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敗者は記憶を書きかえるー座談会「歴史をつくりなおすー文化的基盤としてのソ連」を読んでみた

前回までのあらすじ
ウクライナ戦争のロシア側の開戦動機を調べています。
特に開戦が2022年2月だったのはなぜかという謎を追っています。

前回は、2022年2月にはロシア内のウクライナ侵攻賛成派からのプーチンへの圧力が強くなってきて、プーチンは自身の身を守るため侵攻せざるを得なくなったのではないか、という仮説を立てるところまでたどりつきました。

また、謎を追っていたら新たな謎がでてきました。
ロシアはかつての日本のように徹底的に敗北させられるのが良いという識者の意見がありますが、日本のように主体を破壊されると、自分たちのことを自分たちで決めることができなくなるという問題が生じるので、ロシアには日本とは異なる道を歩んでもらうほうがよいのではないか。ただどのような道が良いのかはよくわからないという謎です。

これらの問題は、かんたんには答えにたどりつかないような気がするので、少し寄り道して、ロシア思想を勉強してみようと考えました。プーチン思想の根拠を知るために。実はこの目的は後付けで、私はロシア思想を特集している雑誌『ゲンロン』を持っているので、まずはそれを読んでみようと考えたのが正直なところです。

今回は座談会「歴史をつくりなおすー文化基盤としてのソ連」(雑誌『ゲンロン7』2017年に収録)を読んでみました。
参加者は乗松享平、平松潤奈、松下隆志、八木君人(いずれもロシア文学・文化・思想研究者)、上田洋子(ロシア文学者、『ゲンロン』を出版している会社の代表)の5人です。

目的

座談会の目的は、ロシア思想とはなにか、日本にとってロシア思想がどのように参考になるのかを考えることです。

敗者の悲哀

日本には第二次世界大戦の、ロシアには冷戦の敗北という巨大なトラウマがあります。さらに遡ると近代化においても西欧に敗北している。日本の幕末の開国、ロシアのピョートル大帝の改革(西欧文化の模倣)がそれです。

西欧って、今や正義みたいになってるけど、実はむちゃくちゃですよね。彼らは敵認定したら殲滅しちゃう。

日本とロシアには敗戦後の西欧からの扱いに違いがあります。日本は国際情勢の必要(ソ連や中国を牽制するため?)から保護を受けたけれども、ロシアは放置されてしまいました。支援を受けられなかったので経済的・社会的に混乱します。そして西側を恨みはじめます。日本は西欧に取り込まれ、ロシアは対立する。
日本は、敗戦により政治的に去勢されるが経済的には支援され、ロシアは経済的に去勢されるが政治的主体は維持されます。西欧は、この二つの壮大な実験の結果を得ることができてラッキーと考えているのかもしれません。
敗戦はつらい。なんだか実験動物にされたような気がしてきました。

さようならポストモダニズム

1999年ころ、ロシア文学ではポストモダニズムが凋落、リアリズムが復興します。90年代のロシアでは権威的な言説を脱構築していたらしい。不勉強すぎてロシアにポストモダニズム期があったなんて知りませんでした。

ロシアのポストモダニズムの条件も独特です。西欧はモダニズムからポストモダニズムへ移行しますが、ロシアでは、モダニズムのあとに社会主義リアリズムがきてポストモダニズムに移行します。だから脱構築の対象になる大きな物語は社会主義リアリズムになります。

こんにちは新しいリアリズム

ポストモダニズが去ったあとに新しいリアリズムが到来します。この特徴としては、実体験にもとづいた半自伝的な作品が増えるようです。ドキュメンタリーも増える。ポストモダニズムが脱構築するだけの否定神学だとすれば、新しいリアリズムは否定神学批判なのでしょうか。

資本主義フォビア

否定神学批判に向かっているのだとしたら文化的には西欧と同じ道をたどろうとしているようにみえます。では経済的には資本主義に向かうのでしょうか。どうやら向かわない。敗戦後ロシアは西欧から放置されて経済的に混乱します。そのトラウマがあるためにソ連的イデオロギーに回帰していきます。

