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RESEARCH CAMP in ITOSHIMA 観察日記

本記事について

RESEARCH CAMP in ITOSHIMAで実践した、フィールドワークやワークショプを通じて、見聞きした内容や個人的見解をまとめた日記。
fieldnotes(フィールドワークの観察・考察のメモ)を元にそのまま書き起こしている。読むのが面倒だと思ったら適当に読み飛ばしてほしい。

RESEARCH CAMP in ITOSHIMAについて

2023年9月16日(土)~9月17日(日)の2日間に福岡県糸島市で開催された、フィールドワークを中心としたワークショップ。Day1は本屋アルゼンチンという週末のみ営業する選書が特徴の小さな本屋からスタートし、チームに分かれてフィールドワーク先で観察し、Day2は観察してきたメモを元に分析・ディスカッション。テーマは「糸島での知の循環の形」。本屋アルゼンチンの店主・大谷(おおや)さんと教授との出会いを通じて、教授の退任時に行き場を失う本たちの特別な役割や可能性について立ち上げようとしている、「教授の本棚」という企画とコラボレーションし、本屋アルゼンチンとの共催で、知識の共有と新しいプロジェクトの提案を目指す。
はじめてのリサーチに取り組む方や新しいリサーチの経験を望む方に向けた実践型のワークショップ。

事前講義

CAMPの2週間前に参加者向けの事前講義が行われた。
事前講義ではフィールドワークの基礎知識やUXリサーチとの関係性やCAMPの概要説明があった。
自分の身体と経験を通じて、自分がよく知らない世界を知るための研究や学習の方法。実際のその場を体験して、自分の当たり前とのずれを感じ、なぜなのか問いを立て、探索していく。時間と労力をかけてやるのがフィールドワーク、ガチガチの仮説を持っていく必要はなく、体の違和感を感じるところを観察していく、と説明があった。"仮説なしで探索しながら問いを立てる"というところに心を惹かれた。2週間後、どんな場所との出会いや発見があるんだろうと期待に胸を膨らませた。
事前に近所の本屋へ行くなど、多少なりとも調べていく。というアドバイスを元に、事前講義の直後に参考書籍を読み、その数日後、フィールドノーツを実践した。

参考書籍

事前講義内で何冊か参考書籍の紹介があり、その中で「ヤンキーと地元」という、10年にわたり沖縄の暴走族のパシリとして、参与観察を行なった打越正行氏の書籍が気になった。行動観察がどんなものか、少しでも解像度を上げるために読んでみた。
生々しく表現された暴走族とのやりとりや、彼らの生活の話を中心に、地元社会の構造から沖縄の歴史的な背景や都心部にはない、共同体社会の話や相互扶助で成り立っている社会について伺い知ることができた。読んでいて、事前講義で説明のあった「全体の循環の中になじんでいく」とはこういうことなのかと驚きと感動があった。

フィールドノーツの練習

フィールドノーツは現場メモ(出来事が起こっている最中に書き込んだメモ)のことで、観察や体験を記録するためのメモやスケッチのことをいう。事実はもちろん、観察で感じた感想、違和感を残すのが大事だと事前講義で説明があった。
最初は歩きながらペンをとる自信がなかったため、近所のカフェのカウンター席でフィールドノーツを実践した。事前講義内で説明があった、デジャビュ(既視感がある、見たがことある、見慣れてないものを見慣れたことがあるものに変換して驚きを感じること)とヴュジャデ(ずっと前からあるが見過ごしてきたもの)を意識して観察した。事実を書き留めるので精一杯で、違和感を感じる余裕がなかったものの、人以外にも着目してみようと、コーヒーマシンが並ぶカフェのカウンター内を観察した。コーヒーに関連したマシンのみが置いていあると思いきや、ソフトクリームサーバーや普段気にもとめないであろう、アイスコーヒーを煮出している鍋が目に止まった。ソフトクリームサーバーはロボットの顔のようでユニークな形をしているし、アイスコーヒーはドリップして入れるのではなく、煮出すのだと気づいた。普段気にも留めないことでも、諸事実に目を向けると気づきが本当に多いと感じた。
そしてCAMP当日を迎えた。

Day1

大入駅

集合時間の10時半より少し早い10時過ぎの電車で駅に着いた。ホームを降りると、カッパのイラストが描いてある"だいにゅう"の看板が目の前にあった。出口だと思われる方向に歩いていくが、改札も駅員も私以外に電車を降りた乗客も見当たらなかった。大入駅は無人駅だった。後で有人駅で精算したが、この時は交通系ICカードをかざす"出場"の場所を見つけられなかった。

駅のホームは外の道路と繋がっていた。柵もゲートもないため、そのままホームを降り、地図アプリを頼りに本屋アルゼンチンがある方向に歩いていく、道は土のままで所々、雑草が伸びていた。歩くたびに小さなバッタが放射状に飛んでいった。バッタは苦手なのだが、初雪が降った翌日の新雪に踏み入るような気持ちで歩いていった。

本屋アルゼンチンと教授の本棚

電柱に取り付けられたオレンジ色ペンキで塗られた木の看板が見え、少し薄くなった青ペンキで”そろそろ旅に出ますか”と書かれていた。その右奥に白い壁に大きな屋根の一軒家が建っていた。看板近くまで行くと屋根付きの駐車場の奥に十台くらい車が停められそうな広さの青々とした緑の芝が広がっていた。芝の隅には小さな小屋と畑、ウッドデッキ、その奥は畑が広がっていた。レンガでできたドーム型のピザ窯もあった。玄関と思われる場所にはサーフボードが立っていた。周りは木で囲まれており、芝の反対側は竹林のようだ。垣根には直径4、50cmくらいの大きな蜘蛛の巣があった。芝を歩いていくと、駅からの道と同じように、歩く度バッタが放射状に飛んでいった。

駐車場にも車はなく、裏庭(らしき場所)から中を見ても一軒家の中にも誰もいないようだった。あたりを見回し、芝生の隅にある小屋はなんだろうと思い、近づいていくと、本屋アルゼンチンの看板があった。小屋と思っていた場所が本屋アルゼンチンだった。閉まっているが、古屋の外から見ても広さは4、5畳くらいだと思う。アルゼンチンに行ったことがある方から、狭いとは聞いていたものの、想像よりもっと狭いと思った。

ひとまず、誰か来るまで散歩でもしようと思い、来た道を戻ろうかと思っていると、男性が一人歩いてきた。早く着いた仲間がいて良かったと少し安心した。軽く自己紹介をして、まだ誰もきていない様子ということや時間も少しあるので散策してみようという話になり、駅の方に歩いて行くと、丁度運営の方の車が到着した。皆ですぐ近くのカフェらしき建物(一軒家)に歩いて行った。看板に書いてある開店の時間を過ぎているのに店頭にも店内に誰もいないようだった。裏庭に一人座っている方がいる気がしたが、声をかけても反応がなかったので店の方ではなかったのだろう。本屋アルゼンチンの敷地の方へ戻り、店主の大谷さんを待つことにした。大谷さんを待っている間、一緒に参加する方とカエルを追いかけたり、駐車場の柱に捕まっていたヤモリを見つけたり、綺麗に放射状に貼られた大きな蜘蛛巣を観察して過ごした。

