卒業。みんな、元気で。
2024.3.6
初めて担任をした生徒が卒業した。
準備から当日まで色々な出来事があって、色々なことが頭をめぐっていたのでここに書き留めておきたい。
準備
まず、何をどこまで準備したらいいのかわからない。
そして、できれば当日は心が動くような時間にしたい。
手探りの中、結局準備したものは次の通り。
(クラス間であまり差が出ないように、横と調整しながら行った)
・3年間の振り返りムービーの作成(卒業式予行で上映)
・生徒一人一人への手書きの手紙
・副担任の先生へのサプライズ色紙
・保護者への手紙(担任より)
・保護者へのメッセージカード(生徒に書かせて式場後方に掲示)
入試業務も重なる中で同僚と終業後コメダ珈琲で作業するも疲労で意識が向かず全く捗らなかったり、そうかと思えば動画の挿入歌にノってきてしまい夜中の3時くらいまでノンストップで作業していたり。
結構激しかった。
これらは本来やらなくてもいいこと。
前日に式の練習をして、当日名前を呼んで卒業証書1枚渡して終わりでも全然OK。そして、それが一番楽ではある。
それは分かっていたが、結果的に色々やってよかった。
まず、できることが増えた。
Canva(デザインソフト)を使えるようになったり、コピー用紙をムダに綺麗にカットできるようになったり、猫ミームを作れるようになったり(笑)
動画編集を手伝ってくれた先生には感謝。
また、手紙では一人一人に向き合う時間が持てた。
「おそらく今後手書きの手紙をもらう機会は少ないだろう」「自分だけに宛てた手書きの手紙はもらったら嬉しいだろう」「当日は一人一人とゆっくり話す時間は取れないだろう」など色々な思いがあって始めたが、結果的に自分自身があれこれ思い出すきっかけになっていちばんトクをした気がする。
そんなこんなで式当日を迎えた。
当日
当日、袴の着付けをしてもらい、校門をくぐった瞬間から色々思い出してちょっと"エモく"なり「今日は泣いちゃうな〜」とか思っていた。
だが、そんな気持ちは生徒に会った瞬間吹っ飛ぶことになる😂
今まであまり「全員が袴」ってことはなかったそうだけれど、ノリでそうなった。
学年団の人間関係が良好だったことに感謝。
続いて教室。
The.戦争。
詳しくは書かないが、「絶対に自分たちなりのオシャレをして式に出たい卒業生」vs「さすがにこのまま式に出したらアカンことがわかっている教員」のバトル⚔️
なんとかまともな格好にさせて、式が始まる。
(やりきれてなかったかもしれない、、)
謎に深まったのは学年団の教員の連帯感。笑
式中もほとんど9割以上の生徒はきちんとしていたが、一部の生徒が返事をふざけてみたりで、終始ひやひや。
退場直前にクラスの生徒がそわそわし出し、こっちはひやひや。目が合った生徒に必死に「おい、やめさせろ」と視線を送るもむなしく。
退場するときに「本多先生ありがとう〜!」と言ってクラッカーを鳴らしやがった😅
クラッカーを準備していたのは知ってたけど、教室でやるもんだと思っていた。そこでやるか。
式としてはふさわしくない行動だけどもう最後だし、担任の指導不足としてあとで謝ろうということで。
捉えなおしして、ダメなことはダメなことという前提の中で、わざわざ準備して行動に移してくれた気持ちに対してはありがとう、って感じだった。
式後
ここまで書いてきたようにもうバタバタ。
感傷に浸る余裕なんてなかった。
まー最後ちょっといいこと言って終わろうかなくらいに思っていたら、サッカーボールの寄せ書きとお花のサプライズが。
前日に堂々と集金していたからなんとなく予想はついていたけど(もーちょいうまくやれや😂)、それでもやっぱり準備して行動してくれたことが嬉しかった。
こちらからは例の、お金はかかっていないけど想いはめちゃ込めた手紙を渡した。
人づてに聞いた限りだと、反応は良かったらしい。
最後は、この1年間の裏話と想いを話した。
・このクラスが2年生のときに担任をされていた方が転職されることは実はけっこう前から知っていたこと
・もともと自分でない他の先生が今のクラスにはまる可能性が高かったこと
・このクラスの担任を希望して無事になれて嬉しかったこと
・教員人生で初担任、しかも3年の担任で不安だったこと。でもワクワクしていたこと
・みんなに成長させてもらったこと
・前向きに生きていってほしいこと
最後はしっかり目を見て聞いてくれた。
この1年間、そんなことはほぼなかったけど。笑
1年を振り返って
綺麗事ばかりではなかった。
自分で言ったことをやらない。
簡単に約束を破る。
遅刻をする。
ルールを破る。
謝罪ができない。
何度も腹が立ち、心折られた。
「おいまじか」「そうくるか」「勘弁してくれ」と、何度思ったことか。
と同時に「こういう言葉を、こういうタイミングで、こんなテンションでかけてみたらどうだろうか」という仮説を立てて、やった試行回数はめちゃくちゃ多かった気がする。
感謝できる部分を見つけるとするならば、生徒たちがそういう機会を何度も何度も与えてくれたことに対しては感謝できるかもしれない。そのたびに考えるキッカケになった。
大前提、だいぶストレスはかかっているし、本音は「ふざけんじゃねぇぞボケ!」で間違いはない。笑
ただそれでも、彼ら彼女らの言動、行動の全てが自分自身への試されごとしてとらえて
「相手の課題をはっきりさせ、どうなってほしいか考えて言葉をかける」
「自分で気づいていないだろう長所に気づかせて自信を持たせる」
「1回でできるようになるとは考えず、何度も何度も声をかけ続ける」
「その上で、実際に目の前の生徒が変わるかどうかはコントロールできない。それでも手を替え品を替えやりつづける」
それだけなんだろうなと思った。
おわりに
こんなに毎日顔を合わせて、一緒に勉強したり叱ったりほめたり叱ったり叱ったり(笑)、深い話もしたのに、おそらく今後一生会うことのない生徒のほうが圧倒的に多いと思う。
なんだか不思議な感覚だ。
ただ、自分自身も小中高大と "親しかったけれどもう一生会わないんだろうなという人" がたくさんいるから、きっと今回もそういうことなんだろうと思う。
さんざん迷惑かけられてきた部分もあったから(笑)せいせいするぜ!っていう気持ちももちろんあるが、やっぱり寂しさもとても大きい。
ただそういう思いがあったから手紙もその子への最後の言葉になるつもりでひとつひとつ言葉を選んで書いたし、この1年間、実力不足ながらも自分のベストは尽くした。
もちろん卒業してから学校に近況報告に来てくれたり、どこかでばったり会えたら嬉しいけれど、自分が考えるべきは"次の生徒をどうするか"でしかない。
お互いの長い人生のなかでたまたま、本当にたまたま2年間同じ時間を共有して、また違う道を行くことになるわけだけど、ともに考えてぶつかって悩んで喜んだ、色々な感情を共有した、本当に貴重な時間だった。
頼りない部分も多くて申し訳なかったけど、なんだかんだで楽しくやらせてもらいました。
出会ってくれてありがとう。
みんなの担任になれてよかったです。
みんな、元気で。
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