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母の覚悟

「こちらのおばあさん、お願いします。」
そう言う店員さんの声を聞いて振り返ると、その「おばあさん」とは家の母のことだった。
そうか。「おばあさん」なんだ。と改めて気付く。そもそも、私だって「おばさん」なんだし仕方がないけれど。私に子供がいないから、即ち、母は家の中で「おばあさん」の役割を成していないわけで、「母」のままだった。「母」は年老いては来ているが、「母」であって「おばあさん」ではなかった。なんだか、言葉遊びをしているようでややこしいが、他人から見ると、立派に「おばあさん」なんだ…と気づかされて、少し、少しだけショックだった。客観的に見直してみれば、一年一年、老いは進む一方で数年前の写真と今を比べてもそれが見て取れる。なんだか寂しい。
近頃の70代の女性はまだまだ若くて元気なものだ。義母も母と同世代だが、ピンピンしている。だが母は確かにピンピンしていない分、年老いて見えた。やはりパーキンソン病特有の立ち姿が色濃く出てきている。信じたくはないが進行していることは否めない。パーキンソン病の仕業もすこしはある。それが、「おばあさん」の枠により進ませているのだ。
病気は人の気力を奪う。それは老いを進めてしまう。健康第一。それがいい。それが良かった…。

久しぶりに母と美術館へ出かけた。朝一番の予約をした。珍しく、おめかししてやってきた母はとても小さかった。でも、こんな風にちょっと一軍の洋服を身にまとえば、まだまだシャキッとするじゃない。時々はこういうお出かけにも誘わねばと思う。
と、ふと腰のあたりに目をやると、土がついていた。
「これは…?。」
「バレたか…。」
どうやら、駐車場のあたりで滑ってよろけたらしい。近頃はそうことがよくある。ゆっくりな動きだから、激しくコケることはなく、ゆっくり倒れる…ことが多い。一度バランスを崩すと正常の位置に戻すことが難しく、そのまま倒れてしまうのだ。
「私、受け身とってるから。」
にこやかにそういうが、どれほどの受け身なんだ…と、こちらとしては気が気ではない。

「終活しなくちゃ。あんた達に迷惑はかけられない。」
早い人なら50代から終活を始めていると聞く。母のそれは遅いとも言えるが、逆に終焉が近すぎてものすごくリアルに聞こえる。
「まだいいじゃない。」
とも何とも言いにくい。後、5年か10年か。パーキンソン病の人は意外に長生きだと聞いたことがあるが、そう遠くない未来に必ず訪れる。刻一刻と近づいている。母の終活の覚悟に、私も覚悟を決めておかなくては失礼な気がした。


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