店主の大谷さんが到着し、運営の方や参加者の方と一緒に荷物を運び、一軒家の中に入った。普段は二階で仕事をされていて、一階は今回のようなイベントをしたりするときに使っているスペースなのだそう。玄関を入るとサーフボードが立てかけてあり、玄関から一段上がって板張りの床が貼られていた。一段上がると二階へ続く階段があり、右手に麻のような布の暖簾がかかっていた。暖簾をくぐると、リビングに続いていた。私が入ってきた入口と反対方向に裏庭へ出る大きな窓が並んでいた。リビングは窓から光が差して、縁側のような雰囲気があった。窓が並んでいる中央は壁があり、暖炉があった。海も山も近いので、冬は寒そうだ。きっとこの暖炉で暖を取るのだろうと思った。

一通り荷物を運び入れると、大谷さんが人類学の本の紹介をしてくださった。その流れで運営の方から「アルゼンチンは狭いので今のうちに本を見にってくださいね」とお声がけいただいた。
 大谷さんと千葉から来たCAMPの参加者の方と一緒にアルゼンチンの方へ向かった。千葉から来た方は福岡へは初めて来たそうだ。「初めて来たのがこんなにディープなところとは」と言って大谷さんと参加者の方と話しながら、芝を横切っていった。芝の手入れをどうしているのか尋ねると、定期的に芝刈りをみんなでやっているものの、夏場は伸びがちなのだそう。今は9月半ば。気温は30度超えているのでまだ夏のように暑い。そうおっしゃる割に、アルゼンチンの芝は青々と綺麗に茂っていた。

アルゼンチンのドアを開けてもらい、中へ入る。本の紙の匂いとアルゼンチンの壁の木の香りがふわっと香った。「今日はリサーチ界隈の方がいらっしゃるので関連がありそうな本を並べている。」その流れで本の仕入れの過程や在庫管理の煩雑さの話を伺うことができた。「本屋は儲からないから自分の自宅や持ち家でやらないといけない。家賃をかけなくて良い方がこの形になった」という言葉が印象的だった。

アルゼンチンの建物はどうやって建てたのか伺うと、創業メンバーで建てた、一軒家の内装も自分達の手で荒れ果てていたのをリノベーションしていったとのこと。そして、その時からお世話になっている近所のおいちゃんの話を伺うことができた。

近所のおいちゃんは、元々の知り合いではなく、大谷さんたちが糸島へ来てから通っていた飲食店で知り合ったのだそう。関西弁を喋る変わった兄ちゃんたちがいるから何をしているのかという流れで話すきっかけを持ったのだそう。「ここ(アルゼンチン)を建てる時も、建物の水平を取るのに機械ではなくビニールのホースを使い、ホースに水を入れて両橋から均等に水が出ると水平が取れるという原始的なやり方をした。それが職人の技。僕らには見てもわからないが、こっちは十センチ下がっているから揃えて、と指示された」と嬉しそうに楽しそうに話す大谷さん。「木材について何も知らなくて、加工しやすい木とそうじゃない木があって、当時はこれがかっこいい、SDGsだと言って、近所の古民家から廃材をもらってきて加工すると言った時も、既に遅くて、硬くて加工しづらくて二度とやらないと思った」とアルゼンチンの天井の梁を見上げながら苦笑していた。梁には本当に民家に使われていた木材だと伺える、マジックで描かれた文字や傷がついていた。「おいちゃんは仕事が途絶えることがない。ナマコを海で採ってきて、近所の民家に配って回る。その時に民家の方と話、"雨樋が壊れた"と聞き、仕事をとってくる。長く近所を回っているため仕事になることが起きそうなタイミングを知っている。その仕事が口コミで広まったりする。あそこにある焼却炉はおいちゃん作。この界隈の幾つもの民家に同じおいちゃん作の焼却炉がある」とのこと。ナマコをプロモーション活動に使うとは、なんとも面白いと思った。

「僕らも何か宣伝になるものをやったほうがいいかもしれないと思い、最初は栞と思った。本屋が栞を作るのは普通。コースターのような残るものが良いんじゃないかというアドバイスももらった。結果的に作ったのは読み物。」と言って本屋アルゼンチンのフライヤーを一つ手にとり、ページをめくる大谷さん。「紙だから捨てられるかもしれない。読み物だったら一度読んでくれたら何かその人に残るものや思うものが生まれるかもしれない。読んだら駅で捨てられてもいい。」という。
話し込んでいるうち、私たちの次の到着時間の電車で残りの参加者が到着したようだった。アルゼンチンの外の駅の方から賑やかな話し声が聞こえてきた。

当日の流れについて説明が始まるというので、床に座るので座布団やクッションで円陣を作り、チームごとに座った。私たちのチームはフィールドワーク先まで電車移動があり、電車の乗車時間の関係で少し早めに出る必要があったため、玄関付近の場所に陣をとった。

初めに運営のMさんより、当日の流れについて説明があった。
初日は十二時から十八時の時間で行動。まずはお昼を食べ、見学がまだの方は本屋アルゼンチンを見学、その後、各チームの行き先へ出発。各自、手元で現場メモを書き、フィールドワークで好きなものを見つけてくる。情報カードに伝えたい・面白かったことをまとめる。グループで上限十枚写真を選定、運営の方に後でチェキに印刷してもらえる。バーベキュー参加・宿泊者のみ残る、行かない人は解散。という流れだった。

フィールドワーク先は当日発表された。チームごとに異なっていた。AチームとBチームは本棚を持つ方のご自宅へ。Cチームはアルゼンチンとは別の本屋へ。Dチームは当初予定していた方の所へ行けなくなり、急遽アルゼンチン店主の大谷さん宅へ行くことになった。大谷さんの提案で「見学を断られるか、どうなるかわからないけど糸島芸農に行ってみよう。」となり、出発前から行き先に何があるかわからないワクワク感を感じられた。

その後は、運営・参加者全員で自己紹介。文化人類学やHCDの修士や博士の方から事業会社やクライアントワークのUXリサーチャー、PdM、デザイナー、ナレーター、スクラムマスター、大学生、ライターと様々な職種の方々が参加していた。リサーチというワードに興味関心があるという接点はあるかもしれないが、バックグラウンドも職種も全く違うメンバーが揃い、このメンバーがコラボレーションすると何が生まれるのだろう、夢のようというか、幸甚というか、緊張や感動が織り混ざった、なんとも言えない気持ちになった。

