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突然のさようならに、思い出あふれる

 その車を手放すことになった。だって車検に60万円かかると言うから。
 11年で約20万キロ。よく走ったものだ。
 過去の愛車に関して書いていきたいと思っていたのに、そんな風に思っていたころの車も過去のものになってしまった。
 「そっか。満身創痍だったのね」夫がねぎらう。

 正直、来た時は好きになれないかもってくらい、よそよそしさを感じていた。
 一番の理由は希望の色ではなかったから。希望の色を決めていたわけではなかったのだけど、色を選ぶ余地がなかったのだ。

 2011年。東日本大震災に遭い、そこから一年は環境がおおいに変わった。
 暮れには土地探しをしていたし、水色のデミオを手放すことになっていた。夫はハイブリッド車が良いと車を探していた。
 当時、燃費が一番良いのはプリウス。
 でもプリウスにするなら、コツコツと10年かけてためていた新車代が一瞬にして飛んでいくのを涙とともに見送らなければならない。もしくは半笑いで見送らなければならない。
 息子が大きくなってきて少し大きな車がほしかった。
 キャンプやスキーを家族で楽しみたかった。

 ああ高いなあー。

 でも。

 プリウスにした。

 ただ欲しかった瞬間はマイナーチェンジ直前だったため、選択できる色がなかった。マイナーチェンジ後は、何十万と高くなると言う。それまで待って色の選択をしたいか、少しでも安く買いたいか。
 すでに半笑い気味だった私たちは、マイナーチェンジ前の少しでも安い方を選んだ。

 「色は黒か白か。……ちょっと光った白が残っています」

 「へ?」

 なによそれ。と思ったけど、少しでも個性を求めたい私たちは、同じ値段ならと、ちょっと光った白にしてみた。本当はホワイトパールっていうんだっけ。よく見るとキラキラ光沢があるそうだけど、乗り始めてすぐにその光沢はわからなくなった。
 夫も私も「白か。つまらないな」と思ってしまった。
 気持ちが入らなかったのには、色のせいだけではない。プリウスが街にあふれていたせいもある。
 こんなにも大勢の人が乗っているではないか。中でも白は特別多い。

 そんな思いで乗り始めたら、わりと早い段階で、信号待ちしている時に後ろから追突事故に遭ってしまった。

 「僕たちの気持ちを知っていたかのようだ」「ごめんねレニちゃん」

 ナンバープレートに記されている末尾02のプリウスを、その時から私たちは「レニちゃん」と呼ぶことにした。なんとか愛着をわかせたくて。

 努力して私たちは愛車にしようとした。

 座席の調整、ワイパーの調整、細やかに行き届いていて便利だ。中も広い。田舎に暮らすようになった私たちにとって燃費が良いのは素晴らしい。白いと夜は目立ってくれて、少しでも事故が回避できるじゃないか。

 でも駐車場で白い車に向かい、キーを開けるべく、ドアに手をかけると自分たちの車じゃない間違いをよくやらかす。その度にちょっとした罪悪感におそわれた。
 表向きは「まちがえちゃったー!」と笑っていたけど、思い入れが足りないからかもと胸をかすめた。
 でも車まちがいはあるあるだと言うから、きっとみんなもドアに手をかけて「あれ? キーの開く音がしない」とか「車の中がちがう!」とかやっているんだろう。
 ちがう車に向かって歩き出す夫や息子を見て笑ったり、笑っている自分の方がまちがっていたり。
 知らないおばさんが、私たちのレニちゃんに手をかけてハッとした顔をしてからキョロキョロし、近くにいる私の存在に気が付いて「まちがえちゃった。あはは!」って笑っていたりね。
 きっとみんなあるんだ。

 その駐車場は、店舗に側面を見せる向きにとめる所が多い。つまり店の出入り口からナンバーが見えない。
 平日の昼間は車が少なめ。一人で目的の物を購入するべく、さっさと駐車し店舗に入った。
 買い物を済ませ、正確には思った物が手に入らず手ぶらで出てきて、しょんぼりしながらドアに手をかけた。
 ピッと音がしないけど開く。
 あれっ。鍵かけるの忘れたのかな。

 開けたドアから足が見える。

 足?

 あまりに衝撃を受けた時、人は目の前の出来事がスローモーションに見えるらしい。

 誰か乗っている。

 見たことのない靴だな。
 見たことないズボン。
 膝の上の手。
 両手。

 男の人。

 夫がこの駐車場に歩いてきた?

 職場からそこそこ遠いその店舗に夫が歩いてきたのだろうか。こんな時間に。そして私を驚かすために先回りして運転席に座っていたのだろうか。

 何故私へのサプライズ?

 夫のぽっちゃり体型とも見慣れた顔とも、似ても似つかないそのスレンダーな眼鏡のおじさんと、いったい何秒見つめ合っただろう。

 「はっ!」
 我に返って声が出た。
 「うわ!」だったかもしれない。
 いや「ひぇっ!」だったかもしれない。

 「すみません!」
 ドアを閉めた。
 
 私の。

 私の乗ってきた車はどこですかああ!!

 慌てて見回すと、
 その車の一つ向こうでレニちゃんは待ち受けていた。
 慌てて乗り込んだ。

 恥ずかしい。おばさんでも恥ずかしい。どうすれば良いのか。
 友達に聞いてもらいたい。しゃべったら少しは気持ちがラクになるだろうか。
 スマホを探っていたらなんだか視線を感じる。

 感じる視線をたどる。

 となりのおじさんだ!

 また目が合ってしまった。こんなところでとどまっているわけにはいかない。友達に聞いてもらうより、一刻も早くここを立ち去る方が先だ。

 車の中ですわっていたら知らないおばさんに、いきなりドアを開けられ、見つめられて、さぞかしおじさんも怖かっただろう。

 わあああごめんなさいーーー! 精一杯心の中でも謝りながら駐車場を去った。

 車をまちがえてしまう人はきっとたくさんいるだろう。
 でもまちがえたままドアを開けて、運転席のおじさんと見つめ合ったことは?

***


 レニちゃんを手放す時。
 いくつかの事故や可愛がれなかった初期を思い出し、あちこち旅行した思い出がよみがえった。長い距離をたくさん移動した。夫や息子の送迎、買い物で日々何度も何度も乗った。
 そしてまちがえたあの日のこと。おじさんと見つめ合った時の空気感までを思い出せる。一番強烈な思い出になってしまった。
 レニちゃん、ありがとう。たくさんの思い出と、広くてゆったり包み込んでくれた車体。そろそろとは思っていたんだけど、もう一年くらいはと思っていたんだよ。突然のお別れになったね。



*プリウスまちがいの失敗談の部分は以前書いたことがあるので、リライトとなります。読んだことのある方も楽しんでいただけたらと思います。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。