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先生の教え「かけがえのない、私たち」《後》


ひらめきを行動に移してみたら…。

夢で再会した高校時代の美術の恩師に40年ぶりに連絡をとったら、何が起こったか、を綴ってみました。

今回はその続編。

ひらめきを行動に移してみたら、創造的な体験ができる、とはよく言いますが、先生との「再会」は、いま私が一番知りたかったことを教えてくれたのでした。

それは…。


先生は一昨年、なんと卒寿(90歳)になっていました。91歳のいまもお元気で、教員生活のなかで育てた教え子たちに囲まれ、来年の個展に向けて画業に励んでおられる、とのことでした。

よかった、まだお元気でいてくれる、とほっとしたのでした。そして、遠く離れていても、先生の存在が今でも私の心の拠り所になっていることに気づきました。いつの間に、そんなに大きな存在になっていたのでょう。

私が高校を卒業して倉敷を不在にしていたあいだ、先生は教え子たちと強い絆をつくっていました。

先生は倉敷青陵高校のあと、鳥取大学教育学部、岡山大学教育学部につとめ、そのあと岡山大学付属中学校、倉敷芸術工科大学でも美術教育にたずさわり、86歳まで教壇に立っていたのだそうです。

現在は車の免許も返して、「年をとったから、教え子たちの言うとおりにしているよ」と話していました。

教え子たちの企画で、昨年は高島屋で卒寿の記念展、来年には高梁市の成羽美術館での個展もひかえています。先生は教え子をとても可愛がっているようで、長いブランクがあった私にさえ、あたたかい言葉をかけてくださいました。

「教員生活60年の教え子たち、倉敷、鳥取、岡山の教え子たちが合同で開く美術展をやっているから、あなたもぜひ出品してください」私は嬉しくて舞い上がりましたよ。

教え子たちがみんな仲がいい、先生の側から離れていかない、こんな先生がいるでしょうか? 先生の人望の秘密を私なりに考えてみました。

先生の人望の秘密、それは、人を道具にしない、からだと私は見ています。 

人を道具にしない、って、どういう事でしょうか。



高校の時、はじめて会った先生は、芸大出で日展入選作家という肩書きをお持ちでしたが、先生然としたところは全くありませんでした。私を一人の人間として対等に扱ってくれた初めての先生でした。

ほかの先生みたいに生徒を指導しよう、なんて雰囲気はまったくありませんでした。

クラスメイトがこんなことを言っていました。
「先生だけが私の唯一の味方だった」

クラスメイトが言いたかったことは、こういうことです。進学校の先生は「勉強できん奴は箸にも棒クラにもかからん」「どこの大学に入るかで君たちの一生が決まるんだ」と生徒の尻を叩いて、偏差値の高い大学に生徒をいかに多く送り込んだかで自分たちの手柄をはかっているような人たちでした。

言ってみれば、生徒を自分たちの欲望をみたす道具だと思ってるんでしょうね。しかし、こんな先生たちの期待どおり東大に行った一番とニ番の生徒は、いまでもその先生たちといい関係を保っているかって、そんなことはまあ無いでしょう。

人を自分の欲望をみたす道具にしないこと。これができる人はあまり居ないかもしれません。

たとえば、ハイスペックな男性を結婚相手にしたがる女性。ライバルを踏み台にして出世をはかる野心家。子供を思い通りの自慢の息子娘に育てようとするお母さん。

こういった他人をつかって人生を活性化しようとしている人は、みんな当てはまりますね。

部下にパワハラしてストレス解消する上司も、人を道具にしています。

私だって、かつて人を道具にしたことが無かったかといえば、決していえません。寂しさを埋めるために、とりあえず付き合っておく誰かをキープして安心したこともありました。共依存の人は、まちがいなく人を道具にしていると言えます。

道具にしたり、されたりする時、そこには人間同士のふれあいは無いのだと思います。道具にしたり、されたりするのは、頭で考える防衛の一つであって、ハートから望んでいることではないからです。

自分が人や社会からモノ化されている、と感じるとき、なんとも言えない怒りと悲しみを感じますが、それが健康な感じ方なのでしょう。自分を歯車か駒のように扱う組織や上司に潰されてたまるかと思える人は鬱にはなりません。

話がそれたのでもとに戻しますね。

先生は私たちを道具にしませんでした。自分の思い通りにしようとせず、目の前の私たちをそのまま受け入れてくれて、誰のことも否定しませんでした。人を信じていないと出来ないことです。

人を道具にしない、とは、人を自分の思い通りにしようとしない、ということです。

人を自分の思い通りにしようとしない、ここ、ポイントだと思います。つまり、生徒を自分の思い通りにしようとしない先生は、私たちにとって安全な存在だったのです。  

安全な存在として居てくれて、そんな先生の存在が理想的な養育環境になって、教え子たちは自由にのびのび育っていけたのでしょう。

それが教え子たちから寄せられる絶大な信頼の秘密なのだと私は思います。

先生は教え子たちの安全基地なのでしょう。

先生は安全基地だから、いつでも帰っていけるのです。私がそうであるように。

そんな環境で育つと、幸せな人になるでしょう。自分は大切で、かけがえのない存在なんだ、と信じられるようになるでしょう。
 

人の幸せとは何か? 安全な人間関係とは? いま私が一番知りたいことを先生に教えてもらったのでした。

2006年、75歳の先生


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