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「大好きなら続ければ良い」を、若い人たちに思い出させてもらう

 Creepy Nuts(クリーピーナッツ)をご存知の方たちは多いだろうけど、まさかアラフィフ夫婦が、CD買って楽しむことになるとは。
 以前から、面白い子たちだなーと思っていた。自分にとっては「子供」でもおかしくないくらいの年齢だけど、R-指定は日本一のラッパーだし、DJ松永は世界一のDJだ。ちゃんと公認で。

 夫はテレビっ子だから、ツイッターでプロデューサーたちもフォローして楽しんでいる。その中の一人が、Creepy NutsのCD勧めていたからと購入。夫はCDを、本と同じくらい気安く買う。家のスペースを考えてほしい。
 聴いてみると、曲だけじゃなく、トークもあった。
 中でも面白かったのは、CDタイトル「かつて天才だった俺たちへ」につながるトーク。

 自分たちが幼少期、「これができるんじゃないか」って思ったはずなのに、諦めていく話について。
 周りを見て自分がそうでもないようだと知り、「できるんじゃないか」と勘違いしていた自分て痛々しいと気付く。そうやって諦めていく数々の中に、本当は続けても良かったことって潜んでいたんじゃないかって。
 「でも続けたかったら、それは続いているんだよ」と聴いている私がツッコミ入れる頃には、彼らはトークでちゃんと言葉にしていた。歌詞にも既にそれは書かれてあった。

 自分より上手な人を見て、恥ずかしいと思う。の気持ちについて。

 たかだか私の作り上げるちっちゃな文章の世界でも、しょっちゅうそんな気持ちになる。毎日と言わずともまあ毎週くらいかしら。もう何だよ私、やめときゃ良かったって頭を抱えるくらい、イヤになったり恥ずかしくなったりする。

 でもそれって人と比べて思うんだよなあ。気の持ちよう。自分が好きなら良いじゃない。

 世代を超えて、そして時代も超えて、幾つになっても、何度も繰り返してしまう普遍的な思いや考え方だ。人と比べてしまう。「好き」の楽しくて高揚した気持ちと、自分より優秀な人をたくさん目の当たりにした時の卑屈で恥ずかしくて惨めな気持ち。

 図に乗るなよ。大したことないくせに。この場にふさわしくない。遠慮しておこう。

 全部自分で自分を縛っている寂しい言葉。そして自分を縛って傷つけてしまっている上に、自分に向けることで時には周りをも傷つける言葉。


 若者たちは、ある考えに至るのが初めてだと、「おお発見だ!」と自分の言葉で紡ぐ。年齢を重ね、当たり前に思えるその言葉を、大発見のように話し、実感したその瞬間を詳細に伝えてくれる。
 だけど、その当たり前は、当たり前なだけに何度も繰り返すくらいだから、すぐに忘れちゃうのだ。

 それをよく思い出させてくれるのが若者。
 だから若い人が、当たり前を言葉にするのが私は大好きだ。年齢を重ねても、その気持ちを思い出させてくれることに感謝する。知ってるよ。わかってるよ。普段から考えてるよ。って中に「でも忘れちゃうんだ」が潜んでいる。若い人と付き合う楽しみはこういったところにもある。


 カッコ良い歌詞があった。

 力が弱いとか 鈍臭いとか 知らなきゃ
 俺が地球を守ってた

 でも私はここが一番好き。

 すれ違ったマサヤに笑われなけりゃ
 ずっとコマつきのチャリをこいでた

 別にそれでも良いんだよなあ。コマつきの自転車をこいでいたってそれが好きなら。

#Creepy Nuts #感想 #アルバム #CD #好きなこと #続ける

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