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【愛着障害・AC】甘えられなくて損したこと

周りの人から私はしっかり者と見られていているらしいですが、それは単に甘えベタなだけだと言いたいのです。


甘えることを知らずに、自覚もなく厳しく生きて来ましたが、その生き方だと他の人に比べると随分と損をしてると、なかなか気づけませんでした。

原家族の中で染み付いた誰にも頼らない処世をしていると、他の人が親に何時までもおんぶに抱っこと甘えて頼っているのが全く理解できなかったぐらいです。

私の目には、いい大人のする事とは思えない甘え方に見えました。

私が厳し過ぎるのだとは、その時は気付いていませんでした。

それにしても一人でよく頑張ったものです。


自分のことは自分で律して、やんちゃしたり羽目を外したりすることも無く、感情を一人で抱え込んで自分を内側に閉じ込めるしかなかった可哀想な子供でしたが、周りはそう見なかったらしくて、しっかりしたいい子で通っていました。


若い時から「あの子は放っておいても大丈夫」と言われていましたが、遡って行くと幼稚園児のころから他の子みたいに子供らしい泥んこ遊びはやらず、妙に冷めた大人の手を煩わせない、手のかからない子供と見られていました。


甘えられる親はいなくて、逆に親から甘えられて、自分の甘えたい欲求は解放されないまま、ずっと今日まで来たのだな、こんな可哀想な私を何とかしたいと最近は思います。


ところで、甘えられなかった子は、目利きの人から見ると、すぐ判るらしいです。

彼らは私の事を知らなくても、私の孤独をすぐに見破ってしまうのです。

「たまには親元に帰って甘えなさい、頼っていなくても頼っているフリをしてあげるのが親孝行というものよ。鉄砲玉みたいに出たきり帰ってこないのはいけないわ」

「自分のことは、ぜんぶ自分でやっているでしょう?自分から甘えて行かないと、親はあの子はそれでいいのだろうと思って、何もしてくれなくなるよ」

「お母さんに(愛)されてないのが分かるわ。………自分から人に甘えないと無理やね」


などと周りの女性から言われました。 

自分では自覚してなくても、どこか不安で寄る辺ない雰囲気が身体の何処かから漏れ出ているんでしょうか、それを目利きの人は見逃さないのでしょうか。 

鋭いですね。
 

この「人に頼れない」、という心の態度は障害です。

幸せを遠ざけてますね。


親密になるのを避けたいという回避性の性格と共に、いまではもう要らなくなった過去の遺物として、捨て去ってしまいたいです。

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