自己紹介が終わり、本屋アルゼンチンの店主・大谷さんとみーさんのお話を聴いた。

大谷さんのお話し。
大谷さんはじめ数名で立ち上げた、合同会社こっからは組織開発の支援を中心に事業を展開する会社。playfulという、文化祭の前日のような、なんのためにやっているかわからないけど楽しいこと、まずは自分達が楽しく、ドキドキ・ワクワクすることを大切にしている。本屋アルゼンチンは自己表現の1つであり、四国にNPO法人を立ち上げたり、グローバル人材育成や、ミネルバ大学のリーダー教育プログラムを通じて国内で広げていく活動をしている。

東京・池袋などにあるフォー専門店、フォーティントーキョーという飲食店も展開している。出店を検討していた当時、ビジネスアドバイザーの方達からうまく行苦はずが無いとやめるよう進められるも、創業メンバーと話して「最もらしい理由でやめるのか」と聞かれ、ベトナム・ハノイの有名なフォーの店に作り方を教わりに行き、断られるだろうと思っていたがフォーの店の店主に人相学で占ってもらった結果、了承をもらうことができ、開業したとのこと。組織開発を主軸にする企業らしからぬことをやっているところや"本"と"フォー"が韻を踏んでいて面白いと思った。

大谷さんとみーさんの出会い。
大谷さんが社会人大学に在学中、人間環境学を専攻し、人類学を学んだ方が良いと言われ、南先生の授業を受けたのがきっかけ。「南先生」と大谷さんが紹介した際、「いや、みーさんです」というみーさん。そのやりとりに互いに尊重し合う素敵な関係性を感じた。

今はみーさんは部下、大谷さんが本屋アルゼンチンを立ち上げた後、みーさんが入ったそうだ。

みーさんのお話し。
自己紹介がとてもユニークで、「広島県出身。A面は本屋アルゼンチンの店員、Playfulパートナー。B面は環境心理学、質的心理学界にいた。九州大学の教授職を定年退職し、今年6月から筑紫女学園の学長をしている」という自己紹介をされていた。隣に座っていた大谷さんが「そっちがB面」と笑いながらツッコミを入れていた。

みーさんは続けて「そう補正というのは、よくわからない自分、意外にそうでもない自分、掛け算したら違うものになる。A面とB面のこと。」と説明されていてた。この話から翌日重要なキーワードが生まれるのだが、この時は、お昼のお弁当を食べ、お話を聞き、メモをとり、電車の時間を気にしながら必死だった。故に、お弁当の味はあまり覚えていない。

「環境の中に心があり、その人に会うことが一番その人を解る方法。この場所を見ずにこっからは語れない。
ニューヨークの都市の精神分析を行った際、9.11が起きた半年後にニューヨークに住み、街の沈み方を見た。目標はある程度決まってているものの、何をするかわからない状況。9.11は予測していない出会いだが、ニューヨークと広島は2つのグランドゼロだ」と話す、みーさん。"予期しなかった9.11後のニューヨークでの生活と広島の繋がり"という言葉が印象的だった。広島は原爆投下の場所、9.11はアメリカでの大規模なテロ事件の場所、共に予期せず大きな破壊と変化に見舞われ、多くの人命が失われた場所。環境は人の在り方に影響を与え、その背後には人の心がある。その環境が人々の心に共感や連帯感を生み出し、繋がりを感じさせたのだろう。

再び、大谷さんのお話し。
「みーさんの本棚は学才的、環境心理だけでなく建築の本もあり一つ一つの棚に感じるメッセージがある。この本の近くにこれがある。本が1つの商売道具。」それを聞き、教授たちにとっての本は人生の一部だと思った。本を入手した経緯やその時の思い、何年も経って再び開いた本もあるだろう。あの時のあの本、と思い出して伏線回収のように開くことがあったのではないかと想像した。

「教授は退任時、本を持ち帰らなければならない。図書館では既存の本と被りを見たり、カバーをかける必要があり。現実的ではない量ゆえ断られる。外注で一冊500円のサービスがあるが、相当量あるため、結果的にシュレッダーサービスを案内される。奥様からも持って帰ってくるなと言われる。」思い入れがあり、知を残したいと考えた教授の本の末路がシュレッダーにかけられた紙の束になるのかと思うと、とても悲しい気持ちになった。
「一つの棚を一箱に再現している。今日は二つ持ってきている」と大谷さんが二つの黒い箱を持ち出し、床の中央に置いて中を見せてくれた。大谷さんが一冊丁寧に取り出す。私の位置からタイトルまでははっきり見えなかったが、ハードカバーの角は擦れて丸くなっており、閉じているページ部分の紙が茶色く変色しているのを見て時の流れを感じた。

「本をめくるとスタバの紙ナプキンが挟まっていたり、それにメモが残っていたり、黄色のマーカーが引いてあったり、レシートが挟まっていたりする。」みーさんが喫茶店でコーヒーを片手に本を読んでいる。(私のイメージはルノアールにいるみーさん)紙ナプキンを栞代わりにはさんで席を立つ。そういう光景を想像した。本に読んでいた時の状況や空間まで残るのは面白い。

電車の時間が迫っていたので1つだけ質問した。本をモノのように、違う価値と考えて良いか。例えば本は遮音性が高い。病院やシェルターなど静かに過ごしたい場所にあると良いなどの考え方をして良いか。みーさんが答えてくれた。

「サービスで(本の)引き取りはあるが、世の中には廃棄問題もある。いろんな人たちの知の循環は大事。教授は振り返ったら終活のような気持ちにもなる。本が何万冊もあるパリの方は寒い日に壁に並べて暖をとる。自由さは全て大事。僕もタウンページという本を枕にしていた。」そして大谷さんから、「何がどうなっているか説明しようとすると難しい。"わからなさ"を楽しんでいくともう少し人に優しくなれる。」私は普段、不確かなことを明らかにするために調査をしている。わからないことやグレーなことをわかるようにしなければならないと思ってやってきた。"わからなさ"と聞いて、わからなければならないと思い続けてきた自分が少し許された気がしてホッとしていた。衝撃を受けた。

そんな気持ちで、他のチームより少し早めに本屋アルゼンチンを出発した。

ハプニング

本屋アルゼンチンを出て、チームメンバーと共に駅のホームへ向かう。私のチームはCチーム。SIerでスクラムマスターをしているYさん(先ほど本屋アルゼンチンでご一緒した方)、金融でデザイナーをしているRさん、メガベンチャーでUXリサーチャーをされている運営のKさん、流通小売のUXリサーチャーの私の4名だった。電車で移動が必要な少し離れた場所でのフィールドワークのため、大入駅到着時に私が見逃した交通系ICのカードリーダーは1番線のホームを降りた線路脇の2番線に向かうための階段手前にあった。出場していないため、おそらく入場時にエラーになるだろうと思ったが、念の為カードリーダーにスマートフォンをかざしてみた。「ピンポン」と音が鳴り、カードリーダーが赤く光り、”駅係員にお知らせください”というメッセージが表示された。無人駅なのでそのメッセージは不適切だと思うのだが、降車する駅で精算できると思い、そのままにした。

