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住む土地の言葉を、使いこなせると良いな

 「すごい黒煙。割と近いなあ。火事かな」と思いながら、用事があったので、その近くのホームセンターの駐車場で車を下りた。
 建物の影に隠れて、火の元は見えない。
 
 すると、同じように車から下りてきたおじいさんが、黒煙を見てから私を見て「あれって火事だべ? 違うかな??」と言ってきた。「火事ですよねえ。異常な煙の色だし……あっ消防車の音も聴こえてきましたよね」と返した。おじいさんは「聴こえる? んだよなあ。異常。普通の煙じゃねえ。いやあ~……」と続けて、しみじみ二人で並んで眺めてしまった。しばらくして、燃えた何かがハラリハラリ。風に乗って、飛んでくる。

 でも煙を見上げながら、なんて私はよそよそしい喋り方なんだろうと、ボンヤリ思っていた。

 おじいさんの言葉は、書き出してみると、それほど違和感ないだろうけど、実際に聞くと独特のイントネーションで、温かみがある。
 それに引き換え、私の抑揚のなさったら。
 「あなたとは一線引いてますから」みたいなつまらなさ。

***

 今の土地に暮らし始める前。
 手続きの確認などで役所に電話したら、みんな訛っているのでビックリした。
 面白いー! 公的な機関の人も訛ってるよ~! って笑って夫に報告しようと思ったけど、どうにも上手くマネできない。
 違う。こんなじゃなかった。言い直そうとするけど、聴こえたはずのイントネーションにならない。
 これが、5年以上。全然マネできなかった。難しいのだ。
 モノマネをしたがる私には屈辱的!


 父方の祖父は岐阜の人だった。父方の祖母は岡山の人。母方の祖父は新潟に故郷があって、本人は北海道育ち。母方の祖母は岡山から。そして父も母も兵庫県育ち。
 私はそんな家庭で、帰国子女。
 幼少期のニュージャージーでは、関東から来た家庭も多かったので、関西に帰国した時、周りの言葉に驚いた。自分がどこの言葉を使っているのかわからない。なんなら母がフザけてつくった言葉もあるので、方言かすらわからない。
 同居していた母方の祖父は、関西弁を使わせてくれず、私は友達と話す時だけ関西弁にした。
 それでも外では「かせみちゃんは、関西弁強くないね」と言われた。宝塚市は大阪と神戸の間で、元々強い関西弁ではないようだけど、それでもそんな風に言われた。
 ところが札幌に住んで、少し働いた時。「関西弁出さないように喋ってるけど、漏れてるよね」と笑われた。関西弁出さないように、なんて思っていないし、漏れている自覚もなかった。でもそんな風に聞こえるんだ。

 夫は札幌育ちで訛りがそんなにない。と思いきや、時々イントネーションが面白い。
 「ハンカチ」「幼稚園」などの単語の、一文字目のアクセントが強い。
 最初は違和感ありつつ聞き流していたけど、あまりにそれを繰り返すから「その言い方ってなんなの。オット独自のイントネーションなの? それとも訛りなの?」と聞いて、夫も初めて気づいたようだった。時々唐突に、そういった「一文字目アクセント」を披露して、面白いから笑っちゃう。

 夫も私の言葉に「なにそれ。関西弁ぽい!」と笑う時がある。
 意味は通じるけど、違う言葉だったり、聞き慣れないアクセントだったりすると、ちょっとした変化が可笑しくて、笑い合う。

 でも久しぶりに関西の友人と話しても、自分の喋り方は何か変だと思う瞬間が度々ある。
 話しながら「あれ? こんなに漫才みたいな喋り方だっけ私」「こんなにコテコテのイントネーションだっけ私」と、必ず一度は自分の言葉を反すうする。
 自分がどの程度の関西弁を喋っていたか、わからなくなるのだ。

 結局、私はそうやって、どこの方言か、どこの訛りかもわからない言葉遣いをし、どこの土地に行ってもそこの言葉に染まれず、どの言葉もモノにできていない。
 どこでも無難に通じる話し方は、どの土地でも、馴染み切れていない気がしてしまう。

 現地の言葉を話せる人たちは、簡単に距離が縮まって羨ましい。今住んでいる土地は、高齢者に優しい方が多いので、私みたいな喋り方はきっと冷たく聞こえるだろうな。

 以前よりは聞き取れるようになったし、モノマネもできるようになったけど、咄嗟の返事はやっぱり「つまんないワタシ」なのだ。この先、いつか引っ越すだろうと夫と話しているけれど、それまででも、もう少し世間話くらいできたら良いのにと思う。
 せめて何か起きた時に、気持ちを分かち合えたら良いな。


 この前の火事の時、おじいさんに話しかけられて、ちょっとホッとした。なのに私の返事はどうにも「怖いですか? 私はまあまあです」くらいの距離感に聞こえた気がしてならなくて。



#エッセイ #方言 #訛り #距離感 #親しみやすさ  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。