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化粧と私。 スッピンは永遠の憧れ

今朝もいつもと変りなく、ドレッサーに座って簡単に化粧を済ませる。



ふと、「どうして私は毎日、化粧をしているんだろう?」と、改めて考えていました。


自分にとって当たり前すぎることって、
空気みたいな感覚になっているので、立ち止まって考えることは珍しいこと。


化粧とは、女性の一生のルーティーン

思春期くらいから、そう思っていたかもしれません。


そういえば、化粧をする目的・意味、やり方を親や学校から教わったことはありませんでした。ただ、どうせ女性が大人になったら必ずするものなんだから、学校の授業でスキンケアやメイクを教えてくれればいいのにと思っていました。(今は、小学生からメイクデビューする子もいるとか!?)


化粧とは、自分を美しく魅せること

そして、美しく魅せなければ世の中生きづらそうだなぁと、大人になるにつれて知ることになります。



今みたいにYouTubeがない時代。
メイクについて相談できる場といえば、デパートの化粧品売り場。でもあの華やかな美容部員さんと会話する勇気のない臆病な私は、社会人になってからも自己流のヤバいメイクし続けていました。今思えば、末恐ろしいこと(笑)。




そして、30代になってやっと化粧を本格的に学ぼうと、仕事をしながらメイクアップスクールで1年間(夜間)、メイクの技術を学びました。

メイクアップスクール (イメージ画像)


あの頃は、学んだメイクの技術で、自分の顔のパーツのコンプレックスだけでなく、自分の内面(気質、性格)の嫌なところも一緒に、形よく補正され、原形を隠すことができる気がしていました。


そんな化粧という魔法に夢中になりました。


自分を美しく魅せるというよりも、どちらかというと自分を消す感覚に近かったと思います。


素の自分を見たくないし、
素の自分を他人に見せたくもない。


もう、Before化粧の自分には戻りたくない。



※ ※ ※

メイクアップスクールを卒業して、もう10年以上が経ちます。


当時、スクールで買わされた大量の基礎化粧品、メイク道具で一杯だった大きな化粧ボックスは、全部は使い切れないまま処分してしまいました。



今は、小さな化粧ポーチに収まる程度しかありません。化粧に興味がなくなったわけではなく、今でもドラックストアのプチプラコスメを見るのは好きです。


私の人生で、当たり前のようにやっていた化粧が、それほど好きじゃないことに途中で気づいたからです。


なぜ、それほど好きじゃなくなったのか?


自分を等身大以上に ”盛る”

自分の欠点を"ひた隠しする"


これらに、ちょっと疲れちゃったからです。
手間もお金もエネルギーもかかるし・・・


もちろん、私の顔のパーツのコンプレックス(小さい目、低い鼻、薄い眉、丸顔、長い人中、シミ、シワ、くすみ、たるみ…)が消えたのではなく、数え出したらきりがないし、年々深刻になっています(笑)。


たまに、美容系のYouTuberの女性が、
「今日は、スッピンで失礼します!」と言いながらも(本当はスッピンでも自信があるんでしょ?)、堂々と発信をしているのを見るとイラっとする自分がいます。


「いいな~、スッピンに自信があって」
でも、撮影前に薄化粧はしているはず!と疑いの目を向けていますが(笑)。


美容系のYouTuberの方のように、スッピンに自信が持てる日は、私には来ない気がするので、ちょっと盛るちょっと隠すの化粧はずっと続けていくことでしょう。

昔のように、てんこ盛りとか、ひた隠しはだんだんとしなくなりましたが、


でもやっぱり憧れるんですよね。

顔だけなく、
心もスッピン(素のまま)で生きる人生


顔も心もスッピンのままでも、愛される人生


化粧という武装を脱ぎ捨てたありのままの自分でいられるのって、きっと気持ちいいんだろうな、でも勇気と覚悟もいるだろうなと。


そんな日が、自分にも来るといいな・・・


でも今は、周りが不快な思いをしないよう、
また自分の自信のなさを隠すために軽く化粧はしつつ、


そして、世間や社会と折り合いをつけながら、
素の自分を少しずつ出して生きていけたらなと思うのです。


本当の意味で、
いつか化粧を卒業できる日を夢見ています。


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