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小澤征爾さんといっしょに思い出される先生

 中学受験の時、面接は5人ずつ教室に入り、面接官は各教室に4人ほど先生がいた。

 進学塾に通っているとハードで体調を崩してしまったので、算数と国語だけを近くの学習塾で学び、理科と社会は母とがんばった。面接の練習も。
 母は勉強の教え方が厳しくて、良い先生とは言いがたかったし、恐怖心から私もズルしてしまったこともあった(もちろんこっぴどく叱られた)。でも面接の練習は楽しくて、「今日も面接の練習したい」と何度もお願いしたものだった。
 特に何かを注意されることもなく、部屋への入り方、椅子の座り方、退室の仕方など面接マナーを教わっただけ。質問への答えは単にスムーズに言葉が出るためだけに練習。「それはあまりに口語よ」と笑われた言葉を言い換えたりはしたけど。

 だから「尊敬する人物は」と聞かれた時、「父です」「母です」とは練習していなくて、5人中3人がそのように答えたことで少しうろたえた。

 当時私は伝記を読むのが好きで、図書室に行けば伝記を次々と読んでいた。ピアノを母に習っていた私にとって、モーツァルトの才能には心奪われるばかり。練習していた曲の中でも簡単なものなのに旋律がキレイなのは、たいていモーツァルトなのだった。そのうち難しい曲はショパンが美しいと思うようになるのだけど、まだそこまで来ていなかった。
 「父です」「母です」と周りが言う中、「モーツァルトです」と言うのは勇気が必要だった。でも皆に合わせたところで、何か聞かれてもアドリブなんて出てこないから腹をくくった。
 すると一人の先生がちょっとハッとしたように顔を上げてニコニコうなずきながら聞いてくれたので、少しホッとした。
 その先生の表情が印象に残って、入学してからも時々見かけては「あの先生だ」と心にとめていた。

 しばらくすると先生の紹介の写真だったかで、母に「この先生、面接の時にいたんだよ」と教えた。
 すると母が驚いて「アラー! 大学の時の先輩だわ」と笑う。母は音楽科に通っていた。その先生が音楽の先生とも記載があり、面接の態度とつじつまが合う。学生の頃は後輩に人気のある先生だったらしい。母は興味がなかったらしいけど念のため。

 当時私の通っていた学校は、合唱部が全国大会によく出ていて良い成績を残していた。良い成績を出すと、甲子園球場で高校野球開催時にグランドで歌えるみたいだ。常連なわけではないので、そのころのコーラス部が優秀だったらしい。友達のお姉さんとかメディアの写真に載ったりして「〇〇ちゃんのお姉ちゃん」とか皆で言い合った。
 合唱部に貢献していたのがその先生だった。

 高校生になってその先生の授業を取ると、何故合唱部が良い成績を出せるのかが少しわかる気がした。
 特に合唱部で訓練を受けていなくても、気持ちが乗りやすいように指揮してくれる。どこをどんな風に気持ちを入れるか、強弱について多少は言葉で指導する。何より皆で歌う時に、先生は大きく動く表情や大きく見せてくれる呼吸などで、気持ちが乗るように指揮して下さった。

 その先生が時々「今日の授業はビデオを観ます」とビデオ鑑賞で見せてくれたのが、小澤征爾さんの指揮だった。観る前と観た後に、いかに小澤征爾さんが素晴らしいかを熱弁する。
 それ以外はオーケストラ演奏を聴いて感想を書くだけなので、退屈そうにしている生徒もたくさんいて、私も眠たくなっていたうちの一人。でも小澤征爾さんの指揮を見る先生が面白くて、それで起きていたようなものだった。
 先生は小澤征爾さんと一緒に目をつぶったり、いつも指揮をしながら聞こえるようにスーハーする呼吸を、いっそう大きくしながら首を振ったり。
 生徒たちは最初こそ先生の様子をクスクス笑って見ていたけど、毎回そうだからその様子を受け入れるようになっていた。私も先生が小澤征爾さんの指揮が好きなんだなあと、先生と小澤征爾さんを代わりばんこみたいにして楽しむ時間が長くなっていった。


 小澤征爾さんが亡くなった。
 先生も母の先輩だからもう80代半ば。今回のことで悲しんでおられるだろう姿が容易に想像できる。お元気だと良いな。



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