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「聲の形」を見た(ネタバレあり)


まえおき

主人公の将也は、小学校の時に転校してきた耳の聞こえない硝子(ショウコ)をいじめて転校させてしまいます。そのいじめの先頭に立っていた将也は、今度は仲間からいじめられることになってしまいます。そのことから、極度の人間不信になってしまった将也は、高校に入ってからもクラスメートともコミュニケーションが取れず、ずっと昼休みも一人で過ごすような生活を送っており、一時は自死を試みるも、一度硝子に会い謝罪をするために会いに行くというお話です。


将也にかこつけて自分の話

将也が硝子に対して一緒になって嫌がらせをしていた仲間から見放され、さらにはその仲間からいじめの対象にされてしまったために、人に対して大きな不信感ができてしまったというのは、いまだに人との距離感が今ひとつわかっていない自分には、共感が持てるところがあります。

自分の場合は、将也のようにいじめを煽動していたわけではないのですが、小さい頃何かのきっかけで、手のひら返しをされたトラウマから、イマイチ積極的に人の輪に入っていけないところがいまだに強くあります。

そのため、友人という定義も自分の中では非常に曖昧になっていて、いまだに友人と呼べる人がいるのか、周りにいる誰を友人と呼んでいいのか困るので、友人はいないことにしています。

そういう心持ちなので、この映画で将也がいじめの対象になるシーン以降、ずっと落ち着かない気持ちで最後まで見ていました。

少なくとも将也は、少しずつかもしれませんが、いい方向に向かっていきそうなので、最後には多少なりとも救われた気持ちにはなりました。


硝子は、ずっと将也にすまないと思っていた

硝子が、後半に自死しようとするところは、あまりに唐突すぎて「え?!どうして?どこでそうなった?」と思っていたのですが、後からよくよく考えてみると、将也の机の落書きを毎日消していたところが伏線になっていたようです。

彼女は、将也がいじめの対象になってしまったのが、おそらく自分のせいだと考えていて、すまなく感じていたのだと思います。小学生なりに考え、机の落書きを消したりしていたのですが、なかなかいじめが収まりそうもないので、最終的に原因となった自分が転向することで、いじめがなくなると考えたのではないでしょうか(結果的には収まりませんでしたが)?

そして、将也と再会するのですが、結果的にまた将也が過去に硝子をいじめていたことが公になってしまい、再び彼が責められそうになってしまったことから、硝子は大きな責任を感じてしまったのではないでしょうか。


一部わからないところも

最初に将也が自死しようとして、結果的に取りやめるところから映画は始まるのですが、彼はそもそもなぜ自死しようとしていたのかが、自分の中で今ひとつ整理ができていません。

というのも、彼が手話を習っていたのは、おそらく硝子と会話、または少なくとも謝罪をしたかったからだと考えられます。とすれば、彼女に会いに行こうと考えていたはずなので、冒頭で自死を試みる理由が今ひとつ整理できませんでした。映画本編で何か言及されていたのか、見落としてしまったのか。

もしかしたら、原作でこの辺りの背景が描かれているのかもしれません。

それではまた次回

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