私たちのチームのフィールドワーク先は筑前前原駅が最寄りのため、福岡方面に向かう電車に乗る必要があった。つまり、行きに乗ってきた電車と"逆方向”に、戻ると思っていた。私たちは今朝降りたホームと"逆"だろうと思い、降りた1番線と逆の2番線に向かった。2番線へは階段を登り歩道橋を渡り向かわなければならない。階段にはネズミのような小動物(頭がなかった)や虫の死骸が落ちていて、避けながら通らなければならなかった。2番線について談笑していると電車がきた。と思った瞬間、"逆方向"の1番線に停車した。私たちはホームを間違えた。
後で気づいたが、時刻表の時間の右横に何番線の電車か記載があった。しかし、この時はそれに気づかなかった。

走って階段を駆け上がり、先ほど通ってきた歩道橋を渡り、階段を駆け下ったが、電車は行ってしまった。「習慣は怖い」とチームのメンバーで苦笑いしながら、タクシー会社に電話したものの、どのタクシー会社もそこまで行くのに時間がかかると言われ、結局次の電車を待つことにした。普段電車に乗る際、片側が降りならもう片方は登りだろうという”思い込み”で行動していた。「これもフィールドワークということ」とチームメンバー同士で良い学びになったのだと笑いあった。

筑前前原駅

駅の改札は有人の自動改札になっていて、大入駅で出場を逃した私は、精算をするため、駅員がいる窓口に行って精算してもらった。駅員は1名で対応していたため、私の精算を行う際、駅員室の電話が鳴りっぱなしになっていた。

改札を出ると正面に筑前前原駅を中心に描かれた糸島の観光マップがあった。ざっと見て、◯◯古墳や◯◯遺跡と書いてある二重丸のようなアイコンが気になった。一瞬それに気を取られて一人だけ逆方向へ歩いて行こうとしていた。はぐれないよう慌てて追いかける。駅の北口へ向かった。

駅の階段を降りると、ロータリーのある駅前の通りに出た。ロータリーにはタクシー乗り場と有料駐車場があった。駅の道を挟んだ向かいの建物は学習塾が並んでいた。住宅地で学校が多い場所なのだろうと思い、調べてみると、駅の2km圏内に小、中、高が集中していることがわかった。

駅前の通りを右折すると商店街の入り口のアーチが見えた。アーチにはIRSのシルバーがやや曇ったプレートの文字が虹を模したフレームにくっついていた。プレートの文字の下にイリスロード伊都と書かれていた。

商店街

商店街に入っていくと、スナックやガールズバーが密集している建物があった。昔ながらの女性の名前のスナックもあれば看板も名前も新しいガールズバーもあった。駅前の塾を見て鮮魚や青果店がある住宅街の商店街を勝手に想像していた。思っていたのとは違ったが、蒲鉾の店はあった。商店街には音楽が流れていた。
途中に交差点があり、道路を挟んで別の商店街らしきアーチが見えてきた。
アーチには唐津街道、前原宿と書かれた白のボードの横にオレンジの軽トラ市会場と書かれているボードがついていた。


アーチの柱に前原名店街と書かれていたので先ほどのイリスロード商店街とは別の商店街のようだった。アーチは修理中か点検中の様子で、作業員と思わしき、Tシャツを着て脚立に乗った男性1名とその脇に脚立を支える二名の男性がおり、アーチの左側の柱をかこんで真剣な眼差しで脚立に立っている男性の作業を見守っていた。アーチの脇に白地に青色の筆文字で描かれた角屋食堂の文字が見えた。交差点を渡り、角屋食堂へ近づいていった。サンプルが並ぶショーウインドウのガラスの曇り、ソフトクリーム・瓶ビールなどのサンプルたちの色褪せ具合など、レトロ感漂う食堂があった。中は暗いのか入り口の扉のガラスが変色しているのか、あまり見えなかった。

食堂を通り過ぎるとオサダ百貨店の看板が見えた。シャッターが閉まっている”はきものどころ”と書かれた靴屋があった。シャッターには絵が描かれていて、靴屋とどのように関係があるのかわからなかったが、元素記号の表が描かれていた。その靴屋はOsadaと書かれており、突き当たりを目的地の本屋の方に曲がると、今後は呉服のオサダがあった。一族の土地なのか、屋号なのか、オサダとついた店舗がたくさん並んでいた。

糸島の顔が見える本屋さん

"いくつかのオサダ"を通り過ぎた後、目的地に到着した。斜向かいに今度は”帽子のオサダ”が建っていた。

外観は、軒先のテントが剥がれ、骨組みが剥き出しになっていた。テントの骨組みと店舗の壁の隙間の天井部分に、おそらく青色か緑色だった錆びたシャッターが覗いていた。以前の店の名残のようだ。入り口には白い看板があり、店名のロゴの下に吹き出しに”立ち読みどうぞ”と書かれている赤い本を読んでいるキャラクターのイラストが描かれていた。入り口前のスペースは催事スペースのようでコーヒーを淹れている方がいた。店内は、入り口を入って左側の壁一面が鮮やかな黄色に塗られており、通路が奥まで続いていた。二階があるようで通路の奥の壁には"2F"と階段のようなロゴが描かれたパネルがあった。天井からは丸いガラスのコロンとした柔らかい光のペンダントライトがぶら下がっていて、クッションが置かれた木製の椅子が三つ、テーブルが一つ置かれていた。木製の椅子は本屋の方が昔使っていたアンティークの椅子だそうだ。奥にもう一つテーブルと椅子があり、そこに棚オーナーの方が座っていた。入ってきた入り口側の壁には、ショップカードやフライヤーが並ぶ腰の高さくらいの棚、セルフのコーヒーポットが置いてあり、一つ200円で販売されている銅鏡を模した最中が売られていた。壁には糸島や前原界隈のイベントや店舗のポスターが貼られていた。ワークショップやコンサート、駄菓子屋のポスターもあった。骨組みが剥き出しの軒先とは違い、店内は綺麗にリノベーションされていて、カフェのような雰囲気があった。入り口を入って右側はヘリンボーンの床が広がっていた。土足禁止のようでスリッパが用意してあった。12、3畳かそれよりもう少し広さがありそうだった。黄色い鮮やかな壁と床の間に木製のベンチが二つ並んでいた。通路と床のパーテーション代わりになっているようだ。ベンチ越しに午前の店番をしている棚オーナーと客が親しそうに話してた。後で聞いたが、ベンチは教会からもらったものだそうだ。その床の先の壁一面に、棚は縦に7マス、横に20マスの本棚が並んでいた。

