【うつ・愛着障害】わたしが母の愛を諦めたのは
私の人生にお母さんの愛はありませんでした。
私の母は病んでいて精神的に未熟な人でしたから、子供に愛を与えることが出来なくて、ぎゃくに子供に愛を求めずには居られない、そういう人だったと思います。
私は母に愛を求め続けましたが、遂に愛されることはありませんでした。
愛されなかった私は、母への執着は凄まじいものがありました。
失われた子供の頃の記憶が蘇ってきたとき、虐待されていたことに気づきましたが、それでも母は良い人だと思おうとしました。
さらに、いつの日か母は改心して私を愛してくれるのではないか、とありえない期待をして担当のカウンセラーを呆れさせていました。
母に求めても何も無いという現実を見ようとしない私は、直面化さされました。
「お母さんは貴方が邪魔なんだもんね」
カウンセラーの言った事は本当のことでした。
母が描いた未来の計画に、私が居たら母が困るのでした。
求めても何もない事が分かっていながら、その後も求めることを止められませんでした。
現実の生活では成人してから母と一緒に暮らしたこともないし、側に寄ったこともほとんど有りません。
しかし私は、あんなに冷たくされたのにも関わらず母が好きで、母は世界一美しい人という三歳児の世界観を生きていたのです。
最近は母のことを考える事が無くなりました。
二十年かけて傷を癒やして成長することが出来たからです。
いまは母が私の事をどう思おうと、私の価値は揺らぐものではない、と思っています。
もう母にコントロールされなくなったのでしょう。
母を諦めることが出来なかった時は、自分を無価値で弱い存在だと感じていました。
母に価値を剥奪された私は、無価値感を埋めてもらうために他人の承認にすがらなくては成りませんでした。
他人の承認にすがっているうちは、どう思われているか他人が驚異になっていました。
癒しが進んでくると、自分で自分を認められるようになって、他人からの承認を受け身で待っていなくてもよくなりました。
愛は自分の中にあることに気づけました。
成長したものです。
自分の中にある愛に気づけば、外に求めなくていいのです。
こころはやっと子供時代を終えようとしているのでしょうか。
私は母に捨てられても一心に愛を捧げてきましたが、いま思えば、私のしてきた事は、いじらしくもあるし、お人好しのお馬鹿さんにも見えます。
私の人生に母の愛はありませんでした。
母の愛無しに、本当の意味で、自分の人生を始めることは出来ませんでした。
母に愛されない子供は生きる希望を失い、心は何時までも成長できず、大人になれません。
大人の責任を負わせられて、こころは傷ついた子供のままで生きるのだから、辛くない筈はありません。
たぶん母も私と同じだったと思います。
傷ついた子供の心のまま母親になったから、子育ては苦痛だったに違いありません。
いまは冷静になって母のことを理解できます。
ずっと、こころは子供のままで成長を止めていました。
潜在意識では自分一人では何もできないし、自分の足で立って歩くことすら出来ない子供でしたが、いまは成長して、これからやっと立ち上がって自分の人生を自分の足で歩こうとしているのです。
癒やして成長して自分の中に愛を見つけられると、たとえ母の愛を知らなくても、自分で自分を愛して、自分の人生を始められるんだと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
表現アートファシリテーター/心理セラピストの洲崎加容子でした。
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💎洲崎 加容子(すざきかよこ)パーソンセンタード表現アートセラピーファシリテーター/SORAピプノセラピスト/産業カウンセラー/自己探求家
20年の治療生活の途中、石垣島移住のすえ、愛着障害、複雑性PTSD、解離性障害を克服 セラピーおたく/ボディセラピーが好き
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