ソ連時代には、報道は嘘ばかりだとみなわかっていましたが、それを信じるかのように行動していた。ところがペレストロイカで反転、真実を欲望するようになります。ところがソ連崩壊後は、金持ちがメディアを操作するようになるらしい。そしてプーチン推し一色になる。
座談会ではロシアと日本の共通点が指摘されます。日本ではアイロニー=>アイロニカルな没入=>たんなる没入と推移しますが、ロシアでのプーチン支持も同じように展開します。別に本気ではプーチンを支持していないけど、ほかに信じられるものもないので、信じているかのようにふるまっているうちに、たんにプーチン支持となる。

敗者は記憶を書きかえる

先に日本は、敗戦により政治的に去勢されるが経済的には支援され、ロシアは経済的に去勢されるが政治的主体は維持されると書きましたが、座談会では結局日本は敗戦を忘れることができたが、ロシアは敗北の痛みを忘れることがなかったとまとめられます。

日本ではSNSが普及してきたこの10年、『さよならクリストファー・ロビン』(高橋源一郎 2012年)、『ゲームの王国』(小川哲 2017年)、『人は夢を二度見る』(乃木坂46のMV 2023年)など、「思い出せ」とか「忘れるな」とか記憶が重要なテーマになっている作品が増えたように思います。そしてAIの進化によって、私たちはますます記憶力を失いそうです。小川は愛とは思い出すことと言っていたような記憶があります。もしかしたら人間は愛などの概念を手放そうとしているのかもしれません。不穏な感じがビンビンします。

ロシアは敗北の痛みを忘れなかったために、痛みを癒やそうとして、記憶している主体(ソ連という主体)をとりもどそうとしているのではないか。しかしいっぽうで、全体主義体制を押し付けたソ連を恨んでいる東欧・バルト諸国がある。どうやらこの延長上にウクライナ戦争はありそうです。

ところでロシアでは、独ソ戦の勝利によって、世界をナチスから救ったと考えている人が多いようなのですが、当時の住民はソ連の収容所に入れられるなどしてソ連からも苦しめられていたようです。しかしこのソ連から苦しめられた記憶は忘れられてしまったようなのです。

敗戦によってイデオロギーとかパラダイムが破壊されます。そして敗戦前の主体と敗戦後の主体との矛盾に苦しみます。この苦しみに耐えられないから、片方の記憶を消去または書き換える必要が生じるのかもしれません。

石油依存国家では民主主義は衰退する

座談会でたいへん興味深い指摘がなされます。19世紀は石炭の時代。石炭採掘のために大量の労働力が必要になるので、労働者の地位が上がり民主主義が発達する。しかし20世紀は石油の時代。石油はパイプラインがあれば労働力は不要。したがって石油依存国家の民主主義は衰退する。だから20世紀のロシアでは民主主義は衰退すると。
経済的な構造によってイデオロギーが決まる。しかしイデオロギーへの影響を考慮しない状態で経済や科学は進んでいくので、イデオロギーは偶然で決まるともいえます。だとすると、独裁制か民主制かも偶然の条件によって決まるので、独裁者をかんたんに悪とは言えなくなるかもしれません。

ところで原油産出国No.1はアメリカ。それなのにアメリカは民主主義を維持できているように見えます。アメリカの場合は必ずしも石油に依存しているわけではないということでしょうか。 

おわりに

西欧によって敗北させられた日本とロシア。西欧の都合によって、主体は壊されたけれども経済支援はもらった日本と、主体は維持されたけれど、経済支援はもらえなかったロシア。ある意味ロシアは日本の可能態だったといえるのかもしれません。

そしてプーチン。ロシアについて学べば学ぶほど、プーチンが狂ったからから開戦したとは単純には言えなくなってきました。開戦に追い込まれた事情がそれなりにありそうです。   

ー参考ー
過去のウクライナ戦争関連記事です。よかったら覗いていってください。

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