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文も人との関係も、自分を何度も確認しながら少しずつ歩んでいる

 何度も「そういうものだ」と思うのに慣れない。

 noteから、交流ある人がいなくなること。
 フォローを外されるとか、うまくいかなくなってしまったとか、やっぱり合わないとか、そういうのは仕方ないとまだ思える。機会あれば、あるいはタイミング合えば、互いに近づけるかもしれないし。
 アカウントごといなくなってしまうことが何ともつらい。何年経っても「そういうものだ」と、受け入れようと思っても慣れない。アカウントごと消すその人の気持ちを、知り得ないのについ想像してしまう。

 来なくなったなあと思ってからその期間が長いのもさびしい。ご自身の投稿がなくても、スキつけにきてくれたのが、まったく来なくなると、お元気かなあと気をもむ。たくさんおられる。また来てほしい人が。全然来ないのに、フォローを外せずに待っている。

 最近疲れてしまったのは、そんなさびしい気持ちが発端。
 「さびしい」が「むなしい」となってくると、だんだん自分の精神状態が良くないなあと気づき始める。

 そのちょっと前から気持ちの揺れがあった。
 note上でのフォローするとかしないとか、スキつけるとかつけないとか、どんなコメントするとかについて。
 個人個人で基準みたいなものはきっと少しずつちがうから、人それぞれ自由だと普段は思えている。でもその人の感覚やルールを皆に求める投稿を目にしてしまい。あんなのおかしいよ、マナーがなっていない、こんなの許せないって読んでいると、自分が申し訳なくなる。
 だけどね。フォローやスキやコメントに関しては、そんなにがっちりルールを人と共有すると、そこから外れたらもうそこにいられなくなる。もう少し互いに自由でいられないものかしら。
 何に関してだって一人ひとり考え方や判断はちがうから、人との関係はどこかぼんやりと、あいまいなところがあって良い。だから人のわからない部分を許しあえるんじゃないだろうか。

 そんな風に気持ちが揺れすぎないように気をつけていたところへ、自分の感情の乱高下に疲れ。

 この前、関西に行き、昔なじんだ場所を歩くうちに感傷のスイッチが入ったらしい。
 元々その傾向はあるけど、何を書くにもセンチメンタルになってしまう!
 来る日も来る日も自分の上げる文が感傷的で、すごくイヤになってしまった。こういうのばっかりって読む方もお腹いっぱいじゃない? と思った時。
 どうしてそんなに人の反応ばかり気にしているの私。と、ますますイヤになってしまった。

 しかもドラマ「ブラッシュアップライフ」でアツくなり。WBCで気持ちは高揚し。興奮状態なのか、人のnoteにコメントを書くと、やたらに熱量あるものになってしまう。
 自分の文が感傷的でイヤになっているところへ、自分の書くコメントがあちこちでテンション高くてもっとイヤ。
 自分を好きになろうとしていたけど、書く文章がイヤ。

 疲れ果てた自分が何に擦り切れているのかもわからなくなってきて、とにかく休もう。と思った。

 そうして日々、心の休息を心がけてみたけど。
 自然の中にいようとか深呼吸しようとか朝日を浴びてみようとかさ。身体にいいからとか心にいいからとか、そんな風に「歩くことが目的で歩く」なんて気持ちが晴れない。

 その日も歩いている最中。
 ちょっぴり久しぶりの友人からメールが来た。
 うれしくてそこらにすわって読み、没頭する。
 ふと顔を上げると、自分の周りの自然の空気や時間の流れを感じた。

 昔は気持ちが苦しくなったら、こうやってただボンヤリする時間を外に求めたなあ。
 関西にいた頃は空港に行って開けた空や飛行機を眺めた。
 海の小さな波を眺めるのも好きだった。
 夜空を見上げ、鳥のさえずりに耳を澄ませ、花をまじまじ眺めた。それは写真に撮るためでも、人に報告するためでもなく。ただその時間を自分の中に吸いこんだ。

 子供が小さい頃も、公園や自然の中で走り回る子供たちを視界の中に入れつつ、風や過ぎていく時間を感じるのは、ほんのひとときでも大切だった。

 そういえばマスク生活に入ってから温泉に行っていないなあ。
 

 みるみる心が潤ってくるのを感じ、その時間が貴重に思えた。こんなふうに感じられる瞬間が大事だから自然の中に身を置きたいと思うんだ。

 人の反応を気にし過ぎないでおこうとしても、友人からのメールがうれしかった。彼女の私への元気な返信メールと、その前の自分のメールも読み返し、お互い楽しそうだなと思った。
 ふと「友人」と呼ぶものに対して、自分が何を求めているかもわかった気がした。

 noteには、もしかしたら求めているものはないのかもしれないけれど、彼女と出会えたのもまたnoteなのだ。

 面倒くさい思考を繰り返してしまう私も少し元気になってきて、やっぱり私は自由なままでここにいたいと思った。感傷的な文になりがちだし、人へのコメントは気まぐれ、つながっているのが疲れるとフォロー外してしまっても。
 不確かなつながりは時に不安になり、疲れると自分から離れ、人を傷つけたりイヤな思いをさせてしまう。
 そこに申し訳なさやさびしさやむなしさも感じるけれど、自由気ままな私でも、誰かには信じてもらえるようにいたい。そして人を信じたい。
 ここで私はただ好きに書いているだけじゃないんだな。



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