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息子の幼稚園時代の話を何度もしてしまうのは

 幼少期、お遊戯が嫌いだった私とは裏腹に、息子はお遊戯が好きだった。
 そんな子供の、自分とちがう面はそれはそれでかわいいものだ。

 幼稚園での発表会だの運動会だので、踊る機会があるとウチで必ず熱心に自主練に励んでいた。
 本当にそんな振り付けかとか疑わんでもなかったけど、別に何だって良いのだ。かわいいから。

 当時住んでいたアパートの、和室を舞台に見立ててリビングの部屋に向かって、練習風景をくり広げてくれるのだった。

 年中さんの秋の大きな発表会では、息子のクラスは「ねずみの嫁入り」。
 年少さんの時は風邪で参加できず、その翌年は張り切っていた。

 「ねずみの嫁入り」は、娘の結婚相手を探すお話で、太陽、雲、風、壁、そして男女のねずみが登場する。

 男女ともに一番人気なのはねずみのようだ。
 ねずみ以外だと、太陽や風も人気だったみたい。

 息子はあくまでも「最初から最後まで」にこだわって、ほぼ全部を覚えて歌い踊っていた。壁の役がイマイチ乗り気じゃないみたいで踊ってくれなかったけど。

 歌詞もところどころナゾ。特に「びっくりチュ。だっくりチュ」は、どうしても「あの単語をまちがって覚えているんだなー」と、元の言葉が想像できない。
 たとえば、「そろそろ私も落とし物~」は、ストーリーから考えると多分本当は「そろそろ私もお年頃~……なのでは」と想像できる。「落とし物~」とまちがって歌う息子がかわいくて、見ているとどうしても「うふふん」と笑いがもれてしまう。
 でも。

 だっくり。ってなに。

 わからないけど「だっくりチュ」の後、間髪入れずに「好き好き大好き~」ってゴキゲンで歌い跳ね踊る。かわいいからもう良いのだ。

 皆がだいぶ覚えたところで、役柄を決めたと聞いた。

 息子は壁だった。

 えっ。
 壁の振り付けってどんな?

 そこだけ私は見たことがない。
 そんなに好きではないみたいだし、園で困った態度ではないかしら。我慢して引き受けた分、かんしゃく起こさないかしら。

 心配になって園の先生と話していると、「息子君、めちゃめちゃはりきって全部をバッチリ覚えているのに、一番人気のない壁の役に自分から手を挙げて」「人気がないからジャンケンもなく、すぐ決まっちゃって」「息子君に、壁で良いの? って何度か確認してみたんですけど良いんですって」などと言う。

 へぇ……。

 ……。
 なんで?

 不思議に思ったけど自分で選んだのよね。息子のことだから、きっとどこかこだわりがあって気に入っているはず。

 ところで先生。びっくりチュの後ってなんて言ってるんですか? と、ついでに聞いたら「どっきりチュですよ」と、おっしゃった。

 ほほぅ。なるほど。

 でも息子の歌う部分でもないし、歌ったところで一人ひとりの歌声が聞こえるわけでもない。実際の舞台では歌のお姉さんみたいな人の声が響き渡るだけらしいので、特に訂正もしなかった。正しい言葉なんてそのうち覚えるってものだ。

 いよいよ壁の振り付けの練習を見せてくれるかと、期待に満ちて和室の前に座る。でも息子は来る日も来る日も、いっこうに壁の部分を踊ってはくれないし、「そろそろ私も落とし物」だし、「だっくりチュ」なのだ。

 「壁の役、すぐ決まったんだね」「どういうところが好き?」とかは当時も聞いたことがあったけど、どうもハッキリしなかった。あまりプレッシャーを与えてもいけないと、しつこく聞かないようにしたけど、ちょっと不安になってしまう。
 先生に「息子は壁を踊れてますか? ウチでは他のパートばかりで」と聞いてみたら、「大丈夫ですよバッチリです」と笑顔で言う。

 もしかしてサプライズしようとしてくれているのかもしれない。当日に「こんなでした!」って得意げに見せてくれるのかもしれない!
 

 当日は各パート、5人くらいで演じる。

 壁の順番がやってきた。息子は真ん中にいた。

 そっか先生が真ん中にするほどには踊れているのね。と思った。

 かくして息子は舞台に立ち。

 
 ……立ち尽くしていた。

 もうナゾだらけである。

 先生も後で「息子君、あんなに踊れたのに、今日は緊張しちゃってたのかな」と笑っていた。

 息子の壁の振り付けは見られないままだった。

 事の真相を聞きたくて、年月を経てから何度か聞いてきた。その度「なんだったんだろうねえ」と笑う。ごまかしているのか本当にわからないかもよくわからない。多分、当時の気持ちなんかわからないよーが息子の気持ちなのだろうけどね。

 21歳になった息子に、この前改めて聞いてみようとしたら。

 「お母さんその話、年1でするよね」と笑われた。
 夫まで「そうだよね~」とか言う!

 なんなのよ二人してさ。今の息子と共通の話題だって少ないのに。
 もうこの話しない! 今後気をつけるから。とスネたけど、息子の立場からの経験は当然私にもある。きっとあるあるだ。
 中高年の人は同じ話をする。同じ話をして同じところで笑う。

 聞く側は何度目かだから、笑うのもなんだか気が引ける。知っている話だから、こちらが忘れているのはそれはそれで失礼なんじゃないかとか。オチ知っているからそんな初耳みたいなリアクションで笑えないとか。

 でも笑ってあげたら良いんだ。と逆の立場になって思う。「言ってたねその話。覚えてる」と言っても良い。無理に愛想良くしろなんて言わない。「聞いた聞いた」と言われるのは良くても、面倒くさいって態度は寂しいじゃないか。だって何度かは話してきたとわかっていても、そんなにまで何度もくり返し話しているなんて自覚がないんだもの。

 だけどなんで何度も話すかって、相手の反応に納得していないからの場合もあるんだよ。息子のこの話に関しては、かわいかったからの思いもある。
 息子はそんな自分が照れくさいのもあるんだろうけど。

 それでも若い頃の、この人また同じ昔話してる~って思った時の気持ちも覚えているんだよね。

 後で母に一部始終を話したら、大笑いしていた。

 「わかるよー納得していないのが一番なのよねー。でも笑われちゃうのよねー」
 きっと母にしたら、ようやく娘もそんな風に言われるような中年になったか。の思いなのだろう。

 そうね。やっとお母さんの気持ちがわかってきたよ。

 子供がかわいい頃。
 反抗する頃。
 泣きわめく頃。
 思春期の頃。
 気持ちが自立したんだなって頃。
 いつも、やっと親の気持ちがわかったと思っていたけど、こんなのもまた親の思いなのね。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。