皆で挨拶し、運営のKさんが本屋のスタッフの方にお土産を渡した。靴を脱いでヘリンボーンの床へ上がり、スリッパを履いた。ヘリンボーンの床は、「本屋ができて人がたくさん出入りして艶が出た」と午前の店番の棚オーナーが言っていた。本屋のスタッフの方が「ありがとうございます。よかったら(お土産の)お礼に葡萄があるので。よかったらどうぞ」と進めてくれた。朝採れの葡萄だそうで、テーブルに白い深めの皿が置いてあり、紫と緑の葡萄たちがキラキラと並んでいた。

本棚は最上段だけ縦に長く、本は置かずにディスプレイとして使われているようだった。上から2段目には黄色い紙細工の花が飾られていた。二階に入居しているペーパークラフト工房の作品だそうだ。おそらく紙細工の黄色い花はハマボウを模したものだと思う。ハマボウとは絶滅の恐れがあり、保護されている糸島周辺に生息する花だ。

早速、午前中の店番をしていた棚オーナーに話を伺った。丁度、棚オーナーの友人と思われる方が来店されていた。いつもはどのような方が来店されるのか伺うと、友人やファン中心に糸島のガイドブックを見て来るのだそう。こちらの本屋をどのように知ったのか伺うと、「噂があって、糸島市、商店街、アーティスト、飲食ネットワークなどのイベントで広まる」糸島はカフェのイメージがあったので、フードイベントなどで出店・来店した方同士が繋がっていくのだろうと思った。
棚オーナーは思い出したように「スナック、そこで色々聞いた。」と言ってスナックの話を聞かせてくれた。「チャージ2,000円でロールキャベツなどがあり、1,500円くらいでお腹いっぱいになる。ママが色んなことを知っている。志摩、二丈が合併して前原になった話。ママは農業、漁業、建設、不動産の業界と繋がっていて、今度こんなところができる、というような話を知っていてそれが聞ける。昔は中洲のママがそういう役割だった。でも、(お客さんが)あるとき払い催促なしなので、個人で店を持っておかないとやっていけない。」という棚オーナー。本屋の方が「催促はありでしょう」とツッコミを入れる。ドラマや漫画でしか見たことがないが「つけといて」と着物を着たスナックのママに言ってスナックを出る棚オーナーを想像した。

「この街のコミュニティがスナックでそのまま再現されている。年寄りを大事にする文化。年寄りが年をとっていなかった時を知っている。
どんな方が来店されるのか伺うと「友人・知人が話にくる。こんなことがあったよ。と」何見て来るのか尋ねると「オーナーが自分で今日ここにいると言っていたり、シフト表みたいなものを今はないが作ろうとしている。顔が見える本屋さんだけど、本を見せるのが楽しいという人もいる」シフトができたらいつ誰がいるかわかる。店番ではなく本を置きたいという理由が先だろうから本を見せたいと思うのは当然だろう。
 棚オーナーの棚の場所とどんな本を置いているのか伺うと、「どんなのでしょう。多分その辺に…」と場所を教えてくれた。「どんな本がありますか」と聞かれ、棚を観察する。特定の著者の本が目立ったため「◯◯の書いた本がお好きですか」と返すと「好きですねぇ」としみじみお話しする棚オーナー。一つ手にとって良いか伺い、裏表紙を見ると、ベージュのマスキングテープで黄色い厚みの薄い画用紙が貼ってあった。黄色い画用紙には本棚番号、署名、出版社、発行日、備考、金額の項目があった。金額部分は300円の文字に手書きで二重に赤線が引かれ、項目の枠の外に同じ赤いペンで200円と書き直されていた。「値下げもされるんですね」と言うと、「値段は難しい。値下げしても売れない。売りたくなくてどうせ売れないと思い、高めの値段にしたら売れたりもする」と笑っていた。備考には棚オーナーが書いたと思われる、本の説明が簡単に書かれていた。後で聞いたが、午前中の店番の棚オーナーは元新聞社の所長の方で現在は糸島ではない場所に住んでいるそう。「本は口実で飲みにきている。この後も飲みにいく。角屋食堂というところで飲んで帰る」という。本が”口実”というのは面白い。棚オーナーは本も好きだとは思うが、スナックのママと話すように知らない世界との会話や関わりを求めてここへ来ているのかもしれないと思った。

本屋の方に「借主にはどのような方がいるのか」と伺うと「色々。小学校六年生が親御さんが借りた棚に本を置き、親御さんと一緒にお店屋さんごっこのように店番をしたりする。高校の卒業生が母校へ寄付るために棚を借りていたりもする」そう言って指棚を指差す。小学校六年生の棚には折り紙のような紙に手書きのイラストとメッセージが書いてあり、メッセージの奥に絵本が並んでいる。高校の卒業生の棚には、目標金額20万円、母校へ寄付するためという趣旨のメッセージが書かれていた。
 目線の高さにあった一つの棚に目が止まった。鮮やかなブルーの表紙に白字で”時間は存在しない”というタイトル。表紙も艶があり、本はそんなに傷んでいないようだった。棚の上部には画鋲で止められたPOPケースと思われる何も入っていない名刺サイズのビニールがくっついていた。一つ一つの棚にはアルファベットと数字の組み合わせの棚番号と棚オーナーの名前が書かれているアンテーク調の金属のプレートが付けられていて、本棚なのに美術品を並べているような雰囲気があった。手書きの小さな新聞を置いている棚、イラストを貼っている棚、売れてしまったのか、元々少ししか置いていないのか、二冊程度しか本がない棚があった。一つの繋がっている大きな本棚なのに棚一つ一つにはストーリーがあった。
二階にも本があるようで階段と本のアイコンが書かれたPOPが貼ってあった。「ここはチャレンジショップ。糸島商工会議所の持ち物を借りている。二階は以前一階に棚を持っていた大学生がスピンアウトして自分のお店を出している。他にも紙袋を使った紙のアートの店がある。」と本屋の方が教えてくれた。

話しているうち、「こんにちは。」とキャリーケースを引いた女性が入ってきた。本屋の方が「私の友人で東京から来た。」と紹介してくれた。棚には遠方枠というのがあり、家賃は高いが店番はないそうだ。関東圏の方と糸島の方では金銭価値が違い、家賃が高くても利用があるとのことだった。

「東京からいらしたんですね。」と女性に声をかけると、「本の補充にきた。英語の子供向けの本を揃えた。友達の本もある。」とポップなイラストの本を何冊かキャリーケースから取り出し、見せてくれた。どのくらいの頻度で本屋へ来ているか伺うと、しばらく考えて「二年間で三回。半年に一回くらい。」と教えてくれた。女性は羊のイラストが書かれた名刺サイズのカードを一冊一冊に挟んでいた。「羊の絵が可愛いですね。」と言うと、自分の本だとわかるように印として入れているという。自分の本が何冊売れたか売れたカードの写真を(棚オーナーの)SNSグループで共有されて把握するのだそうだ。
女性は本を抱え棚へ向かったが、棚の前をいったり来たりしていた。聞くと、棚は定期的に位置が変わるとのことだった。半年に一度の補充なら場所がわからなくなるのも当然だろう。本棚全体は壁に固定されていても、一つ一つの棚は、本が売れ、空いたスペースが生まれ、棚が移動し、また本が補充される。棚は常に変化し続けていた。
しばらくして、本屋の方と東京から来た女性は本屋を後にし、カーキのクロスカントリー車に乗り込み去っていった。その様がカッコよかった。

STAND973.

