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自己とは何か:制御、保護、所有

自己とは何か、という問いがあります。この問いは多義的で、観点によって多数の答えが考えられます。

私は、どのようなロジックであれば知能が容易に自己と自己以外を認識可能か、という観点から出発してこの問いへの答えを考えました。

この観点から考えた私の出した答えは、自分が制御できる部分が、自己の認識の根源だと考えました。以前の記事で、この観点に基づいて、幼児の自己認識の過程にあてはめたり、またアルゴリズムとしてどう実現できるかを考えたりしてきました(参照記事1, 2, 3)。

この記事では、この制御できる部分が自己だという考え方について簡単におさらいします。その後、制御の延長、および、制御能力を担保するために保護および所有の概念を用いて、自己の認識範囲が拡張される事を説明します。さらに、知能のみならず、生物においても自己の概念を適用して捉えることができる点に触れていきます。

■予測可能な混沌としての自己

知能は世界を観察して、そこにあるパターンや法則やメカニズムを学習します。そして、パターン認識、法則の適用、メカニズムのシミュレーションを駆使して、世界の未知の部分を予測します。

この時、未学習であったり、パターンや法則が掴めない為に、予測が困難な部分が残ります。予測可能な部分を秩序と呼ぶことにすると、予測困難な部分は混沌です。

その混沌を仮定や想像で埋めて、世界の予測をするしかありません。

すると、パターンや法則が掴めないのに、何故か予測と現実がいつもの一致する部分が世界の中にあることを知能は認識します。

この部分が、自己です。つまり、自分の手足のように、制御できる部分です。この部分は、法則やパターンは当てはまらない未知の部分ですので混沌ですが、一方で必ず未来が完璧に予測できます。

つまり、予測可能な混沌です。それが、自己の認識の根源だと私は考えています。

この自己認識の仕組みは、知能が世界を学習して予測する能力を持っていれば、容易に実現できる仕組みです。混沌であるけれど、予測が必ず当たる部分を見つければよいだけですので、シンプルなアルゴリズムで実現できます。

■制御の拡張

知能が思い通りに制御できる部分が自己だと認識した場合、知能はさらに制御可能な部分を探します。

肩を動かし、肘を動かし、五本の指を動かします。それらを組み合わせて、手を思い通りに動かします。太もも、膝、足首を動かして、そして歩行することを覚えます。

さらに、道具を使うことを覚えるでしょう。棒やハサミ、自転車やスマホなど、道具を使いこなすことで、制御可能なものや、その範囲を増やすことができます。

そして、制御可能な道具を操るスキルや能力も、自己と認識しますし、制御している最中は、道具も手足と同じように、自己と認識します。

コンピュータゲームをしている時は、操作している主人公のキャラクターを自己だと認識します。だから、敵に襲われたらハラハラドキドキしますし、落とし穴に落ちれば思わず声も出てしまいます。

■制御のために必要なもの

制御できるものを自己だと認識することが、自己認識の原点と考えると、そこから自己の観点も広がっていくと考えられます。

まず、手足が傷ついたり失われれば、制御できなくなる恐れがあります。このため、制御可能なものも保護したいという欲求を持ちます。

痛みを覚えるのは、進化の過程で私達に生まれつき備わっている機能です。痛みを覚えない部分であっても、制御できるものであるなら、私たちは痛みを感じる部分と同じように、保護しようと考えます。保護しなければ、自己の一部が棄損する恐れがあるためです。

従って、制御対象とは別の観点で、保護対象という形の自己認識も知能は行います。

また、この保護対象は、直接制御する部分に限りません。その制御対象が動作するために必要なエネルギーのような資源や、自由度や権利なども、保護対象です。それが失われると、制御可能なものが傷ついた場合と同じように、制御できなくなります。

これは、所有の概念です。エネルギーやお金のような資源、自由を含む権利などを、私たちは所有しており、それを保持し続けたり、あわよくば増やそうと考えます。それは、所有が制御の能力や範囲に影響するため、と考えられます。

