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ヨガの魔法と父のこと

今日、ヨガのレッスンを受けに行って、魔法のようなことが起こった。

ずっと仕事が猛烈に忙しくて、大好きな先生のレッスンに全然いけなくなってしまい、今までにないほど身体がガチガチになっているのがわかっていた。
今日も行くのを迷うくらいの状況ではあったのだけれど、でも身体があまりにもひどい!先生のヨガを受けねば!と1ヶ月ぶりに向かった。

最初は、あ〜ちゃんと先生のレッスンを受けるというのは全然違う〜と幸せに浸っていたのだけれど、
足指回しの時間に、ふと昨日会った父のことを思い出した。

昨日は妹と、2月から父が一人暮らししている部屋へはじめて行った。
父は1年前に肺ガンになり、一旦は手術で治ったのだけれど夏にまたガンが見つかり、タバコのせいでボロボロの肺はもう手術を受けることができないので今はその時を待つ、という状態になっている。



父はわたしが中3の冬、受験の直前にある日突然いなくなった。
A型で細かく厳しい母と、B型で陽気で優しい父はわたしが小学高学年の頃から仲がどんどん悪くなっていて、どうやら生命保険の所長だった父が浮気してクビになって今は麻雀屋をやっているようだ、と子供ながらにわかってはいたけれど、それでもわたしは父が好きだった。
だから、わたしとは仲良くしていたのになんで何も言わずにいなくなったんだろう、わたしは捨てられたのかと、中3の終わりから高1の頃、誰にも言えずずっと1人で悩んで、悩みすぎてストレスで胃に穴が開き息ができなくなって高校から病院に運ばれたこともあった。

そこからずっと父が生きているのか死んでいるのかもわからないまま、わたしは母になり、息子たちにも父は死んだことにして過ごしていたのだけれど、わたしが34歳の春、突然ひょっこりと現れた。
20年ぶりに会った父は「とりあえずどこかでお茶して話そうか?」というわたしに対して「ユカの奢りな!」と言い、わたしの奢りなのに遠慮なくケーキも注文し、20年ほったらかしだったことを謝りもせず、「ごめんとは思ってるよ、でも『ユカ、すまなかった』とかから入るとつまんないじゃん?」と笑い、「今日ユカのところに泊まっていい?」と言い出し、無理だというと「じゃあ帰りの交通費貸して」と五千円を借りて行った。とんでもなく非常識な父だ。
だけど20年を感じさせない会話はものすごく面白かったし、DNAなのか、「『ユカ、すまなかった』とかから入るとつまんないじゃん?」という父の言葉はわたしには真理に思えて、ああなるほど!面白いは全てを超えるのだな、と思ったのだ。

ちなみに行方不明の真相は、麻雀屋では母の機嫌が悪くなるばかりだからと、当時42歳の父は料理人になろうと一念発起し、日本橋の料亭に住み込みで働きながら調理師免許を取ることにしたのだけれど、それを怖くて母には直接言えず、同居していたおじいちゃんにだけ伝えたものの、そのおじいちゃんもそれを私たちに伝えることなくすぐ死んでしまい、何も知らない母は速攻離婚し、何も知らない父は1年後に免許を取ってさあ帰ろうとしたらすでに離婚されていた、という、なんだか漫画のような話だった。

その後、調理師免許を取って友人3人で始めた不二家レストランは友人がお金を持って逃亡したため潰れ、そのあと外苑前のレストランで働き、そこから船のコックさんになったけれど狭心症で入院、そこで娘たちを探そうと決意、海から地上に上がり、区役所では名演技で係のおばさんの涙を誘い、わたしの住所を聞きだして現れた、という、なんだかもう全てにおいてトンデモな話なのだ。
そして現在は寮に住み込みの調理人なんだけど仕事がない状態でお金も住むところもない。
しかも、不二家時代に出会った娘2人を育てるシングルマザーと良い仲になってちょっと前まで一緒に暮らしていた話も聞かされた。私たちがいるのに別の姉妹を世話していたなんて全然聞きたくないけどと思った。


その後無事仕事が見つかり、父は愛媛やら福島やら神戸やらいろんなところに派遣されていた。お金がある時はご当地の果物など送ってくれたりもするけれど、ちょこちょこやってくる仕事の途切れ目にはお金の無心の電話が来たり、勝手に荷物を預けてきたり、すごく自分勝手で全然普通の「お父さん」ではなかった。
『父親=安心、頼れる』が普通だと思うけれど、うちの場合は『パパ=不安要素、頼れない、逆に頼られる、面白いけど危険人物』みたいな感じなのだ。

父がお金のない時、一万円で買ってあげたわたしの誕生日プレゼント色紙。
その日麻雀でその一万をすってなくし、わたしにバレてしゃもじを投げつけられた。

1年前にガンが見つかった時も勝手にわたしの部屋に居候しだしたし、非情だとは思いつつも手術後出て行ってもらってすごくホッとした。
居候の最中に喧嘩をしたのもあり、なんだか父のことが嫌になって一人暮らしの父の家にも全然行かなかったし、何回か病院に付き添ったけれど、それもすごく嫌々だった。
やはりどうしても、育ててもらっていないのに、ただ血が繋がった娘だからってなんで面倒なことを最後に引き受けなきゃいけないんだという思いがあったし、こんな時にその同居していた女性がいてくれたら私たちが面倒かけられることもないのにとも思っていた。