当日は店頭の催事スペースでコーヒーを販売している方がいた。黒いテーブルクロスや黒いペンキが塗られ、ステンシルのシルバーの数字のロゴがうっすら光る木の看板、同じデザインの黒い横長の名刺が統一されていて目を引く。本屋さんの一角ではあるものの、そこはコーヒースタンドの空間だった。当日の気温は31度、雨も降ったり止んだりで蒸し暑かったため、私はアイスコーヒーを注文した。目の前でスケールに乗せた琺瑯性の青いカップに豆を入れ、デジタル計量器で豆を測る。豆をコーヒースプーンで掬って琺瑯のカップに入れるときのカラカラという音が心地よい。電動のコーヒーミルで豆を挽き、直火のエスプレッソの器具に挽きたての豆を丁寧に入れていく。コーヒーを抽出する手順の観察を楽しみながら、フィールドワークに来ていることを伝え、母店がこの近くにあるのか尋ねると、普段はイリスロード商店街にあるビルの一角でワインと日本酒のバーを営んでいるそう。福岡は地元ではなく関東圏からやってきたとのこと。話の流れで糸島へ移ったきっかけを伺うと「ふわふわしている、たまたまというか、糸島だからというのはなかった」のだそう。奥様のご実家が先に糸島に移った後、出産のために里帰りした奥様が糸島を気に入り、本当は関東から迎えにきて自宅へ戻るつもりが、奥様の「ここに住みたい」という一声で、飛行機をキャンセルして自分だけ関東の自宅を引き払いに戻り、そのまま糸島へ引っ越してきたとのとこ。仕事はもうたくさんやったので、サラリーマンはもう良いと思ったそうで、何をしたいかや転職先は決めないまま糸島に移り住み、ご自身が好きなワインと義理父が好きな日本酒を組み合わせてバーを始められたとのこと。バーを始める前に、名古屋でお仕事をされていたときに通っていた名古屋式のモーニングスタイルを参考に駅前にコーヒースタンドの出店も検討され、入居を試みた物件が床屋で内装の改修費用がかかるということになり、出店しなかったそう。何をしようかと考えていた際、お金のかからないスナックの居抜き物件を見つけ、その物件でバーを始めたそうだ。お店の名前の由来を伺うと、居抜き物件にあった板に書いてあった番号をそのまま名前にしたという。名前の決め方がユニークだと伝えると、糸島へ移ったきっかけと同様に「これって、いうのはなくて」と笑顔で答えるご主人が印象的だった。
コロナの時は店はどうしていたかと伺うと「バーは人が来れないというより、行けない場所になってしまった。補助金があったからなんとかなった。自分はまだ良くて、商店街の店舗のいくつかはもっと大変。コロナだけではなくて、大きなスーパーが周りにできて、それでやっていけなくなったところがある。長く続けていた店がなくなった」
コーヒーと話のお礼を伝え、本屋の店内へ戻った。

 店内に戻ると、午前と午後の店番の棚オーナーの交代の時間だった。午前の店番の棚オーナーはこれから飲みに行くところだった。午前の棚オーナーは一緒に飲みにいく友人と共に、さわやかに手を振り、本屋を去っていった。

ALL BOOKS CONSIDERED

"二階は以前一階に棚を持っていた大学生がスピンアウトして自分のお店を出している。"という先ほどの話を受け、二階の本屋を見学することにした。一度二階へ行ったが、"おひるごはんたべてきます:)すぐもどります:)"というメモが貼られていたため、少し待って、二階の店主が戻ったのを確認し、見学させてもらった。二階へ続く階段は手すりがなく階段の横幅も人一人分くらいしかないくらい狭く、急だった。気をつけてとチームメンバーで声を掛け合って登った。


二階の本屋のレイアウトは3畳あるかないかくらいの正方形の部屋に二人掛けのパッチワークのソファーと四角い背面のない本棚が積み上げられ、本棚と反対の壁には油絵のアートが掛けられていた。個展中なのだそうだ。入り口の大きなガラス窓と本棚の間には”現代アート”として段ボールに赤や黄色や青の絵の具や黒いペンで試し書きしたような作品が売られていた。値段をみると"¥ASK"と書かれていた。パッチワークのソファーの横には"¥200"とマジックで書かれた段ボール箱に本が入れらていた。店主はチーム4人入り切らず、運営のKさんは入り口付近にはみ出して立っていた。

店主にここをなぜ始めたのか伺うと「僕らもわからない、目的を特に持っていない。」と言う。「学生だし、答えを求めがちになる。周りを客観視したい。不確実性や即興性、わからなさも一個の場所にしたらここになった。」店主がむせながら答える。商店街にある飲食店でスープカレーを食べてきたそうだ。北海道から来た方が店を出しているという。
どんな方が来店するか尋ねると「変な人が多い。拗らせてる人。年代は関係ない。ふらっとすぐ帰る人もいる。話し込んだら一時間くらいになる時もある。」と言うので「では我々は拗らせている人なのかもしれない。」と返すと、「そうかも」と皆で笑い合った。

運営のKさんが大学で何かサークルに入っているのか伺うと「コロナで部活やサークルはない。ずっとオンライン。そう言う偶然性もあって本を読んでいる。本は書店で買っている。意外と独立系書店ではない。ジュンク堂に行く。ラーメンも同じ。どのラーメンとか言えない。街中華みたいな。」希少本などの流通が少ない本を扱う書店で買っていると勝手な思い込みをしていたので意外だった。そして、"どのラーメンとか言えない"というのは言語化が非常にうまいと思った。
本を買うポイントを伺うと「表紙。物性。手の取った時の温かさで選んでいる。この本とか(表紙が)いい」と手に取った本はレシピの本だが”いい日だったと眠れるように”というタイトルだった。確かに、ホッとする。
本はここ(店舗)で読むのか、自宅で読むのか伺うと「本は家にある。(量が多く)すごいことになってる。」という。

