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辛い記憶はもう飽きた

気づいたら、noteを始めてから二年が経ってた。
小中高の同級生と久しぶりに電話で再会したことが切欠だった。
連絡が途絶えていた何年かの間に、彼女は脳梗塞でしゃべること以外不自由な体になっていた。
無性に自分が沸々思う、他愛の無い言葉を吐露する場所が欲しくなった。
でも、このマガジンに関してはもう終了しようかと思う…。

父が倒れてからは色々あった。いとも簡単に人は壊れてしまう。そのことを30代でやっと知ることになった。病に倒れる当人は元より、その家族にもまた試練がある。それまでは人や物事や人生に表と裏があるなら、表側しか知らないめでたい人間だった。
壊れた人間を見るや否や、人は簡単に態度を変える。
助けてくれるはずの病院で起きた事故、医師との攻防、ストレスを抱えた看護師の仕打ち、心ない理学療法士の言葉、冷淡な銀行、ここぞとばかりに利用しようとする人、タイミングの悪さ…。兎に角もう、ひとつ崩れたら全部壊れた。人が離れていく姿、会社を潰し家を離れる時の、流れるものも流れない虚しさと悔しさと…。
あるものがなくなることの辛さ。そして、持っていてもおかしくないものがどうしても持てない悲しさ。

そんなぶつけどころのない思いを吐き出したかったのだと思う。特に、このマガジンはありゃ酷かった…と吐き出してスッキリするつもりだった。あんなこともこんなこともあんな人だってこんな人だって、私の反面教師となって活きているに違いないと。
1週間に一度のペースで、他のマガジンと交互に書いた。
今、酷かった記憶を呼び起こして書くことが辛くなってきた。書こうとしていたことはいくつかまだある。でも、もう書きたくはなくなった。しょうもないことでも小さすぎることでも、光を感じることを書きたくなった。昔のことでも、どこか温度を感じること。表側のことである。
でも、私はいくつかの裏側を知った。だから、きっと只々めでたい人間ではなくなっているはず。
ひねくれた部分があるので、時々はやっぱり毒を吐くかもしれない。でも、毒を吐き続けるのは結構エネルギーを消費する。しんどいのだ。

きっとそう思わせてくれたのは、noteの中の素敵な言葉を吐露してくれる方々のお陰様だと思う。noteに目を通していると、心の温度が上がる。この場をお借りして、お礼を申します。
「ありがとうございます。」
いつも私の気持ちを柔らかくしてくれてありがとうございます。

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