実家の整理整頓。それは、ひとり静かに壮大な感動を味わえた最高の時間✨😭

なんだかムショーに実家の居間にある
大きな茶箪笥を整理整頓したくなった。

なるほど、今日は月🌔がおとめ座♍にある。
無意識の領域を表す“月”がおとめ座にあるときは、おとめ座の分野がおおいに活躍したがる。
今回は整理整頓や仕分けと出た!

本来は飾り戸棚として活躍するはずが、我が家では長年「納戸」のような使われ方をされてきた。
特に父の管轄区域は書類やら文房具やら薬やら、もう〜〜なんでもかんでも突っ込まれていて。
それも、来客が座って真正面のとこよ😓
片付けや整理整頓が趣味のようなわたしは、乱雑な場所がとにかく嫌だった。

父の陣地は暗黙のルールで誰もが触れなかったため無法地帯と化していたが、ついに主が不在に。亡き後は寂しさだったり色々な感情がおさまらず、今度はそういった別な理由でなかなか手を付けられずにいた。

それがこの度!ついにスイッチがONに。
3段ある細い引出しの、上の段は昔から「“大人のモノ”が入ってるから触っちゃいけない」と言われていた。自分がすっかり大人になってからもなぜだか約束を忠実に守り、開けることがなかった。

そんなパンドラのような引出しの中身を、一つ一つ、解き明かしていく。ある種の“冒険”のような“探検”のような、ワクワクを感じながら。

まず出てきたのは家電などの取説。そしてわたしたち兄弟の学生時代のお便り(それも、わら半紙だったよ懐かしい🤭笑)や通知表、写真、ネガ。
まぁそのへんまでは、なんとな〜く想像はついていた。想定の範囲内。

どんどん底に近づくにつれて、現れたのは
「え、、昭和54年?!」
「あ!!50年のまである!!!」
そこには祖父の胸ポケットサイズの手帳やら、数字のみが印字されており、買った品物の明細がひとつも分からない近所の商店のレシート、日用品など購入した際の農協の購買伝票、話だけは聞かされていた加工トマト業時代の栽培暦や出荷伝票、祖母の検診結果表etc…

まさに、我が家だけのヒストリーを垣間みれる“宝”の山であった。あっぱれ🙌笑

それらの一つ一つを手に取り、眺めながら、込み上げたのは胸いっっっぱいの両親と祖父母への感謝の念。

我が家は代々農業を営み、分かっているだけでも十数代続く家系らしい。祖父母は戦争も経た人たちで、祖父は戦地より帰還時に配られた貴重な貴重な食料品を「家が農家だから食べる物はある」と…途中出会った人々へ、すべて分けて帰ってくるような、そんな寛大で温かい人だった。

だが実際には。家に辿り着いてみれば、なにもかも徴収され尽くし、ほとんど残っていなかったそう。
家や生活を立て直すために、またそれらを担ってくれるであろう、戦力としても生まれた子供たちも育てるために。
祖父母たち世代の苦労たるや…………。
想像だけでも言葉が出ない。

それは両親世代も然り。
食べる物も着る物もない、本当に貧しい思いをしながらの幼少期を経て育ってきている。

そんな話をわたし達兄弟も物心ついた頃からたくさん聴かされて育った。祖父母の兄弟姉妹も多かったので、昔話を聴かせてくれる大人がたくさん居た環境は、今思えば、この上なくありがたいことだった。

と、わたしには、そんなような背景もあり、、、
たとえクシャクシャになったゴミ同然、かすれた購買伝票1つとっても、まるでこれまでの両親祖父母の努力と苦労の証のような。“愛おしい”特別な感情があふれて仕方ないのである。

とはいえ、全部保存しとくわけにもいかず。しっかりと目に焼き付けたあとは残したいものを厳選して感謝を申し上げ🙏💖無事にサヨナラ👋

今回着手した引出しは、まだまだまだ序盤戦で。
我が家にいろーーんなものが貯め込まれている理由は以下のふたつ。実に明確!!
ひとつは祖父母が戦中戦後の、物が極端に無かった時代を経験したため、あらゆる物を大切に扱い繰り返し使っていたことにより、すさまじい復興と共にやってきた新品たちがほとんど使われずじまい。家中の押入れや戸棚の中に丁重にしまわれていたこと。(しかもわたしの花嫁道具に持たせる計画だったらしく!母親はほとんど使わせてもらえなかったという………笑)

それに加えておうし座♉の父は、そもそも所有欲が強強なので「溜め込む」性格だったのだ、と占星術を知って以降そのように理解したところ😑

あくなき挑戦は続きます✊✨✨
最後までお読み下さり、ありがとうございました❣️☺️

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