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国策として指導要領を離れ、自主性を尊重するフィンランドの教育

近年、フィンランドがOECD(経済協力開発機構)が行う世界各国の教育レベルを測る PISA(Programme for International Student Assessment・学習到達度調査)の試験でトップとなり、世界に衝撃を与えました。その当時は、フィンランドのノキアが、携帯電話開発で世界をリードしていたこととも合わさって、フィンランドの先進的イメージが広がり、その独特な教育方針に注目が集まりました。教育のみならず、文化的にも大変興味深いところで、例えば、現代クラシック音楽といえば、日本を含めた多くの国では限られた特定層にその愛好者が限られますが、フィンランドは現代音楽が広く庶民に愛されている国でもあります。

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[フィンランド文化担当参事官マルクス・コッコ氏を大学に呼んでフィンランドの教育に関して私の授業で講義してもらった際の様子]


フィンランド政府の招きを受けて、なぜそのような文化が形成されるのかについてリサーチをしたことがありました。フィンランドでは、学校が終わった放課後のアフタースクールも、ヘルシンキでもラップランド地帯でも、国のどこでも同じ機会を得ることができます。大都市が特別な環境を持っているのではなく、どの地方でも同じ機会を得ることができる、平等の精神が行き届いています。また、温かい食事が大学を卒業するまで、無料で支給されます。実は無料学校給食を世界で初めて実現したのもフィンランドです。北欧の寒い国ですから、温かい食事を通して子どもたちが安心感を持ち続けられることも大事な環境の一つです。近年日本でも子ども食堂ができたように、心身の成長期に食事を心配なく取れることは心の安定にとって大事なベースです。また義務教育の在り方も日本とは大きく異なります。フィンランドでは学習する義務はあっても、学校にいく義務はないのです。近年、アメリカを中心にホーム・スクールやアンスクーリングが再注目されています。コロナ禍のステイホーム期間には、準備のできないままに多くの家庭にとってそれが突然日常になってしまったと思いますが、こうした点を踏まえてみても、フィンランドの義務教育のあり方はとても先進的で、かつ大事な部分を抑えた理念だと思います。

PISAをトップに導くような教育改革を行なった元教育大臣、オッリペッカ・ヘイノネンを招いて、東京でフォーラムを開催したことがあります。ヘイノネンは29歳という異例の若さで教育大臣に就任しました。教育大臣として何を一番改革したのか、と彼に尋ねると、それは、「現場の先生の裁量で教育が進められるようにした」という答えが返ってきました。それまでは、フィンランドでも、国の教育省の教育指針が、大方を決定していたそうですが、現場の子どもたちを一番よく知っているのは、現場の先生だから、先生が柔軟で様々な取り組みができるようにしたそうです。

これは、学びの中で、一人一人の個性が大切にされるということです。そのため、フィンランドでは、先生には簡単にはなれず、大学院を修了する必要があります。さらに現在では、理科や社会、国語というような科目の枠を取り去ったことでも注目されています。これまでの子どもたちが学習してきたようなベーシックな学びはもちろん担保されているのですが、科目という枠を外すことは、先生もクリエイティブに授業の展開を考える必要があります。この固定された枠を外すことは、私が仕事でアーティストを育てる際にも大きなポイントでした。美術、音楽、パフォーマンス、デザイン等のジャンルの枠を外して、協働で制作することが、若い才能を大きく育てました。音楽家のジョン・ケージとともにニューヨークで活動していた日本を代表する音楽家の一柳慧さんとともに開催していたトーキョーエクスペリメンタルフェスティバルもその方針で、それはジョン・ケージが芸術の新しい地平を開いた時に、ジャンルの枠を外したことが大きかったということにも基づいています。既成のフレームを外すことで、予想もできない新しいエリアが生まれます。そこをどのように扱っていくか、というところに真にクリエイティビティが問われるのです。

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[トーキョー連歌:一柳慧、アンサンブル・モデルンによる共同制作。11カ国71名のクロスジャンルのアーティストによる実験的パフォーマンス。トーキョーエクスペリメンタルフェスティバルでの公演]


日本の学校教育では、ひとつの大きなゴールとして大学受験などの「受験」が目標として定められていて、その科目分けに沿って、学校教育もほとんどの塾の授業カリキュラムも構成されています。しかし、フィンランドの例でもよくわかるようにそうした科目分けでは収まらない、複合的な視点や学びの重要性はこれからの社会の中で一層増していきます。リベラルアーツ教育やSTEAM教育に注目が集まっているのも、まさにこの点にあります。学校教育の現場でも、先生がこうした見直しをすすめていくことも求められているはずです。しかし、学校でそうした複合的な学びの場を得ることが限られるならば、親がクリエイティブにな視点をもって、子どもの学びがより自主的に、柔軟になっていける道を探してあげることが重要になってくるでしょう。急速に変化する予測不可能な時代は、一つの正解は用意されてはいません。そこで生き抜いていくには、自らのモチベーションで学び続け、自分で自分を導いていけることが大切です。自分で考え、自分で感じたものを信じ、自分を信じて行くことで、新しい道が拓けていくのでしょう。


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