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よくある「遊び」??男の子の「ズボンおろし」について考える。

目次
・我が家で起こったこと
・私は手紙を書いた
・受け取った学校の対応は早かった。でも…
・名前を伏せたのにも関わらず犯人探しが行われてしまった
・「遊び」と認識してはならないと伝えたにも関わらず「ごめんなさい」だけで済ませてしまった
・クラス全体、学校全体での話し合いや考える時間は取られなかった
・性教育の最初の一歩を逃した…
・日本の防犯教育の問題点
・「イヤだ」を聞き流さないで
・子どもの心を守るために:「イヤだ」と言えるのはすごいこと

現在中3と中2の我が家の息子たちが、小4と小3になった年、遊び仲間の間で「ズボンおろし」が流行った。歩いている後ろから忍び寄って、ザバッ!とズボンをおろす。慌ててズボンを引き上げる姿を、周りはどっと笑って見ている。

当たり前だけど、運が悪ければパンツまで脱げる。息子たちはおとなしいくせに活発だったので、やんちゃ傾向のある子たちと遊ぶことが多かったからか、ひどい時は2日にいっぺんくらいのペースでやられていた。

「またやられたー」と何とも言えない顔で話す息子たちに、私は「プライベートゾーンの話、覚えてる?」と訊いた。「覚えてる」と言う。「それならそれは当たり前に「イヤだ」って言っていいことだってわかるね?」

「「イヤだ」って言ってるよ!」と息子たちからの反論。「でもね、笑うんだよ」「やめてくれない」わかってくれない、というのが彼らの感触らしい。そして、やる子が増えていく。これまではやっていなかった子が、今日は誰々くんのズボンをおろした、と。

報告の名前が毎日増えていく。

私は手紙を書いた

ある日ついに、私は「落ち着いた雰囲気のいい子」と感じていた子が下の息子のズボンをおろしたと聞いて、子どもたちを寝かした後に2人の担任の先生それぞれに手紙を書いた。あの子にまでこの遊び(ほんとうは遊びなんかじゃない「性暴力」だ)が広がるのは異常事態。我慢の限界。

手紙の内容は
・やった子の名前を伏せて
・どんどん広まっていること
・これを「遊び」と認識してはならないこと
・「性暴力」であること
・クラス全体、学校全体で話し合ってほしいこと

を伝えたつもり。

受け取った学校の対応は早かった。でも…

投稿して連絡帳と一緒に渡した手紙はそのまま職員会議にかけられたらしく、1時間目が確か自習になって上の息子も下の息子もそれぞれの担任の先生に話を聞かれたとのこと。そこで隠す必要もなく息子たちはやった子の名前を言った。

次の休み時間にはやった子が担任の先生に連れられてやってきて、「ごめんなさい」と言ったらしい。息子たちはどっちみち普段から仲が良い子たちだし、断る理由もなく「いいよ」と言ったと。

その報告を息子たちと、それぞれの担任の先生からの連絡で知り、ありがたいと思う気持ちと、「なんだかなー」と思う気持ちでモヤモヤしまくった。

名前を伏せたにも関わらず犯人探しが行われてしまった

当事者同士の話にせず、「身体を大切にする、侵害しない」という点から、「どの子にも」考えてほしいという視点での語りかけをしてほしかった。そうすれば、やった子は「自分がやっていることはひとを傷つけている」と気づけるし、やっていない子は「やっていはいけないこと」「やられている子を守ること」に気づけると思ったのだけど。

「遊び」と認識してはならないと伝えたにも関わらず「ごめんなさい」だけで済ませてしまった

プライベートゾーンに触れてはならないこと、は最低でも先生方に話してほしかったし、これを伝えずして、やった子たちに「あなたたちがしていることは「性暴力」なんだ」と気づいてもらうことは不可能だと思う。

クラス全体、学校全体での話し合いや考える時間は取られなかった

やった子には自省と自制を、やっていない子には見逃したり、笑ったりしてはならないことだという気づきを促してほしいと書いたのだけれど、短い時間でもクラスへの話、問いかけもなかったと息子たちから聞いた。忙しいなあ、先生方。

その後、その遊び(「遊び」じゃないんだけど)はぴたりとやんだので、先生方の対応は適切だったし、忙しい中での精いっぱいだったのだろうと思う。

「男の子同士のじゃれ合い、遊び」で片付けられがちな「ズボンおろし」に、なにをそんなに大騒ぎを?と思うひとは多いかもしれない。そんな中で、それを軽んじなかった学校の対応は素晴らしい、かもしれない。

と思うのだけど…

「でも」と思ってしまう私がいる。

性教育の最初の一歩を逃した…

「自分の身体もひとの身体も大切にする」という性教育の大事な大事な最初の一歩を、この学校の子たちは逃したのだ、と思ってしまう。性教育までもいかない、ひととしての当たり前のことを思い出す大きなチャンスだったのに。

そして、防犯教育に欠かせない「プライベートゾーン」のことを、改めてすべての子に確認してほしかったのだけれど、その機会もなかった。「不審者に遭ったら逃げましょう」よりも先に「不審者かどうか」と見極める大事な視点でもあるにも関わらず。

日本の防犯教育の問題点

日本で子どもたちに行われる防犯教育は、子どもたちの力や機転に頼りすぎている。それは翻って、もしも被害に遭ってしまった時、子どもたちを責めることになってしまう。どうして大声出さなかったの?どうして逃げなかったの?なんてナンセンス。

それでも、百歩譲ってこれも「被害に遭わないための教育」だと認めるとしよう。でもじゃあ、「将来加害者にならないための教育」は?このクラスで、この学校でこの嫌な遊びが無くなればいい、では足りない。

「ズボンおろし」は「性暴力」なのだと認識しないままおとなになった子が、他人の身体を大切にできるのだろうか。

すべての犯罪は、「被害者にならないための教育」と並行して「加害者にならないための教育」が必要だ。「他人の物を勝手に持っていってはいけません」は、盗難加害にならないためのもの。「命は大切に」は殺人犯にならないため。

では、「性暴力加害者にならないための教育」と言えるものは日本にあるのだろうか。残念ながら、圧倒的に足りていない。「遊び」では許されないことがあるのだということを、保護者も含めて考えて、子どもたちに教えなければならない時だったのに。

子どもの心を守るために:「イヤだ」と言えるのはすごいこと

「今日もやられたー」と言って帰ってきた息子たちに、「その時は言えなくても、今言えるだけでもいいことなんだよ。いっぱい言いなさい」と何回言ったっけ。「あの子、ズボン下ろさなきゃいいやつなんだけどな」と揺れ動く気持ちをそのまま出せることは回復への一歩。

「ズボンおろし」は「性暴力」だ。

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