンゴだけを見ればゼロサムに見えても、2人の関係はマイナスになります。この状態では、次のリンゴを得る際には、より大きな労力とリスクを負う事になるでしょう。トータルで、これは社会的な損失です。このやり方を、冷たい道と呼ぶことにしましょう。

1つのリンゴを2人で分け合えば、2人ともリンゴを半分ずつ手に入れられます。2人の間に束の間には、分かち合いの喜びと、ちょっとした絆ができるかもしれません。

リンゴだけ見れば冷たい道の時と同じようにゼロサムに見えます。けれど、2人の関係にはプラスの効果があります。次のリンゴは、協力して少ない労力と低いリスクで得ることができる可能性が高くなります。トータルで、この社会は豊かになります。これは、温かい道と言えます。

■温かい道を選ぶための前提条件

理想主義的な綺麗事を言うつもりはありません。必ずしも私たちは、温かい道に進めるわけではありません。温かい道を選ぶことが合理的になるのは、2つの前提を満たしている必要があります。

1つ目の前提は、リンゴを丸ごと1つ手に入れる事が必須ではない、という場合です。餓死を逃れたり、アイデンティティをつなぎ留めたり、心の空白を埋めたりするために、どうしてもリンゴを1つ手に入れなければならならないような場合は、温かい道を進むことはできないでしょう。

2つ目の前提は、相手の事を信頼できる場合です。リンゴを分け合えば、お互いに喜びを得られ、絆ができるということを、信じられる場合です。そうした信頼関係が無ければ、温かい道は見えてきません。

この2つの前提が成り立っている場合は、温かい道を選ぶ方が合理的です。あえて冷たい道に進む理由などないでしょう。一方で、前提が満たされていなければ、冷たい道を進むしかないかもしれません。

■前提条件を見つめる

ただ、どうでしょう。この前提が成り立たないという場面は、そんなに多くあるでしょうか。

1つ目の前提は、狭い目で見れば冷たい道しかないように見えるかもしれません。

しかし、次にリンゴを分ける時には相手に譲る、という約束をすることができるかもしれません。そうすれば、広い目で見れば温かい道が見えてきます。視野を広げたり見方を変える事で、温かい道を探す努力をすることが、合理的なやり方です。これは日本語の"義理"の価値感に相当します。英語で言えばギブアンドテイクです。

あるいは、余裕がある時に、他の人のために冷たい道を選んで、相手に譲っておけば、将来自分が1つ目の前提を満たせず、冷たい道に進むしかなくなった時に、譲ってもらえるかもしれません。このため余裕がある時に、そうした保険を掛けておくことも合理的な戦略となります。これは日本語の"人情"の価値観であり、哲学者ジョン・ロールズの無知のベールの実践という事になるでしょう。

2つ目の前提は、心の投機ができるかという問題です。相手を信じてみる事ができるかという事です。信じても、裏切られるかもしれません。しかし、賭けに負けた時に失うものと、賭けに勝った時に得られるプラスのもの、そして賭けに勝つ確率を計算して、プラスの期待値が上回るなら、温かい道に賭ける方が合理的でしょう。

もし仮に期待値がマイナスになる場合でも、何もせずに冷たい道を進んでマイナスを生み出すよりも、賭けに勝つ確率を高める方法を考え、温かい道を作るための工夫と努力をする方が合理的です。

■理想主義の微かな力

理想主義の綺麗事では大きな力は生まれません。暖かな道に進むために、心に訴えかけて生まれるエネルギーは僅かです。そのわずかなエネルギーは、この賭けに投機するところに集中した方が良いでしょう。

合理性を突き詰めて、そして50/50まで持っていきます。不可知の未来は、突き詰めれば必ず50/50になります。そこで、僅かに手に入れられる心のエネルギーを使って、温かい道に大岩を転がすのです。理想主義が生み出す力は、その時まで温存しておいた方が得策です。

■感情や思い込みの役割

もちろん、感情や思い込みなどによって、合理的な選択が困難な場合もあるのが人間です。その全てを否定することはできません。

多くの場合、こうした非合理なものの中に、本当に大切にしたい価値が含まれています。本当に価値があるものは、合理的な思考ではなく、こうしたものの中にカプセル化されているものです。それは、個人や社会、文化によっても、異なるでしょう。

自らの非合理を自覚しつつ、自らの理性に頼ることには意味があります。また、他の人の非合理的な部分を理解して包摂しつつ、多くの人が理性を発揮する状況も可能であると信じることにも、価値はあります。

■さいごに:ゼロサムゲームの視点を越えて

私たちが真剣に考えて取り組むべきは、ゼロサムゲームなどではありません。冷たい道と温かい道のゲームです。

自由競争が豊かさを生み出したことは確かです。一定の豊かさがなければ私たちは1つ目の前提を満たす事ができません。また、豊かさの成長にも、大きな効用があります。

しかし、自由競争はその効用が活きる範囲で利用すれば良いはずです。全てを競争のレンズに通して見ることに、どのような意味があるというのでしょう。

冷静な目を持ち、理性的な判断ができる人が、どうして、わざわざ奪い合いを起こさせるようなことを言うのでしょう。人を傷つけるようなことを言うのでしょう。温かい道を目指そうとする人の意欲を、削ごうとするのでしょう。どうして彼らには、このゲームの本質が見えないのでしょう。

私たちが合理的でありたいと願うのでしたら、少なくとも、こうした冷たい道への伝道師を、賢者のように扱うべきではありません。

その代わりに、困難に見えたとしても、温かい道を模索し続けた方が良いでしょう。昨今、企業も投資家も、ESG投資やSDGsの取り組みのように、競争と協調に目を向ける時代になりつつあります。これは、時代が変わる象徴かもしれません。

これが、私たちの生きている、そして目指すべき、合理的な世界の姿です。

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