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デューイ『民主主義と教育』

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教えることの本質は学んでほしい内容と生徒の経験を結び付けることにあるーデューイ『民主主義と教育』読書メモ(第14章)

教えることの本質は学んでほしい内容と生徒の経験を結び付けることにあるーデューイ『民主主義と教育』読書メモ(第14章)

体的・対話的で深い学びを実現するためには、先生の役割は教える人(Teacher)から別のものに変わる必要があると主張されることがある。変わるべき役割の代表格は、導く人(Coach)、繋ぐ人(Coordinator)、滑らかにする人(Facilitator)といったものである。どれであっても先生は「教える」ことから解放されるべきである、という含意がある。

果たして、先生は「教える」ことをやめるべき

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興味とは当事者意識のことである-デューイ『民主主義と教育』読書メモ(第10章)

興味とは当事者意識のことである-デューイ『民主主義と教育』読書メモ(第10章)

意欲、興味、関心、ワクワク、そして当事者意識。子どもが学びに向かう姿勢を形容した様々な言葉である。「子どもが興味・関心を持てるような授業をしよう」というのは、現代のゴールドスタンダードになりつつある。それでは一体、興味とは何なのだろうか。

興味とは何かを改めて考えると、極めてあいまいにしか理解できていないことに驚かないだろうか。確かに、この驚きをおぼえるのは思考力や観察力の乏しい私だけなのかもし

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探究の結果として習得がある(デューイ『民主主義と教育』読書メモ, 第11章)

探究の結果として習得がある(デューイ『民主主義と教育』読書メモ, 第11章)

知識詰め込み型の学習か、探究型の学習か。紋切型の二項対立であり、問い自体がおかしいと切って捨てたくなるが、よく考えると検討する価値のある問いでもある。しかし、二項対立の問いをそのまま引き受けるのはあまりに不毛すぎる。

では問うべきは何か。それは「知識習得」と「探究」の関係ではないか。両者がどういう繋がりを持っているか説明できる言葉を持っておくことは、混迷を極める現代で(いい意味で)真面目に教育を

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努力しない興味は「興味」と呼べるのか?|デューイ『民主主義と教育』(10章: 興味と克己 Interest and Discipline)

努力しない興味は「興味」と呼べるのか?|デューイ『民主主義と教育』(10章: 興味と克己 Interest and Discipline)

近年、教育現場では「興味・関心」という言葉が、一つのバズワードになっている。例えば、文部科学省・中央教育審議会の「令和の日本型学校教育」という答申には、「興味」という言葉が97回も出てくる。また、経済産業省の「未来の教室」が示すビジョンにおいても、「ワクワク」との出会いを重視しており、提言の中では「興味関心」という語が頻繁に使われている。

しかし、こうした答申や提言を読んでも、興味・関心とは一体

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デューイ『民主主義と教育』(13章: 方法の本質 The Nature of Method)

今年の3月から月1回くらいのペースで、ジョン・デューイの『民主主義と教育』をじっくり読んで議論するゼミを私的に行っている。デューイは、ケインズや山田方谷と並んで、師と仰ぐ人物の一人だが、人生今後の人生で何を仕掛けていくかを考えるにあたって、今一度正面から対峙しなければならないと感じていた。

8年前に初めて読んだときは、暗中模索しながら考えていたことをクリアに表現してくれていて、半ば憧れの人という

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