「本屋じゃないと思っている。バンドやジャズみたい。セッションしている。本の並べ方もあんまり意識していない。」確かに、本のジャンルは飛び飛び、文庫本かハードカバーかどうかもバラバラだ。サDOL(アイドルグループ)の上に、群像(文学誌)が置かれている。その隣にA4のコピー用紙に書かれた骸骨の絵が描かれた紙の束があった。中のページの文字が透けていて、原稿かなと思ったが、店主の友人のものだそうだ。その下にはスニーカーが置かれている。店主が話しているカウンターにはカセットデッキが置かれており、カセットテープが売られていた。可愛らしいチェックの"¥800"と描かれたマスキングテープが貼られている。その奥のスピーカーと本棚の間には本屋アルゼンチンのフライヤーがあった。隠れミッキーならぬ、隠れアルゼンチンだ。"本屋ではない"と店主が表現したのは店主はじめ、創業メンバーの想いが詰まった場であり自己表現の場なのかもしれないと思った。
話の途中で通り雨が降ったのが、話に夢中でどのタイミングで雨が降って止んだのか忘れてしまった。雨が止んでいたのでそろそろ移動しようということになった。店主へお礼を告げ、手すりのない階段をゆっくり降り一階へ戻った。

一階では午後の棚オーナーが店番をしていた。これから移動することを伝えると、すぐ近くに文房具屋や駄菓子屋があるので見ていくと良いと教えてくれた。

文房具屋は一つ二つ隣の建物を挟んだ場所にあった。軒先のタイルの天井の一部が崩れて地面に落ちていた。落ちた天井部分は錆びている。建物が古いのだろうと思った。あいにく閉まっていたが、ガラス張りだったので店内が少し伺えた。”郷土文具”と書かれた看板のようなボードがあった。

その後、これからどうしようかという話になり、スーパーマーケットが近くにありそうなので行ってみたい、地元の生活を知りたいと提案したところ、行ってみようという話になった。行きに通ってきた商店街の道を駅のほうへ戻る。途中にスープカレー屋があった。行きには閉まっていたのか気づかなかっただけなのか、本屋の一階の壁と同じような鮮やかな黄色の壁の店舗だった。北海道と書かれた幟が風に揺れている。再び行きに通った角屋食堂の場所まで戻ってきた。午前中の店番をしていた棚オーナーが角屋食堂で呑むと言っていたので中を覗くと本当に呑んでいた。

大石金光堂

一応見ておこうということで、途中にあった駅前の本屋も見学することにした。行き先の計画にはなかったが、イリスロード商店街の入り口のアーチの向かい側に本屋があった。入口を入るとすぐ左手に地図のコーナーがあり、糸島や福岡の地図や観光ガイドが並んでいた。店内をぐるっと歩いていて、ビジネス書の並びに”アフォーダンス”の文字が目に止まった。筑前前原駅周辺の本屋ではそういう本を置いているのか、今朝から見ている出来事が影響して目に止まったのか。

Aコープ前原駅南店

駅直結のスーパーマーケットに立ち寄った。駅の改札を出て、本屋のある出口とは逆方向の通路を歩いていくと突き当たりに100円ショップがあり、その前のエスカレーターを下っていった先がスーパーに繋がっていた。時刻は午後四時。夕飯時の買い物のピーク時間前のようで、店内は人がまばらだった。カートにグレーの買い物籠を乗せる。カートや買い物カゴが置いてあるすぐ横にパン売り場があった。店内で焼いているのか奥に工房があるようだった。その向かいには和菓子の棚があり、奥には糸島の焼酎や日本酒が並んでいた。時刻は午後四時を回り、お弁当やおにぎりなどの惣菜コーナーは昼の時間帯に売れてしまったのか、陳列棚には余白があった。
鮮魚売り場は鮮魚市場のような大ぶりの天然鯛、鰤、太刀魚が並んでいた。トレーに乗せられラップでパッキングされているが目は澄んでいた。70代くらいの夫婦が鮮魚売り場を見ながら話をしていた。「あの魚は◯◯。こっちは◯◯。」と水族館にいるように話をしていた。手には柵のマグロのパックを持っていた。
青果売り場は道の駅のような緑の仕切りが並んでいた。茄子やししとうが少し残っていたが、それ以外は"糸島産◯◯"や"産直"と書いたPOPが並んでいるのみで売り切れているようだった。会計に進もうとレジの方へ歩いていくと、米の量り売りのカウンターがあり、すぐ横に精米器があった。品種は五、六種類並んでいてほとんど糸島産だった。その近くには醤油の棚があり、米と同様、地元福岡や糸島の醸造所の醤油が並んでいた。
ここで買い物すれば、地元の風味を味わいながら買い物でき、地域経済もサポートできる。地産地消の具現化の場所だった。
レジで会計を済ませ、打ち上げ会場のゲストハウスへ向かった。

ゲストハウスいとより

各チーム、フィールドワーク終了後は参加者の何名かが宿泊するゲストハウスでバーベキューをすることになっていた。Cチームは一足早くゲストハウスに到着し、フィールドワークの振り返りを行うことになった。

ゲストハウスいとよりは住宅街にあった。周りは民家で向いも両隣も個人宅のようだった。玄関先には車が二、三台駐車できそうな雑草が生えたスペースがあり、入り口脇には小さな多肉植物がたくさん並んでいた。玄関もその横にある台所へ続く勝手口も鍵が空いていたが、ゲストハウスの他のチームはまだどこもついていない様子だった。運営のKさんがチェックインを頼まれていたため、ゲストハウスのスタッフの方を探した。ゲストハウスの建物の横の中庭に続く通路を覗いたが、人影はない。もう一度通路奥を覗くとスタッフの方が出てきた。中庭のさらに奥に、裏庭があったようだ。

玄関から中へ入ると、小上がりがあり、その先に畳の部屋があった。部屋の壁に背面に"泊まりにこんと?"とかかれたTシャツが三色かけられていた。Tシャツの胸の位置に"ゲストハウスいとより"のロゴがあった。"おじゃまします"よりも"ただいま"と言いたくなる空間だった。ゲストハウスは増築した寝室は築四十年だが、母家は築百年の古民家だった。入り口や畳の和室はそのまま残しているようだったが、廊下や水回りはリノベーションされていた。洗面所の引き戸が糸島の顔が見える本屋さんの床と同じく、ヘリンボーンだった。なんだか伏線回収しているような気持ちになった。

到着後、チームで和室の長机に机に向かい、情報カードというカードにそれぞれがどんなものを見聞きしたかを書いていった。情報カードの書き方は、人類学者は一人でやるが、今回はグループで共同作業を行うため、事実と意見のどちらを書いたか他の人が見てもわかるように書いていく、各自が書いたこのカードを発想の材料にする、書いたものをチームで共有し、この情報とこの情報は近い、など情報の整理をしていくというもの、とアドバイスをもらった。私たちのチームは情報カードの試し書きを共有し、書き方の認識合わせをしながら各自気づきをまとめていった。

間も無くして他のチームも到着した。買い出しチームが買い物の荷物を運び入れるためリレー形式で台所まで荷物を運んだ。他のチームと同じ部屋で情報カードを書いている間、運営の方がバーベキューの準備を台所で進めてくださった。遠くで聴こえる話声が盆や正月に祖父母の家に遊びにきたような気がして、皆が情報カードを書くペンの音と混ざり心地よかった。

その日は帰宅し、シャワーの後、ソファーで休んでいたらいつの間にか眠っていた。


Day2

翌日は朝十時に本屋アルゼンチンに集合。外は雨が降っていた。

YAY!

