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(91) 過食 ー 置き換えの病

教師だった頃、スポーツドクターほどの見識を身につけた後輩の先生と仲が良かった。彼自身も中距離のランナーであり、冬は競技スキーの選手であり、陸上部の顧問でもあった。今では当たり前になったが、三十年も前に運動選手をテーピング技法で守る技術を身につけていた。並の見識ではないはずだ。私は彼のそのテーピング技法を見るたびに、学校内カウンセラーとして、問題を抱えて苦しんでいる生徒たちに、”心”へのテーピングとは?ということを考えさせられていた。

その校内カウンセラーだった頃、症例として一番多かったのが「不登校」だった。次が、女子高校だったこともあり「摂食障がい」であった。共にその二つの症例は並大抵のことではなく、長期に渡りサポートが必要であり、「病」だとするなら重篤な部類に入る難治の「病」である。(不登校は「病」ではない)その「摂食障がい」は、単独で過食・拒食というケース、過食・拒食を交互に繰り返すケースもある。過食には”食べ吐き”を伴う場合もあり、症状は多様で決して一様ではない。本人にとっては地獄なのだ。

何がきっかけになるか、様々である。職場・学校の環境そのもの、人間関係からくるストレス、不安などがそのきっかけになると考えられる。これも一様ではない。太り過ぎ・そうでもないに関わらず、ダイエットというのがきっかけにもなったりする。きっかけになった事柄の調整は、回復するために必要不可欠な課題である。「認知行動療法」等の治療法で、サポートの方法は理論化され確立はしている。しかし、根本治療とならないことが多い。一旦良くなっても間を置き、また何度も繰り返すからなのだ。きっかけになった事柄は、調整は難しいとは言え、何とかなるものである。”隠れたところにある根本要因”に触れていかない限り、完治・寛解は望めないところに、この「病」の難しさがある。それは、クライアントに自覚がないこと、触れ難い”中身”であり”質”でもあることなどから、セラピストとしても頭を抱えることになる。クライアント本人にとっては尚更なのだ。

”不毛”という言葉に何か心当たりはありませんか?」
と、私は過食症のクライアントに必ず尋ねることにしている。それは”根本要因”にたどり着く第一歩は、この”不毛”という言葉がキーワードだからだ。

《目指しているもの・目的にしているもの・欲しいと切望しているものに決してたどり着かない”不毛”な行為に・・・あるだけ・持ちうるすべてのエネルギーを費やして食べ続けるという”不毛”さ・・・》このことに気づいて欲しいという私の願いが込められている。そして、《その”食べ続ける”という行為への”情熱”を考えると、その”ヒステリック”さに身動きのとれなくなるあなた自身の姿≫に気づいて欲しい。しかし、圧倒された本人にそれ程の余裕はあるはずもない。

「食べ物」、これは”置き換え”られたものである。あなたが本当に欲しいと切望しているもの・目的にしているもの・・・それは求めても与えられなかった”愛されたい””共感して欲しい”であったはずだ。しかし、”叶わない願い”として記憶された。悲しく辛いから”無意識”の深いところに抑圧して蓋をし、圧力をかけて”意識”にのぼらないようにして来た。悲痛な思いの日々であったろう。危ういバランスで、なかった事にして来たものが、きっかけとなる様々なストレス・不快・悲しさが、ある時その蓋を開けてしまうことになる。叶わなかった”愛されたい””共感して欲しい”と求め続けた願いは、目を覚まし暴れ始める。しかし、季節は過ぎ、求めるものに相応しい年ではなくなっている。ダイレクトにそれを求められなくなった。

目を覚まし暴れ始めた叶わなかった願いは、【もう求めることの出来ない「愛」】を【「代用品」に置き換えて】それを並外れた情熱で求め続けることになる。「食べ物」は決して「愛」に換わるものではないことを重々知りながら、悲痛な叫びをあげながらも、それが”不毛”であっても求め続けるしかないのである。そう”置き換え”て、思い込んでしまったからなのだ。

これが”過食-置き換えの病”である。
”不毛”という終わりのない、完成しない行為であるのだ。この「病」の伴走は、”置き換え”に配慮がなかったことにクライアントが気づくことに配慮が必要である。しかし、心身が疲弊しきったクライアントにはそれどころではない。誰にしたところで、十分に「愛」を貰い与えられて生きて来たわけではない。それを望み与えられていたとしても、本人が「足りない」と感じれば、それが「事実」となってしまう危ういものなのだ。誰しも、「愛」の欠乏状態だと言える。

それを「”何”で埋めるか?」「”何”に置き換えるか?」、それこそが大切なのだ。わかる為には相当の余裕が必要である。私自身がそうである。求めたのに十分に与えられていないと感じて生きて来た。欲しくて欲しくて仕方なかった「愛」を「お世話」を、季節が過ぎ、もう求められる年ではないと感じた時、無意識でそれを他者に差し出して「貢献」し続けようと強く意識した。私の母のように。母は幼くして自分の母親を亡くしていた。その”悲”を、人に「貢献」することで埋めていたのである。

私は教師になり、生徒たちのお世話をしようと考えた。もう一つ、カウンセラーとして子どもたちの手助けをし、「貢献」しようと考えた。以来半世紀、私は私のために教師として、カウンセラーとして人様の前に立ち続けた。「愛」「お世話」は貰えなかった。しかし、私は”不毛”ではない目標にしっかりと目を注ぎ、ある限りの情熱を「貢献」に向け、”置き換え”た。自己満足に過ぎないかも知れない。しかし、そのおかげで私は病むことはなかった。今も、この「普通に暮らせることが奇跡なんだ」と感じながら、ありがたいと思い生きている。今日も明日も・・・。


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