このため、制御と保護とは別に、所有対象を自己と認識するという観点も、知能は持っています。

制御、保護、所有のそれぞれの観点の対象は、オーバーラップしている部分が多いのですが、完全に一致するわけではありません。

観点ごとに対象範囲は変わりますが、概ね、これらの観点を総合したものを、私たちは自己と認識しています。

■制御能力の維持と拡大

知能が自己を認識するのは、制御能力の拡大のためです。私たちは、所有物を増やし、保護し、それを使って制御の範囲・精度・パワーを拡大していきます。

その手段は理性的でも、その目的自体は本能的なものです。制御能力が高ければ、生存能力が高まりますし、自分の遺伝子を受け継いだ子孫も守ることができます。

より制御能力を高めることができる遺伝的形質が生き残ってきたと考えれば、私たちの本能に、保護や所有の観点も含んだ制御能力の拡大欲求が組み込まれていることは、不思議なことではありません。

しかし、本能に組み込まれていることと、それをすべきかという事は異なります。私たちは、多くの側面や場面において、理性で本能を抑えたり上手くコントロールする必要があります。

制御能力の拡大欲求も同じです。必要な部分までは、この欲求を利用すべきでしょう。しかし、度を越して拡大を求めることは容認されるべきことではありません。

理性で「足るを知る」ことが、重要なのです。

■生物における自己

知能と同じように、生物も自己と外界を区別します。原始的な生物である単細胞生物でさえ、物理的には細胞膜で、自己と外界を区別しています。

そして、知能と同じモデルが適用できると仮定すると、生物も制御可能な部分を自己の根本に持っていると考えられます。

その制御の能力を維持したり、あわよくば拡大したりできることが、生物においても重要です。従って、単細胞生物において、制御可能な能力を守るために、細胞膜が存在しているという見方ができるでしょう。また、制御可能な部分だけでなく、そのためのエネルギーや化学物質などの資源も、細胞膜が保護しているとみなせるでしょう。

そして、生物は、制御能力を拡大する方向へと進化していったと考えられます。単細胞生物より、多細胞の方が、より制御の範囲・精度・パワーが大きくなります。また、脊椎動物のほうが無脊椎動物よりも、制御の範囲・精度・パワーが大きいでしょう。

また、自己を保護するという観点からも、生物は高度に進化してきました。細胞膜で防御するだけではありません。栄養や酸素などを、生物は体内に取り込む必要があります。

この外部からの取り込みの際に、危ないものを取り込まないようにしたり、取り込んでしまったとしても排除できるようにする仕組みを持っています。

味覚や嗅覚による異常検知の仕組みや、免疫による侵入物の撃退の仕組みが、その代表例です。特に、免疫においては自己と異物を識別するかという問題が含まれています。こうした防衛の進化も、生物の進化における重要な側面です。

■さいごに

この記事では、知能が自己を認識する際の原点が、制御可能な部分にあるという考え方を説明しました。そして、道具を操る場合のように、制御可能な部分は拡張可能である点や、自己の制御可能性を維持するために、身体の保護やリソースの所有という概念で括られる部分も、自己の範疇として認識されるという点にも触れました。

さらに、生物の視点からも、外界と自己の区別を見てきました。外界との間に細胞膜のような仕切りを設け、自己を保護する機能を進化させることで、自己、即ち制御可能な範囲、精度、パワーの強化を図ってきたと考えられます。

仮に、人工知能に自己認識をさせるようなことを考える際にも、制御可能な部分という観点から出発することで、理に適った自己認識メカニズムを実現し得るのだろうと思います。

<補足>

自己認識の話題とは離れますが、以下の参照記事一覧の参照記事4以降に、知能の認知メカニズムについての過去記事へのリンクを貼っておきます。ご興味があれば読んでいただけると嬉しいです。

参照記事一覧

参照記事1

参照記事2

参照記事3

参照記事4:感情と思考についての考察

参照記事5:知能のパターン認識とシミュレーション能力の考察

参照記事6:無意識と意識および理性と直感の考察

参照記事7:ニューラルネットの性質についての考察

参照記事8:ニューロン単体の性質についての考察

参照記事9:知能のアーキテクチャの考察


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