ワークショップの開始と共に、運営のKさんからYAY!(イェイ)を連呼しようと提案があり、みんなでYAY!と気合を入れ、二日目のワークショップがスタートした。ワークの合間でも何度もYAY!を連呼し、チームはもちろん、参加者全員の熱量が増していった。

debrief

デブリーフというチーム内でどんなものを見聞きしたか、情報カードに書いたことを共有し、見逃したもの、聞き逃したもの、気にも留めなかったものを知るためのワークを行った。
興味深かったのは、糸島の顔が見える本屋さんで見ていた本棚の内、それぞれ気になった棚が全く違ったことだった。それぞれ興味を持った棚から棚オーナーやそこに置かれている本や説明書きの一つ一つからストーリーを汲み取ってきていた。
チームのメンバーと自分の興味関心を比べてみると、フィールドワーク先の周りの環境、商店街や店舗のコーヒースタンドなど地域を見ていた。このワークでは自分がどのような目線で観察してきたのか、自分の特性を客観視することができた。

その後、チームごとの共通点や相違点などを各チーム代表が発表し、アイディエーションのワークに進んだ。

ideation

アイディエーションでは、チームで共有した内容からサービスや仕組み、プロダクトのアイディア出しを行った。この段階のアイディアはまだ抽象的なものが多かった。1センテンスで問題定義を行うため、"我々はどうすれば(顧客)の(課題・要望)を(望ましい状況)にできるだろうか?"というフレームを元にアイディアを詰めていった。

アイディアとリサーチからそれぞれ考え、アイディアからは誰のどんな課題を解決しようとしたのか、リサーチからはこういう問題がありそうが、ファインディングスとバックキャストを繰り返し、考えをまとめていった。

途中、関連が深そうな情報を持つチーム同士、情報交換を行うパートがあった。私たちのチームのフィールドワーク先やその周辺の商店街のことを知る方や、前半のワークで書き出した情報カードのキーワード共有を通じて、異なる視点と知識が結集し、議論が一層深まった。チーム同士の情報交換により、”わからなさ”を多面的に捉えることができた。

New Team

アイディアだしを行う際、チームシャッフルを二回行った。各チーム元のメンバーが一名残り、それ以外のメンバーは他のチームメンバーとシャッフルになるというルールだった。
新しいチーム編成先では、元のチームのメンバーが課題を説明し、それに対するアイディアを他のチームのメンバーが大喜利で出していった。制限時間三分で一度出し、共有した後、もう一度三分アイディアを練った。次の三分間は、最初の三分で出した他の方のアイディアからインスピレーションを受けてもよし、新たにアイディアを考えてもよし、というルールでアイディアを捻り出した。一回目の三分は曖昧なアイディアでも、もう一度二回目の三分間でアイディアを絞り出すことで理解が進み、解像度を上げていきながらアイディアを出すことができた。瞬発力と集中力が鍛えられ、フィールドワークでは別のチームだった参加者の考え方を知ることができるとても良い機会だった。

ペルソナ

午後はペルソナを考えるワークを行った。
以下の順にペルソナを考えていく。

1.なんとかしたい悩み・欲求(Critical Gain/Pain)
2.その人の属性(Attribution)
3.それが発生する状況(Context)
4.ニックネーム・似顔絵(Nickname & illustration)

ペルソナを考える際は、順番がとても重要で、2番目の属性や3番目の状況から考え始めるとこれまでのワークで抽出してきた内容とずれが生じるなど、当事者の視点にフォーカスし、状況を明確にしていくための誰にとって良いものなのか、実在するフィールドワークで出会った方をモデルに人物モデルを作成していった。

物語

ペルソナの次は物語で表現をするワークを行った。ユーザーエクスペリエンスのためのストーリーテリングを考えるワークで、これまでに考えたアイディアやペルソナのパートで考えた4つの項目や情報カードから抽出した課題などを元にストーリーボードに起こしていった。
以下7つの構成要素を元に物語を考えていく。

アイデア名: 特徴が端的に伝わる名前に
対象者: 誰のために(なるべく具体的に)
欲求・悩み : 対象者にはどのような欲求や悩みがあるか
状況 : 対象者がどのような状況にいるときに、その欲求や悩みがおきるのか?
行動 : (新アイデアで)具体的に利用者はどんな良いことができるようになるか
達成 : (新アイデアで)利用者がどんな良い状態になれるか
独自性: サービス提供者の持つ価値と掛け合わせられるポイントは?(optional)

仮説がない状態の分析だけでも新鮮だったが、このフレームワークを実践して、本当にうまくリサーチの内容を無駄なく活用し、余すところなく調理していると思った。

私たちの企画

Books and Bricolage Session(ブックス アンド ブリコラージュ セッション)というタイトルで、糸島へ移住してきてもっと地元や周囲の人との繋がりを持ちたいと思っている人たちのためのブックキャンプを企画した。ブリコラージュ(Bricolage)とは、文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが1962年に発表した『野生の思考』で取り上げた概念。フランス語で「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」ことを意味する。
私たちのチームの情報カードには「セッション」「コラボレーション」「即興性」「偶然性」という言葉が溢れていた。それらはフィールドワークを通して、地元に昔からあるものや人と移住者の関係性やそこから生まれる新しいものを見て発想された言葉だった。ワークの中で不意にチームのYさんが「ブリコラージュという言葉に行き着いた。この言葉を使いたい。」と提案し、タイトルが決まった。(この企画が後日新しいイベントを産むことになるがこの時はまだそれを誰も知らない)

全体を通して

本屋アルゼンチンという週末のみ営業する小さな本屋と、教授の本棚というプロジェクトとRESEARCH Conferenceのコラボレーションから始まった今回のワークショップ。教授の退任時に行き場を失う本たちの特別な役割や可能性を探るため、フィールドワーク先で本屋やその周辺環境を観察しながら、その場所に溶け込んでいくことで新旧が共存する景観や地域やコミュニティや文化に根ざしたものが、相互に影響しあっている様子が伺えた。物と人とが対話しながら、話が広がっていく。まさに循環。
本だけでなく、人や場所や物と対話しながら、それぞれの知識や経験が混ざり合い、新しいものが生まれていく、プロダクト開発のような感覚。
今回チームで立ち上げた企画をきっかけに、今後も糸島や教授の本棚や本屋アルゼンチンとの縁を大切にしたい。そして、知の循環を広げていきたい。

参考


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