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"書く" という行為の効能

お久しぶりです。
1月も終わるというのに今日も福岡市内は雪が降ってます。
先週は宮城県仙台市に足を運んだにも関わらず、期待していた雪景色とは出会うことができませんでした。
雪も人を選ぶんですかね(笑)

そんな雪の降る景色を眺めながらも、持て余した暇を有効活用すべく、スタバに入って記事でも書こうかと思ったのですが、せっかくなので文章を書くという行為について少しばかり書いてみようかと思います。なにせ、人間という生き物はふとした暇に余計なことばかり考えてしまう生き物ですから。

書くという行為を勧める理由として、ざっくり言うと「人生の充実度が上がる」と言うのが答えなのですが、「もっと詳しく書け!」という声も聞こえてきそうですし、早速本題に入っていきましょう。

文章を書くことで「自分が知らない自分」に出会う

電車に乗っている時、散歩をしている時、シャワーを浴びている時。
何気ない瞬間にボヤッとした言葉が脳内を駆け回る…そんな体験をしたことがあるはずです。

文章を書くと言うことは、脳内に渦巻く声にならない言葉を紙面、もしくはネット上にぶちまけると言う行為です。

僕ら人間という生き物は、とある学説(諸説あり)によれば1日4万回も自分とのおしゃべりをしているわけですから、声にならない言葉を拾い上げていくという行為そのものが、自分が普段どういうことを考えているのかを確認、認知する作業になりうる…ということなのです。

また、人間の "なんとなく認知""しっかりと認知" の間には、想像以上の差が開いています。この差を埋めていくことで、例えば「自分は何がしたいのだろう」という質問に対しての明確な回答に辿り着くこともあるのです。

脳内のおしゃべりを静かにする

先ほど挙げた「脳内でのおしゃべり」についてですが、実はその多くの内容はネガティブな言葉で構成されています。
というのも我々人類が生物として大自然の中を生きる生活をしていた時代、リスク管理という観点で「ネガティブ思考」というのは非常に重要でした。
「あの木陰に天敵がいるかもしれない」
「この植物には毒があるかもしれない」
おそらく、そんな感じでネガティブ思考が身を守っていたのです。

ただ、現代社会においてはネガティブ思考というのは自分の生活や仕事の各場面で足を引っ張る要素の一つであり、多くの人が「改善したい!」と考えているのも事実。

そんなネガティブ解消を願う人にとっては特に書くという行為は大きなメリットを生み出します。

書くという行為についてまずは考えてみましょう。
人間の思考を表現する方法の中でも「書くこと」「喋ること」の二つの手段がありますが、それぞれのスピードを比較したときに「書く」のスピードは喋るスピードと比べると圧倒的に遅いのです。
そのため、思考のスピードも書くスピードに合わせるように変化するため、無駄なことを考えれるほどの余裕が生まれなくなります。

上記の理由から、
「落ち着いた時間を過ごしたい」
「ぐっすり眠りたい」
「目の前のことに集中したい」
というような方には特に"文章を書く"という行為を強く勧めたい… というのが僕の考えです。

まとめ |  野外露出を強要したいわけじゃない

ここまで、文章を書くという行為そのもののメリットを書き連ねましたが、僕らが生活の中で目にするような文章を書いている人がみんな、この記事のような理由で執筆活動をしているわけではありません。

なので、別に「書いた文章を公開しましょう!」というような強要をしたいわけでもないので、ご安心ください(笑)
というか、むしろネット上や書籍として公開されていない「独り言」のような文章を書くことを強くお勧めしたいです。

自分を見つめ直すという行為は、やったつもりで出来ていない人が大半だと思います。

自分自身の状態を"しっかりと認知"するためにも、まずは紙面でも画面上でもいいので、自分の好きなことを好きなだけ書いてみるのはいかがでしょうか?

P.S. この文章は暇つぶしです。


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