「届いて!福島第一原発事故避難者が遺した言葉」

2011年3月11日、午後2時46分。

宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートルで、マグニチュード9.0という日本周辺における観測史上最大の地震が発生。

それにより、福島にあった原子力発電所が爆発し、多くの人が避難を強いられました。

そんな避難者の一人でもある鈴木絹江さん。
鈴木絹江さんは、車いす利用の障害者でした.....。

▶絹江さんのお話

>3.11後ね、避難についていろいろ大変だったんですけど、私が京都に避難してきたのが2013年10月なのね。

>それまでの間に救急車で4回運ばれている。

>京都に引っ越してきてすぐに5回目の入院をして、そのときは輸血が必要だからすぐ入院しなさいと。

>「命にかかわる」と医者に脅かされて。

>でも入院となると長くなるから、すごくいやだったんだけれど、入院して、で、三回目の冬なんだけど、去年の10月に首にぽこっとできものができて、診察してみたら、それは甲状腺乳頭がんで、肩の方のリンパ節に転移してるといわれて、ショックだったね。

>福島にいたときは、マスクをして、帽子被って、合羽を着て、真夏の暑いのに戸を閉めて、洗濯物は絶対外に干さないで、そういう生活をずっとしてたのに、飲み物はペットボトルの水だし、食べ物は西日本とか九州から、お米とか取り寄せてそうやって注意してたのに、ガンだといわれてガーンときた。

(中略)

>誰にでも通じる答えというのはないんだろうけど、ひとつは、この福島原発事故のことで学んだ人が生き残っていくと思うのね。

>もうひとつは、それを学ばないで、わたしたちがあたふたしたようにね、同じ道、愚かな道を歩むと。

>これはもうどうしても出てくるだろうなと思うね、残念なことに。

>ほんとうはそうではなく、みんなが助かって、みんなが幸せになる道って必ずあると思ってるんだけど、それに気づく人ってほんとに一部の人間なんだということが今回のことですごくよくわかったので、賢い人たちがたくさん増えていったらいいなとどこの国でもね。

>そうは思うけれど、そうではない人たちがいて、その人たちの強い抵抗にあいながら、やはり真実を語っていくってことには、強さとあきらめない精神と深い生き物とか、地球に対しての愛情を持っている人だけが成し遂げられるんだろうなって思うね。

届いて!福島第一原発事故避難者が遺した言葉

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