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『「介護時間」の光景』(182)「窓」。11.21。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで書き続けることができています。

(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2003年11月21日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います)。

 
 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、私自身が、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、しかも断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないかとも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年11月21日」のことです。終盤に、今日、「2023年11月21日」のことを書いています。


(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)

2003年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に在宅で、義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、3年がたつ頃には、この病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼が蓄積し、その上で、減額措置なども教えてもらい、かなり病院を信じるようになっていました。

 それでも、同じことの繰り返しの毎日のためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。

 2003年の頃には、母親の症状も安定し、病院への信頼も増し、少し余裕が出てきた頃でした。これまで全く考えられなかった自分の未来のことも、ほんの少しだけ頭をよぎることがありました。

 それでも毎日のように、メモをとっていました。

2003年11月21日。

『出かけるとき、義母に「お母さんは、足が丈夫でいいわね」と言われる。
 それに対して「病院ですけどね」と、書いた。
 義母は、もう耳は聞こえない。

 義母をみるから、二人を在宅で介護できなくて、母は入院しているしかないのだけど、何がそんなにいいのだろうか?すごく、説明したくなって、だけど、義母が悪いわけがないから、なんだか体の力が抜けて、悲しくなった。

 午後4時25分頃に病院に着く。
 母は横になっている。

 いつも、この病院で会う入院している人の家族の方に、菊をもらった。

 夕食は35分で終わる。

 同じ時間帯に、ロビーというか、やや広い場所で、みんなで食事をとるのだけど、その患者さんの中で、難しい言葉を言う人が、(おそらくは仕事をしていた時の専門用語だと思う)「アンパンマンは、卵から生まれた」「アンパンマンは、焼き鳥になった」と急に言い始めて、それで笑いが起きている。

 急に歌をうたう人がいて、相変わらず、よく声がのびている。

 美濃路の雑誌を持っていったら、このあたりに住んでいたことがあったので、「岐阜のときが一番なつかしい」といっていた。父の転勤で、4年間ほど住んだところだった。私は、小学生だった。

 今日の病棟内は、やけにトイレの匂いがしていて、それで、変に温度まで生ぬるく感じた。それは珍しいことだったのだけど、母も「変なにおい」と言っていたので、そんなにいつもではないことと、慣れることはないんだ、とも思った。

 午後7時に病院を出る。

 そこから近くの系列の病院に行き、そこの送迎バスに乗るのだけど、その病院に着いたら、ちょうど病人が担ぎ込まれているところだった』。

 駅ビルがホームから見える。ここから見るのが、もしかしたら一番人目につく角度かもしれないけれど、最上階の大きい窓もよく見えて、レストランなど、お客が座っているところとかは、何の部屋かかなり分かるのだけれど、時々、明らかに裏を見せてしまっている窓もある。

 カーテンがかかっていて、そのカーテンとガラス窓との間のスペースは、ほぼ暗いけれど、中の照明が薄く漏れて、少し明るくなっている。そこに、本のように薄い段ボール箱が、いくつも横向きにびっしりと積んである。読書好きの人の部屋みたいに。それも、完全にまっすぐではなく、微妙にずれて、いくつも積み上げてあって、薄く光りが当たって、何かの作品のように見えた。

                        (2003年11月21日)


 この生活は、まるで終わらないように続いたのだけど、その翌年、2004年に、母親の肝臓にガンが見つかった。
 手術をして、いったん落ち着いたものの、2005年には再発し、2007年には、母は病院で亡くなった。
 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得した。 
 昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2023年11月21日。

 明らかに気温が下がってきて、秋の感じはあまりないままに、冬の気配が濃くなってきた気がする。

   今週は、それでも天気はよく、毎日、洗濯ができて、ありがたい。

介護殺人

 改めて振り返ると、介護殺人事件は、介護保険が始まってから20年の間にも、明らかな減少傾向がなく、残念ながら今も2週間に1件のペースで起こってしまっている。

介護による困難が背景にある殺人や心中は、メディアから確認できるものだけでも年間40件ほど生じている。全体としては、高齢の夫婦の心中絡みのケースが多く、加害者の7割が男性、被害者の7割が女性である。事件の背景に認知症による介護負担がみられる事例も少なくない。

 ある高齢の夫婦は2人暮らし、貧しいながらも夫婦2人で支え合って生きてきた。しかし夫が要介護状態になり、妻が介護を担うことになった。介護の期間は10年以上に及び、ここ数年は体調不良が続いていた。ケアマネジャーはそんな妻の身体を心配し、病院に受診したらどうかと勧めた。併せて夫の施設入所も提案したが、夫が強い不安感を示したため、入所の話は途中で立ち消えになった。
そんな中、妻は自分ががんに罹患していることを知る。
   今はコロナ感染防止のため、入院患者と家族との面会は制限されており、もし自分が入院したら夫の介護をする者がいなくなってしまう。もしかしたら、二度と夫に会えなくなくなるかもしれない。経済的にも今、自分が入院している余裕はない。そう考えた妻は、自宅で夫の介護を続ける決心をした。しかし妻の体力や気力は落ち続け、周囲に「死にたい」と漏らすようになった。

 ある日、妻は夕食後、夫の後ろ姿を見、このまま二人で死んでしまおうと思うに至る。夫を道連れにした理由は「夫を残して親族に迷惑はかけたくなかった」からであった。
 妻は夫を絞殺後、すぐに手首を切り心中を図った。
夫婦をよく知る者は、彼らの関係について、「一心同体だった」と語った。

(「日本認知症国際フォーラムプラットフォーム」より)

この事件は現在の日本において、介護家族支援を考える際に留意すべき内容を端的に含んでいる。第一に「介護者も支援が必要な存在」であったことである。第二に事件のきっかけとなった「将来に悲観」、第三に妻の「親族に迷惑をかけたくない」という心境、第四に「一心同体だった」という関係性、最後にコロナの影響である。

(「日本認知症国際フォーラムプラットフォーム」より)

 それぞれに細やかな分析がされていて、そのあとに、こうした結論が述べられている。

日本には要介護者を支援するための介護保険法はあるが、介護者を包括的に支援する法的基盤は整っていない。現在、いくつかの自治体で介護者支援のための条例制定の動きがみられる。私たちはこのような法的基盤確立の動きを全国的に促進していかねばならない。

(「日本認知症国際フォーラムプラットフォーム」より)

 こうした指摘は、この20年、ずっと目にしてきたような気がする。

 私も、介護者の心理的支援としての「介護者相談」を、幸いにも続けることができて、10年が経つ。

 その間、これだけ介護殺人事件も起こっているわけだから、こうした相談窓口は、少なくとも増えていくと思っていた。だけど、そうしたことがないまま、年月が過ぎた。

 このところ、微力とはいえ、どうにかできないだろうか、とよく考える。

柿の実

 この前、柿の実をかなりとることができた。

 ただ、いろいろと妻が配ったりしてくれたので、家に残っている柿は少なくなった。そして、柿の実はさらに色づいたのは、わかった。だから、もう少しで渋柿といっても、鳥がたくさんきて、食べられてしまうかも、と毎年のことを思い出したので、急にとろうと思った。

 まだ思ったよりもなっている柿の実をとった。

 妻には、また手数をかけてしまうけれど、それでも、干し柿は、もう少し多く食べられるようになると思う。




(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)




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