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登場人物は誰も結託しない

 フィクションの中に生きる登場人物を見ていると、ふと、彼らはまったく結託しないのだなと思えてくる。
 結託とは仲間になることだ。仲間になるとは共通の理念を持って一緒に動き、そして結果を分かち合うことだ。それは尊き共同体であって、生と死を共にする集まりとなる。
 登場人物は結託しないのだ。もちろん味方にはなる。そして敵にも。けれど結託は「味方」ではない。そして敵というわけでもない。それゆえに、どの登場人物も結託しようなどと思う動機がないのだ。

 つまり、登場人物達に課せられたルールはシンプルなもので、そこに利があるかどうかである。この利とは登場人物ごとに異なるものだが、それぞれのルールに従って利があるかどうか判断される。
 利があれば手を貸す。そうでなければ距離をおく。関わる意味がないからだ。この「利」がすべての登場人物をきちんと支配する時、その言動や関係性にはリアリティが出てくる。

 だから、安易に登場人物は結託したりしない。そうしてしまえば、登場人物は登場人物ではなくなる。そう思えてきて仕方がないのだ。登場人物というフィクションの存在こそ、私達は敏感に動きを追っている。そこに少しでも違和感があるとダメなのだ。
 その違和感を作り出す1つが簡単に結託することである。その状況であり、事態である。だから登場人物は結託してはならない。どんなに仲が良くとも、そのくらいの関係値がいいのだ。

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