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【回復】傷の受容と芸術

過去の傷と、いかに共存するか?ということについて考えてみたいと思います。


はじめに、あなたは自分のことが好きですか?

ありのままの自分を好きになること。それは心に傷を抱えた人にとって、遥かな道のりです。

自己概念、というコトバがあります。セルフイメージのことです。自分で自分のことをどう思っているかは心身の健康に、とても影響を及ぼします。

自分が嫌いであれば、心身の健康は損なわれ、人生は衰退して行きます。

「私は世界中で自分が一番好きで大切」という健全な自己愛をもつことがとても大切なことなのです。

かつての私は自己蔑視が止まりませんでした。自分は良いもの、とはどうしても思えませんでした。

親がいやで、私の人生に親が含まれていることが我慢ならなかったのです。

自分と自分の人生をどうしても受け入れることが出来ませんでしたが、その時は自分を許せないし、他人もすべてが許せませんでした。

ところが、それが私なんだと認めた時から、心は平和になりました。

傷も自分の一部として受容すると、すべてを許せるようになりました。

いま、許しとは全てのコントロールを手放すことだと、実感としてよく解るようになりました。

そして、自分を好きになる遥かな道程のなかで、傷と共存しながら進むのもいいのかも知れない、と思うようになりました。

傷と共存する、このアイデアはいいと思います。

そこで、冒頭に戻りますが、「過去の傷と、いかに共存するか?」というテーマについてヒントになりそうなお話をしようと思います。



傷があることが一概に悪いことでもありません。

むしろ逆に自らの傷を癒やすプロセスで、偉大な仕事を成し遂げた人たちもいます。

仏教の創始者、シャカが放浪のはて菩提樹の下で悟りをひらいたのも愛着障害の傷を癒やすプロセスの途中だったのかもしれません。

宗教家になる人は苦しい体験をすべて糧にして創造的な仕事をします。

表現者もそうです。

「叫び」で有名なムンクは80歳まで生きましたが、狂気をおびたような作風は、晩年にはムンクとは思えないような穏やかな色調に変わりました。

長年の創作活動によって不安と恐怖は癒され、鎮められたのでしょうか。

早世したゴッホやモジリアニも長生きしていたら、どんなふうにか変わっていたかもしれません。

病を生きる芸術家の認知の歪みが強いメッセージ性になって人を感動させるので、表現者には苦悩が有利に働くことがあります。

美術は治癒効果が高いのでしょうか?

一方、音楽やると孤独を深める、と聞いたことがあります。

ジョン・レノンは最後まで音楽が彼を癒やすことはなかった、といいます。

エルトン・ジョン、エリック・クラプトン、ジャニス・ジョップリンも依存症の苦しみ
があったから表現に深みと凄みが生まれたのかも知れません。

夏目漱石、太宰治、川端康成、谷崎潤一郎、この人たちも愛着障害がありました。

ふつうの幸せな人は、苦しい修行をしたり、芸術に命をかけるような激しい生き方はできません。

生きるのが苦しい人は、何かの表現活動をすると、自らが癒され、人も癒やすことができます。

さらに自分が生きている意味が出て、作品が自分と世界との架け橋になってくれます。

何か表現することは、過去の傷を癒やしながら自分自身を愛する行為でもあるんだと思います。 


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