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海外移住 | つらすぎて、現地でカウンセリングをうけることに

ああ、ちょっとまずいかもしれない。

そう思い始めたのは、ここから消えてなくなりたいという思いが、頻繁に私の頭を横切るようになったのです。

ただ、消えてなくなるという感情に現実味はなく、自身を傷つけたいという思いもなく、自殺願望とは異なるものだというのは明らかだったのですが、消えてしまいたい、と特に寝付く前と朝起きた時に強く現れるようになり、ついに電話をかけました。

まずかけたのは、職場が提供している電話カウンセリング。外注しているので、同僚や、職場関係者が一切介入していない職員に対するサービス。ありがたいことに英語でも対応してくれるとのことで、とにかく辛い、と電話しました。

当日中にアポを取ってくれ、1時間ほど話すことに。

オーストリア移住してから4か月、同僚に恵まれたり、良いこともたくさんあるけど、仕事に子育てにその他諸々の手続きが多すぎて、疲れ果てて、いっぱいいっぱいになっている。何かとちょっとした出来事で必死に渡っている綱渡りから落ちそうな感覚があり、消えてしまいたいという感情が頭から離れない

と伝えました。

が。

なんだか説教じみたカウンセリングに…

私の物事の認知の仕方が良くないとか、タイムマネージメントの仕方をもっと教えようかとか、精神的にしんどいときに聞けないアドバイス…

終わるときに「ちょっと楽になった?」とまさかの質問に「いやーちょっとねえ…」と濁し、カウンセリングを終えました。

あーどうしよう、全然だめだった。

そして一週間。

なんとかすごしてきたものの、また爆発しそうな感情に耐えられなくなり、今度は隔週で来ている産業カウンセラーに連絡することに。

メールで上記のことを伝えると、緊急性を感じてくれたのか、普段アポが取れないタイミングにもかかわらず、翌日対面で会ってくれることに。

また同じようなカウンセリングだったらどうしようと、少し緊張しながら会うと、笑顔で出迎えてくれたカウンセラーの方。そしてなんともこじんまりとした落ち着く部屋のレイアウト。

結果から言うと、このカウンセラーの方のおかげで、その後ものすごい回復力を見せ、新たな強さと知恵を手に入れたような気さえするのです。

彼女の手法が私に合っていた、という相性もあったと思いますが、本当に救われました。

まず、流れとしては、私の状況をできるかぎり素直に正直に伝えました。

すると、

ちょっと試したいことがあるの。うまくいくかわからないけどやってみましょう。向かい側にもう一つソファを置くからそっちに移動してみない?

自分が今まで座っていた向かい側に席を移した私たちは、今まで座っていたソファを見ながら、

今、向かいに座っていたKayが色々話してくれたけど、彼女の話を聞いてどう思った?

と。

自分に起こっていることを客観的に見るということを促してくれたのです。

私は、誰も座っていない席をじっと見つめ、ぼんやりを見えてくる自分の影を見つめながら、涙が止まらなくなりました。

彼女は…幸運だと思う。

これが私が最初に思い浮かんだ言葉でした。

もちろんしんどい思いもたくさんしている、でも、家族もいて、仕事もあって、住むアパートもあって、海外移住という自己実現も叶えている。なんて幸運な女性なんだろう。

でも、カウンセラーは

そうだね、幸運でもしんどい時はあるんだよね。しんどい彼女になんて声をかけてあげたい?

と聞いてきました。私は、より涙が止まらなくなり、絞り出した言葉が

It is ok, you are doing fine. 
大丈夫、あなたは十分頑張っている。

でした。

カウンセリングの帰り道、じんわりと温かいエネルギーを胸の中に感じながら、トラムからの景色にふと目をやると、雨上がりのウィーンの美しさがやっと見えたような気がしたのをしっかりとおぼえています。

そして、次回のカウンセリングの予約までやってみようという話になったのが、消えてしまいたいという感情の根っこにあるものは何かを見つけるという作業。

とりあえず、その感情が湧いてきた直前に考えていたことが何かを突き止めることに。

すると、見えてくる見えてくる、パターン。

私の場合、1つ目は「過去にあった恥ずかしい自分の失敗」や「人に対して失礼なことを意図なく言ってしまい不快な思いをさせた(気がする)とき」のことを何の前触れもなく思い出したとき。
不思議なことに、自分が傷ついた被害者としての経験ではなく、傷つけた気がする、という加害者としての経験でした。

2つ目は家に帰ってから、仕事のことや、様々な手続きに関して思い出すも、目の前の子どもの世話ですぐに手が付けられないがために頭の中がいっぱいいっぱいになってしまうとき。

仕事をしている時は、その感情は湧かない事にも気付きました。

パターンが見つかるだけで、なんとなく自分の感情との距離が見つけられ、気持ちが少し軽くなったのも不思議です。

その次のカウンセリングでそのことをカウンセラーに伝え、より深く掘り下げていくことに。

そしてなんと、見えてきたのは「恥」というコンセプト。私が何を恥ずかしいと捉えるか、なのですが、私は自分の無知を目の当たりにしたとき恥ずかしいと感じることに気づいたのです。

例えばパターン1で過去にした失敗も、自分の無知や経験不足によるものだし、意図せず誰かを傷つけた(かもしれない)のも、何を言ったら相手を傷つけるか分からないがために、言ってしまった自分の無知に起因するもの。

それをあからさまにひけらかしてしまうことが自分にとってのストレスなんだと気付きました。

当たり前なんですが、全ての情報を持ち合わせることなんて不可能なので、これはこれからどう自分の中で処理し、バランスをとっていくかが課題ではあるのですが、少なくとも原因が見えてきた。

そして、移住後の日々の危機感や疲労から、おそらく海馬が暴走して、ランダムに記憶の棚をひっくり返して過去の経験が蘇ってきているんだな、という風にも捉えることもできました。

つまり移住したこと自体が原因ではなく、移住したことでの疲れからレジリエンスが弱まり、心の免疫力がなくなってきているんだ、と。

じゃあ、人を全く傷つけず完璧なコミュニケーションを取っている人はいる?

とカウンセラーの方に聞かれ、私は即座にメンターのことを思い浮かべました。

メンターは、今回のオーストリア移住に関して支えてくれ、私の過去の記事にも何度か登場している恩師です。

もちろん彼女だって完璧じゃないはずだけど、少なくとも私にとってロールモデルだし、見習いたいところがたくさんたくさんある。

などと、彼女がどれだけ素晴らしい人かカウンセラーに伝えるとまたまたカウンセラーの一撃。

彼女がここにいたら、なんて言葉かけてくれると思う?

目の前にぼんやり見えてくるメンターの影を見つめながら、涙が止まらなくなりました。

そして、聞こえてきたのはやはりこの言葉でした。

It is ok. You are doing fine.
大丈夫、あなたは十分頑張っている。

もうこれは確信でした。彼女ならちょっと泣きそうな顔をして、絶対にそう言ってくれるはずだと。そして、私が悩み、必死になにかをつかもうとしていることすら、えらいえらい、と褒めてくれる気がしたのです。

カウンセラーの方は、なにかを諭すのではなく、色んな質問をしてくれ、私の心の中を掘り下げる手伝いをしてくれているように感じます。

色々な感情が渦巻くなかで、自分自身が混乱し、ネガティブな感情が際立って見えてしまっているけど、手助けしてもらって交通整理をすると、見えてくるなにか。

実は、カウンセリング2回目の翌日、このメンターと6年ぶりの再会を果たすのですが、またこのことは別途書けたらと思います。

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