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そろそろ、苦労よりラクを選ぼう

「人生、ラクしたい」


と、聞いた時、どんな気持ちがしますか?


「人生そう甘くないよ」
「怠けてたらダメよ」
「ズルしたらダメよ」


と、私は一瞬思いました(笑)。


私は、「若い時の苦労は買ってでもしたほうがいい」と、学生のころから社会人になってからも、大人たちに言われ続けてきました。


だから、20代のころは、自分は未熟者だと重々理解していたので、起伏が激しい厳しい上司や無茶ぶりなお客様、深夜に及ぶ苦手な仕事でも「逃げてはいけない」「忍耐力を鍛えるんだ」と、日々自分に言い聞かせていました。


そのお陰もあって、「ストレス耐性あるね」「タフだね」と、言われるようになって、自分としても苦労が報われたと思ったこともありました。


※ ※ ※

苦労 = 美しい姿


日本人(特にオジサマ?)は、このような思考回路が多い気がします。(私もそうだったのですが)私は頑張っている(苦労している)アピールをしていました。


ちゃんと若いうちに苦労した経験がないと、「一人前になれない」「人として成長できない」と信じていました。でも、今冷静に考えると、もう自分の中で違和感が芽生えています。もうすでに、Z世代では、この価値観は薄れていると思います。


確かに、苦労したことで、能力、スキル、経験値は身についたので、良い面もありましたが、自分の内側では「義務」「我慢」「犠牲」の感情が常に渦巻いていました。その引き換えに、幸せではなく評価と承認を得ていました。


だから、ラクに生きていておまけに成功しちゃっている人を見ると、羨ましさを通り越して憎らしさを感じてしまっていました。ということは、「私もラクして楽しく生きたい!」が本心なわけです。



※ ※ ※

「ラク」とは、
「怠ける」「ズルをする」「手を抜く」ことではありません。


世界を見渡すと「ラク」な方向に時代は流れています。

著しい技術進歩のお陰で、私たちは年々ラクに快適に生きています。今どき、洗濯板で苦労して洗濯していません。東京から大阪まで苦労して歩いて移動しません。部屋を明るくするために苦労してろうそくを灯していません。


な~んだ、私たち先祖も元々は「ラク」を手に入れるために、これほどまでに技術革新に貢献してくれていたんじゃない!



自動化が進んだお陰で、今まで人間がやっていた仕事が無くなるケースだって増えています。将来、仕事をしなくても生きられる時代がくるかも?


なのに、人の生き方の価値観が昭和のまま(笑)。
「苦労しなければ一人前になれない」「人として成長できない」は、ちょっと合わなくなってきていると感じます。


「ラク」とは、

「義務」「我慢」「犠牲」からの解放

心と体がリラックスして、自分の個性や得意が発揮されやすい状態のことです。


「ラク」は人間にとって、悪いことなのでしょうか。それでも、やっぱり苦労しないとダメでしょうか。

「苦労」を選ぶのも、ただの趣味。
「ラク」を選ぶのも、ただの趣味。



究極はどちらの生き方も間違ってはいないけれど、私は残りの人生、「ラク」な方を選んでみたい。



もちろん苦労が必要な時もあると思いますが、そもそも苦労は期間限定だからこそ一時的に我慢でき、乗り越えられるのです。永遠にやるものではない。人生の基盤は「ラク」をベースに生きていきたい。



「ラクはいけないこと」から
「ラクしていい」と自分に許可を出す。
令和の生き方バージョンに書き換えていきたいと思っています。

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