夏に再発してからは会うたびに痩せていき、通院も厳しくなって訪問看護が始まった。
昨日は正直、今〆切の1週間前でものすごく忙しいのに、なんでこんな時に行かなきゃいけないんだ、へルパーさんに会わせたいと言われるのも本当に迷惑な話だ、と思いながら向かっていた。

1ヶ月ぶりに会った父はまたぐっと痩せていて、もう1人で買い物にも行けないくらい足が骨と皮だけになっていた。
ヘルパーさんはすごく感じの良い人で、父も相変わらず冗談を言ったり笑わせていて、私たちが買って行った大好物のショートケーキやお寿司を子供のように喜んで、少ししか食べられないけどすごく嬉しそうだった。
死が迫っていても冗談を忘れないし、女々しいことを言わないし、正直やさぐれた気持ちで嫌々行っていたわたしもすっかり楽しくて、妹と3人でたくさん笑い、心から「また来るね!」と言って帰ったのだった。

部屋を出て、「こういうところが父のすごい才能なんだよね〜」と妹としみじみ話しながら歩いた。
私たちもこうして会って話すと面白くて、腹立たしかったことを忘れて楽しんでしまうし、父はこの陽気と面白さで人に恵まれているのだと思った。
病院でもご飯屋さんでも、常に冗談を言って先生や看護婦さんや店員さんを笑わせているし、父といるとなんとなく周りに明るい何かが取り巻いている感じがする。そこは父の素敵なところだと思う。


足指回しで自分の足を触っていたら、昨日父の足の指の形が面白くて妹と笑ったことを思い出し、そうだ今度行ったら足指回しをしてあげようと思った。
そうしたら突然はらはらと涙がこぼれてきた。
あちゃー!泣いてるー!と思ったけれど、レッスン中に泣くのは初めてじゃないし、先生も慣れっこだろうと思ってそのまま涙が流れるままにしていたら先生に気づかれて、「すみません〜なんだか急に父のことを思い出しちゃって」と話しだしたらさらに涙が出てきてしまった。超迷惑な生徒である!

そうしたら、先生もつい最近お父様とのお別れがあって、お父様との最後の時間の話をしてくれたのだけど、それが全部わかる、おんなじだ、と思ってボロボロ泣いてしまった。
「父とは良い時だけじゃなかったけど、でもなんだか『親子だなあ』と思うし、父が穏やかだとこっちまで眠くなっちゃったりね」

昨日はすごく楽しかったし、父のチャーミングさ、良いところをたくさん感じて、わたしはきっとすごく嬉しかったのだと思う。
久しぶりに仕事を離れて、静かにただただ身体と自分と向き合うヨガの時間で身体が解けだし、その気持ちがうわ〜〜っと溢れ出たのかもしれない。


わたしにももうすぐはじめて、親との別れがくる。
まあまだ父の心は元気だから、また勝手なことを言ってきてムカついたり腹が立ったりもすると思う。
でも父がまだいる今この瞬間、父に対して優しい気持ちに戻れてよかった。
あの悲しくて胃に穴を開けた高校生のわたしも、今やっと解けたなあと感じた。
ヨガで自分の足を触りながら、わたしの身体は半分父のDNAからできているんだよなと思って、いろいろあったけれどパパの娘でよかったよと、父が生きているうちにちゃんと言わなきゃなと思った。
同時に最近老害のようになっている母に対しても、でも好きだなと、なんか喜ぶことをしてあげたいなあと、ふわりと思うことができた。
明日また母にもすぐイラッとするかもしれないけど、今この瞬間優しい気持ちになれたことが、自分にとってすごく良いことだった。

そんなことをずっと考えていたので、最後のシャバーサナ(屍のポーズ:仰向けでゆったりと大の字になって目を閉じる)と瞑想の時間ではさすがにちょっと遠慮して違うことを考えたりしてこらえたけれど、誰もいなかったらきっとわんわん泣いていたと思う。

先生にお礼を言って、本当に今日レッスンに来てよかったな〜と半泣きで外に出たら、なんだか白くて大きな普段見かけないような鳥が目の前をブワッと優雅に飛んでいって、ああ、こういうのも全部何か意味があるんだろうな〜と、なんだか嬉しくてしばらく眺めていた。

ただただ今日は凝り固まった身体を伸ばしたい〜と思っていただけで、全然父の事なんて考えていなかったのに、こんなことが起こるとは!
ヨガってこういう不思議なことがちょこちょこ起こる。
素直な体にしておくというのはすごく大事だと、ヨガを続けてわかったこと。
素直な身体にしておくと、心と身体がバラバラじゃなく、ちゃんと連動していくのだと思う。だから今日みたいなことが起こるのだろう。

わたしにとって今日のヨガの2時間は、わたしの長年の重く苦しいものがふわっと軽くなった本当に魔法のような2時間だった。

わたしは山羊座のB型で誕生日も3日違いで、性格も父に似ているから、父を見ていると不安になるし、父が呪いのような気もしていた。
父の良いところはそのままわたしのものとして受け継ぎ、父の迷惑だったところは反面教師にして受け継がない。ただそれだけでいいんだなと思ったし、迷惑で困った父だけど、なんだかんだと大好きだなと今日思えたから、残りの時間を楽しく過ごそうと思う。


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