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もし40年ぶりくらいに会っても、まためっちゃ笑かすからね

 今年に入ってから、人と会うことが増えている。それは私を含めた人々の行動範囲が増えたからって意味ではなくて。

 たとえば、スリランカ人夫婦に家に招待され、日本語を教えることになった。
 たとえばリモートで、メンバーシップの方たちと顔を合わせて少しお喋りした。
 こちらの友人たちとも積極的に会ってしゃべっている。

 あれ。挙げてみるとそんなにでもないか。

 私にしては。かな。あと忙しくて何もできない期間が何度かあったので、誰かと会う予定が短い期間にギュッと濃縮されているんだな。

 この前、クリスマスカードを交わしている友人から珍しくメールで連絡があって。

 中学から知っている友達で、クリスマスカードはかれこれ35年ほど続いているのではないかな。

 彼女は責任ある立場や役割を嫌がらずに引き受けてくれるので、皆からの信頼も厚くて、ずっと人気者。今は母校に娘さんたちが通っていたり卒業していたりで、やはり娘を通わせている元同級生や先輩後輩たちと、母校で鉢合わせなんてことも多々あるらしい。黒歴史だらけの私には耐えられない! 

 それにしても彼女が学生時代の友人たちと会うなんてよくあることだろうに、何故わざわざその報告をしてくるのだろう。不思議に思いながら読み進めた。
 その中の一人が、別の元同級生友人と最近、子供を通じて久しぶりにつながるようになり。するとその友人が私に会いたいと常日頃言っているのだと教えてくれたそうだ。連絡先を知っていたら教えてと言われたと書いてある。

 えええ……。


 私立だったので、中学一年で入学すると「いっせいのーで」で、180名ほぼ全員が、それぞれの友人作りを始める。

 少し前に、別の女子校でイジメの話で自殺だなんて物騒な話を見聞きして「何故女子校なのに?」と驚いた。
 もしかしたら、そこでの地位争いが熾烈だからじゃないかなと想像している。一般的に女子校では何かのポジションで争うことはない。学内にいて歳の近い男子の目を意識することもない。友人を取りあうってことはあったにしても、そんなに激しくなかった。
 入学したての頃は少しいじめが存在したけど、ほどなくそれぞれがそれぞれの友人を作り、グループができてもその境目はゆるくてあいまい。ヒエラルキーはそれなりにあったけどね。何となくお互いがお互いを受けいれ合う関係。
 心地良い関係が築けると理解し、中学一年間を過ごした。
 ところが中学二年に上がった時、私は親しい人たちとことごとくクラスが分かれてしまった。

 心細い私の席の後ろにすわっていた彼女。
 彼女も親しい友人たちとはクラスが分かれたと言って、二人でよく話すようになった。

 私はフザけるのが好きだったけど、彼女はそれ以上に笑い上戸で私のお笑いのセンスをダメにするほどの爆笑王だった。いっしょにいると彼女はしょっちゅうお腹を抱えてヒーヒー笑っていた。

 楽しい時間ばかりでなく、そのうち彼女は所属する部活についての悩みを打ち明けてくれた。
 交換日記も交わすようになり、お互いの心の内を書いた。

 待ち合わせて一緒に登校をするようになり、お弁当の時間も他の子と混ざりながら一緒に食べて、下校以外はずっといっしょだった。

 彼女の部活での悩みは「やめたい」気持ちの吐露が主で、その気持ちが大きかったので、やめちゃいなよって私は無責任に言っていた。本当は多分、「やめたい」気持ちをただ聞いてほしかったんだろうな。彼女自身もそれに気づいていなかったのかもしれない。
 私は小学生でイジメられた時期があったから、人間関係でつらい思いをしてつながり続けることを当時から「精神的に負担過ぎる」と、できるだけ避けていた。私の特性から来ていた考えもあったのだろう。そういう苦痛は自分を圧倒して、自分をダメにしてしまう。
 私に言われて彼女は迷いに迷っていた。

 ある日。何でも話せるし楽しいかせみちゃんに、宝物を見せてあげると言われて、大事なタオルのような存在の物をそっと見せてもらった。そのタオルの様子に彼女の本気を感じて、それが可愛かったので、めっちゃ笑ってしまった。絶対に誰にも言わないでと言われて、それを守り続けた。そこのいきさつについてnoteで何年か前に書いたことがあるのが、初めてその約束を破ったと言えば破ったのかな。でも誰かは本人にしかわからないし、大丈夫だよね。

 最終的に彼女は部活を続ける選択をとった。

 部活の友達たちとどんな関係を築こうと、やっぱり続けたいのだと話していた。それができるのであれば私は応援するよ。そう伝えた。心からそう思ったし、立派だなと頼もしく思った。私とはちがうけれど、そんな彼女もそれで良いものだなって思った。

 ただその頃から彼女が私と距離を取り始めた。

 無責任な私を見限ったのかなと思った。

 彼女の愚痴や友達の悪口を全部受け入れてしまったのは彼女にとっても良くなかったのかもしれない。彼女に罪悪感を植え付けてしまったのかもしれない。

 申し訳ない気持ちが強くて、彼女が離れたいのなら仕方がないと思った。中学一年の終わりでもそんな風に離れた友人がいる。私が「嫌いにならない」気持ちをしっかり持っていれば離れていても大丈夫と思った。
 こういう気の持ち方って、大人になってからはあまりオススメじゃないけどね。やっぱり友人関係はお互いの気持ちを尊重し合い、思いやり合えないと、疲れてしまう。ただ嫌いじゃないまま離れていくことも、タイミングや縁なんかがあるんだろうなあ。

 中学三年生に上がってクラスが変わり、廊下ですれ違っても、目が合えばお互いに笑って手を振った。
 その後、私には別の友達たちとの付き合いが始まり、たくさんの楽しい思い出と、たくさんの悲しい思い出を作ることになる。

 私がずっと親しくしている友達二人はまた全然別の関係。

 彼女のことはよく思い出していた。

 夫や息子の安心するタオルの存在について思う時。
 ふざけた言葉を作って、不意に思い出す瞬間。
 交換日記についてだれかと話す時。
 彼女の爆笑してくれた姿。

 私は彼女には良い印象しかないけど、きっと彼女には私は不要だったのだ。
 思い出す度に、さようならの気持ちをくり返す。

 でも。
 彼女も思い出してくれていたんだ。

 中学二年の時にすごく親しくしてから、何となく離れて、35年以上そのままだった。

 娘さんが、別の女子校に通っているらしいと、クリスマスカードを交わす友人が教えてくれた。でも友人もそれ以外は何も知らない。

 「良かったら私が橋渡し役になるよ」

 そんなようなことを伝えてくれたけど、いざ本当に私の連絡先を知ってしまうと実際に声をかけるかどうか。二の足を踏んでしまうかもしれない。

 でも今年に入ってからたくさん新鮮な出会いがあったから、もしかしたら彼女との連絡だってつくんじゃないかな。なんて。ちょっぴり期待してしまうのよねえ。
 胸が熱くなる思いを抑えつつ、彼女の連絡を待っている。


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。