性的マイノリティとは

週刊金曜日に連載記事を書いた「さまざまなわたし〜性的指向と性自認のリアル」を昨年4月に終えて1年になる。連載を始めた一昨年からの2年間でも性的マイノリティを扱うメディアが増え、ドラマでも普通の存在として描かれるようになっている。もちろん制度的な対応はまだまだだし、制度だけではない社会の受容度もようやく端緒についたばかりかも知れない。だからこそ受け入れやすいドラマや映画で、もっともっと普通のこととして描いていく必要があるだろう。本連載も、微力ながらその一端を担うつもりで書いた。

「さまざまなわたし〜性的指向と性自認のリアル」最終回

ところで、今メディアや会話の中で「LGBTQ+」と言われることが多い。以前は「LGBT」だけだったが、ようやく「レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー」だけではないことが理解され始めたのだろう。
しかし私はあえて「性的マイノリティ」と表現してきた。なぜか。
私は男性の体を持って生まれ、性自認も持っている体と同じ男性。性的対象は女性だ。こういうカテゴリーに当てはまる人は(逆のパターンである、女性の体、女性の性自認、性的対象が男性という人も含め)、少なくとも日本ではマジョリティだろう。性的マイノリティとは「それ以外の人たち」なのだ。マイノリティをさらに「レズビアン」や「ゲイ」や「トランスジェンダー」のカテゴリーに当てはめることはない。第一、性はグラデーションと言われるほど多様なので、本来カテゴライズできない。だからマジョリティとマイノリティで良いのではなかろうか。

ところで私がこの問題に興味を持ったのは、何人かのマイノリティの知人が身近にいたこともあるが、連載のきっかけとなったのは「トランス男性による トランスジェンダー男性学」という本を読んだこと。生まれて以来ずっと男性(女性)だった人は違う性の体やジェンダーがわからない。想像しようと思っても100%は無理。しかしトランスジェンダーで違う性になった人は両方わかるんだ!というのが衝撃だった。元々、自分とは違う女性としての視点や思考を疑似体験すべく女流作家ものの小説をかなり読んでいたこともあって、それを実際に体験している人がいるということに興味を持ったのだ。

それは性の問題に限らない。自分は日本人として生まれ育ったが、多国籍を持ちつつ日本で暮らしている人はどうなんだろう、アジア人以外の人種の特徴を持つ人はどうなんだろう、心身に何かしらの障がいを抱えている人はどうなんだろう・・・。日本に住む人だけじゃない。この国に住む人はどんな生活をし、どんなことを考えているのか、こっちの地域に住む人は何を感じ、どう生きようとしているのか。
自分とは違う人たちのことを知り、近づき、考え、共感すること。性的マイノリティへの差別や抑圧などもそれによって軽減されるのではないか。一番大事なことは知ることではないのか。そんな思いで連載を行ったのだった。

繰り返す。
マジョリティじゃない人たちがマイノリティ。左利きや、東北生まれや、アメリカンフットボール好きや、カトリック信者などと同じく、性的な部分でマイノリティ。だからといってマジョリティとは何も変わらない。

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